ローマ人の物語(4) の商品レビュー
ついにハンニバル登場。とはいえ、名前とイタリア本土に攻め込んでいった武将というくらいしか知らなかった。 スペインから出発して、原住民しかいないエリアを抜けてイタリア本土に攻め込んでいったその執念がすごい。また、会戦をしたら負けなしのとてつもない戦術家。本国から離れているため、兵の...
ついにハンニバル登場。とはいえ、名前とイタリア本土に攻め込んでいった武将というくらいしか知らなかった。 スペインから出発して、原住民しかいないエリアを抜けてイタリア本土に攻め込んでいったその執念がすごい。また、会戦をしたら負けなしのとてつもない戦術家。本国から離れているため、兵の補充なしに敵本拠地でまさにやりたい放題に暴れている様子が書かれている。 ローマ側の被害が半端ない。通常ならとっくに滅んでいると思うほどの人的被害を出している。会戦を何度か(3回かな?)しているが、そのつど3万以上(Max 7万)の兵を失っている。にもかかわらず、徹底的に光線を続けるローマとその同盟国。 同盟国が離反しなかったのは、ケルト人に攻め込まれた際にシステムを作り直していたおかけでもある。この順番が逆だったら、間違えなくローマはなかったろうと思う。
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第二次ポエニ戦役の巻。前半はカルタゴのハンニバルの活躍が多く、その戦略や行軍歴をなぞる部分は非常におもしろかった。戦術から外交など、今までのカルタゴとは一線を画す才能をもってローマに迫りくるさまがよくわかった。後半はローマのスピキオが登場し、こちらもハンニバルに並ぶとも劣らない戦...
第二次ポエニ戦役の巻。前半はカルタゴのハンニバルの活躍が多く、その戦略や行軍歴をなぞる部分は非常におもしろかった。戦術から外交など、今までのカルタゴとは一線を画す才能をもってローマに迫りくるさまがよくわかった。後半はローマのスピキオが登場し、こちらもハンニバルに並ぶとも劣らない戦略家ぶりが書かれていて、第5巻でどのように話が結ばれるか楽しみ。
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第二次ポエニ戦役におけるハンニバル(カルタゴ)とローマ間の熾烈な抗争。前半から中盤にかけては、ハンニバルの連戦連勝。ローマは都度大きな犠牲を余儀なくされる。ハンニバルの意図は、ローマ同盟の解体にあったが、周辺都市のドミノ倒しのような離反は起こらず、長期戦へ。その後、ハンニバルとの...
第二次ポエニ戦役におけるハンニバル(カルタゴ)とローマ間の熾烈な抗争。前半から中盤にかけては、ハンニバルの連戦連勝。ローマは都度大きな犠牲を余儀なくされる。ハンニバルの意図は、ローマ同盟の解体にあったが、周辺都市のドミノ倒しのような離反は起こらず、長期戦へ。その後、ハンニバルとの直接対決を回避する戦略をとったローマ軍は、優勢に立つまでに至らないまでも、劣勢状況から脱却する。その後は、スキピオの活躍でスペインを一気に制覇するなど、ローマが優勢に転じることになる。 ハンニバルがいかに有能な武将とはいえ、彼以外には主だった武将のいないカルタゴ軍。スキピオ世代ともいえる若い武将達を有するローマ軍に次第に追い込まれていく。個人の力(カルタゴ)と組織の力(ローマ)の差が如実に出たとも言えそうだ。
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ローマ帝国最初のクライマックス。ハンニバルとのガチンコ対決。 ハンニバルの鮮やかな戦術と、国を挙げての戦略で対抗したローマのバトルが熱い。これはおもしろい。
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ローマ人の物語のシリーズの中で一番好きです。カルタゴの名将ハンニバルがどのようにローマを攻めたか。そしてハンニバルにローマはどう対峙したか。読んでいてとても引き込まれます。
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第二次ポエニ戦争の勃発(前218)から、スキピオによるスペイン制圧(前206)まで。スペインで父の後をついだハンニバルが、サグント(ローマの同盟都市)を攻略、ローマは外交で解決をはかるが、会見が決裂、第二次ポエニ戦争が勃発する。塩野氏はハンニバルがローマを挑発したとみる。ハンニバ...
