特急こだま東海道線を走る の商品レビュー
写真記憶の持ち主である作者の記憶力に舌をまくのはせんないことかもしれないが、その記憶を抜きにしては本作は成立しないし、語ることもできない。全ての短編を通じて作者とおぼしき少女(今は中年の女性)が主人公であり、彼女の克明すぎる記憶の風景を手掛かりにして、幼少の頃には意味の全容がつか...
写真記憶の持ち主である作者の記憶力に舌をまくのはせんないことかもしれないが、その記憶を抜きにしては本作は成立しないし、語ることもできない。全ての短編を通じて作者とおぼしき少女(今は中年の女性)が主人公であり、彼女の克明すぎる記憶の風景を手掛かりにして、幼少の頃には意味の全容がつかめなかった訳有りげな事件や人物の姿が明らかにされていく。その語り口はミステリ小説のようでもあり、謎の行き先を求めてページを捲る手ももどかしい読書体験となった。人間は過去無しには生きられないし、かといって過去の中にも生きることができない。
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一つ一つのお話は独立しているけれど、主人公像の共通した短編集。いずれの短編でも、主人公の女性は、昭和30年代の関西の地方都市に、共働きの両親のもと、一人っ子として生まれている。ごく幼い頃から両親は不仲で、緊張感のある冷たく重苦しい雰囲気の家庭で孤独な幼少期を過ごしている。中年期に...
一つ一つのお話は独立しているけれど、主人公像の共通した短編集。いずれの短編でも、主人公の女性は、昭和30年代の関西の地方都市に、共働きの両親のもと、一人っ子として生まれている。ごく幼い頃から両親は不仲で、緊張感のある冷たく重苦しい雰囲気の家庭で孤独な幼少期を過ごしている。中年期に入った主人公が、飲み込まれるするように思い出す、幼少時代の些細な記憶の欠片たち。 正直に言って、読んでいて愉快な小説では全くなかった。けれど、恐らく、作者があとがきで書いているように、作者がこれからも生きていくために、どうしても書く必要があった短編集なんだろうと思う。作者の内部の闇を覗きこんでいるような、作者と一つの記憶を共有しているような感覚があった。暗くて冷たい記憶に閉じ込められて、もがいているけれど、まだ光が見えないような…記憶の波に足を濡らされて、時間軸さえあやふやになっているような…そんな主人公たちの姿が、ひどくあやうく、儚く感じた。
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姫野カオルコさんの子ども時代の記憶を元にして描かれた短編集だそうです。 私ももっともっと大人になったとき、子どもの頃の記憶はどのように残っているのかな。 物語の雰囲気には懐かしさのようなものも感じられ、ときにウルッとくる場面もありました。
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書き方が固くてやけにリアルな描写だと思ったら“記憶”をテーマにした物語とあとがきに書いてあって、筆者の何らかの過去のかけらを小説にしたようだった。作品の部分部分に筆者が忌み嫌ったものを垣間見せるのだけれどそれがすごく理解できた
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記憶の断片を脚色した作品。もう家庭内別居の両親ネタは十分おなかいっぱいなのですが、今回の作品で自分の母親が父親から受けていたしうちと共にいやな感情が思い出されてまいりました。
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子供時代の思い出を綴りこんだ短編集。 子供時代からの大切な記憶の断片を忘れないために文章にしておかなくてはと、私自身思ったこともあるけれど、姫野さんの場合は病気で記憶がおかしくなり、その記憶の世界に沈み込む時間が長くなってしまった。そのためにも焼き付けられた子供時代の記憶を破壊...
子供時代の思い出を綴りこんだ短編集。 子供時代からの大切な記憶の断片を忘れないために文章にしておかなくてはと、私自身思ったこともあるけれど、姫野さんの場合は病気で記憶がおかしくなり、その記憶の世界に沈み込む時間が長くなってしまった。そのためにも焼き付けられた子供時代の記憶を破壊するためにこの本を書いたという。 さぞかしつらかっただろうな、と勝手に推測する。 表題作の『特急こだま東海道線を走る』は、図らずも涙してしまった。 最後の方に出てくる赤川さんの「なんでもかんでも気にしんときや、な」という言葉、たまらない。 威圧的な父親、そんな良人に従順な母親、感じやすい子供。自分自身の子供時代とかぶる気がして、そして私にも赤川さんみたいな大人がいたような気がして、いや、そんな人はいなかった、著者が羨ましい、そんな涙だったか、どうだろう、よくわからない。 とにかく泣けた。 会社の昼休みに読んだので思い切り泣けなくて残念。 帰り道電車の中で読みかえしてまたしみじみと泣いてしまった。
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短編集。姫野カオルコワールドが好きなので。あとがきによると、モチーフは「記憶」。う〜んなるほど!淡々とした語り口にどんどんひきこまれます。
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