第二次ポエニ戦争の勃発(前218)から、スキピオによるスペイン制圧(前206)まで。スペインで父の後をついだハンニバルが、サグント(ローマの同盟都市)を攻略、ローマは外交で解決をはかるが、会見が決裂、第二次ポエニ戦争が勃発する。塩野氏はハンニバルがローマを挑発したとみる。ハンニバルは海路は危険とみて、スペインからフランスを通り、歴史上有名なアルプス越えを果たした。アルプスの麓でガリア人を制圧・懐柔し、軍隊を増強、イタリアへ侵入する。ティチーノ・トッレビア・トランジメーノ・カンネの4会戦でハンニバルは連勝する。とくに、カンネの会戦(前216)が歴史的で、騎兵の優位を生かし、ローマ騎兵を排除、最終的に7万のローマ重装歩兵を5万で包囲し、ローマの生き残りは1万程度だった。ハンニバルの戦術は基本的に包囲戦で、騎兵で手早く敵軍の非主力を排除の後、騎兵が戻ってきて包囲網を完成し、相手の主戦力を囲んで叩く。ハンニバルはカンネ会戦以後、ローマをすぐに衝くことはせず、南イタリアを略奪・懐柔し、ローマ同盟の解体を試み、部分的に成功、一時南部を占領するにいたる。同時に、シラクサを扇動し、マケドニアとの共闘も画策した。マケドニアはローマの外交により、封じ込めに成功する。ローマ軍は以後、持久戦を旨とし、会戦を避けながら、間断なく戦闘を強いた。また、有能な敵将がハンニバル一人であることにつけこんで、多方面で作戦を展開、南部をほぼ回復するにいたる。印象的だったローマの武将は、「負けたら恥だと思い攻撃してくる。勝ったら勝ちに乗じて攻撃してくる」、「朝日が昇るのと同じ確率で挑んでくる」と、ハンニバルを慨嘆せしめたマルケルス、とにかくしつこい不屈の人である。幹部とわずかの手勢で偵察に出たところをハンニバルの騎兵に囲まれ、戦死した。また、奴隷を勇猛な兵士に訓練し、父のように慕われたグラッスス、ハンニバル麾下の将軍の降伏を受け、会見の場に赴き、騙し討ちにあい、落命した。このような長く苦しい戦いのなか、スキピオが登場する。ティチーノ・カンネの戦いに参加し、激戦のなか生き残っていたが、当時まだ25歳。父がスペイン作戦で戦死したので、その後を継ぎたいと元老院に直訴して統帥権を認められた。スキピオは三倍の兵力のあるスペインに乗り込んだ。まず、カルタゴ軍には構わず、直接本拠地を攻撃、一日で落城させた。その後、三軍のうち、二軍を各個撃破、残りの一軍はアルプスをぬけハンニバルを救援にいくも、使者がとらわれ、合流前に撃破された。スキピオの戦術はハンニバルにならったものだが、基本的には「拙速」を重んじるものだろう。「拙速」はもともと「ヘタでもいいから速くやれ」という意味だ(『孫子』)。占領統治も温情主義で、カルタゴ支配に不満をもっていたスペイン原住民を味方にすることにも成功している。塩野氏の考察で面白いのは、リーダーとなる男の重要な要素は「晴朗」(セレーノ)であるという。面白い考えだ。スキピオにはこれがあったようである。
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中巻は、ハンニバルがカルタヘーナ総督に就任し、いよいよアルプス越え、そしてカンネの戦いを繰り広げる。その一方耐えに耐えたローマの反撃がじわりじわりと進行し、若きスキピオによるスペイン制覇までを記している。 最大のトピックはカンネの戦いだろう。アレクサンダーの戦術からハンニバルの戦...
中巻は、ハンニバルがカルタヘーナ総督に就任し、いよいよアルプス越え、そしてカンネの戦いを繰り広げる。その一方耐えに耐えたローマの反撃がじわりじわりと進行し、若きスキピオによるスペイン制覇までを記している。 最大のトピックはカンネの戦いだろう。アレクサンダーの戦術からハンニバルの戦術への進化が語られる。有機的な騎馬戦力の活用による包囲戦の展開だ。著者の「天才とは、その人にだけ見える新事実を、見ることの出来る人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気がつかなかった旧事実に、気づく人のことである」という言葉が印象的だった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
カルタゴの英雄ハンニバルが戦争のやり方を一変させ、イタリア半島を蹂躙する時代が描かれる。そして、ローマのスキピオ・アフリカヌスが歴史の表舞台に登場し、ハンニバルとローマの存亡をかけた決戦を行う。 戦争とは外交の一手段と言ったのは、ナポレオンとも戦ったプロイセンのクラウセヴィツだ。しかし、この戦争に限って言えば、そうではなかったかもしれない。第二次ポエニ戦役は、天才ハンニバルの私怨により引き起こされた戦争だった気がする。 幼少の折、第一次ポエニ戦役でのローマに対する父の無念を晴らすよう神に宣誓したハンニバルは、28歳の時、双方の本国から離れたスペインでローマの同盟都市を攻略し、無理矢理カルタゴとローマの全面戦争に持ち込む。その後、アルプスを超えイタリア半島に侵攻し、次々とローマ軍を撃破し、蹂躙する。 国家が一人の天才の前になすすべも無く敗れるかという時期にローマに登場するのが、スキピオだ。ハンニバルより12も若いスキピオは、敵将を戦術の師とし、カルタゴ本国を攻略することによって、ついにハンニバルをイタリア半島から追い出すことに成功するのだ。 一人の天才によって戦争の形式が劇的に変わる様と、共和制ローマのシステムが最も有効に機能していた時代を知ることができる一冊。
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ローマが勝てるはずないと思ってましたが、海で敵対するギリシャの弱体化によりカルタゴは海運国家ではあっても海軍国家ではなくなっていた という記述に納得。次はついにハンニバルの登場!!!
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ハンニバル最高 アルプス越えの決死行で一気につかみ、カンネの会戦までの伝説。 結局ローマを取れなくてもなぜ英雄と人は言うんだろうか。
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