遠い場所の記憶 自伝 の商品レビュー
長い長い自叙伝。 土地への帰属精神を持たないアイデンティティへの葛藤が普段の生活の中に現れる様子がよく描写された作品
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パレスチナ人でありながらキリスト教信者、アラブ系セレブの家に生まれる。パレスチナ、カイロ、レバノンを交互に行き来していたので本当の故郷がどこかよくわからない。 カイロでは現地の人間からは外国人として見られ、宗主国の人間からはアラブと下に見られる。英才教育を受けてエリートコースを進...
パレスチナ人でありながらキリスト教信者、アラブ系セレブの家に生まれる。パレスチナ、カイロ、レバノンを交互に行き来していたので本当の故郷がどこかよくわからない。 カイロでは現地の人間からは外国人として見られ、宗主国の人間からはアラブと下に見られる。英才教育を受けてエリートコースを進むも、宗主国側の人間である白人教師からは手に負えない、劣った人種であるアラブ人として侮辱される。 多感な少年期に普通とは言い難い抑圧された環境の中で、権威に対する反発、不正に対する怒りが将来彼をパレスチナ問題の活動へと誘ったのだろうか。 名付け親でもある叔母のナビーハは多忙な日々を過ごしながら休日は、家や住む土地を奪われ難民となった人々の悩みを聞き、具体的なアドバイスをしたり、仕事を紹介したりした。浮浪児には教育の機会を与え、お金に困っている人には資金を調達し分配するなど様々な難民救済に当たっていた。彼女のような心ある大人が、彼の人生に大きな影響を与えたのだろうと思う。 ちなみにこの本はサイードが白血病の治療中に書かれている。 物語は多数派、強いもの、権力者の視点から描かれるものが多い。この物語は存在すら消されようとしていたパレスチナ人が描いた異質ではあるけれど、誰もが共感できる人間としての普遍的なドラマがある。
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絶版になる前に入手しないと…と思いながら、帰省すると買うのを忘れて帰る本筆頭。彼にはもっと長生きしていただきたかった。
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サイードの著作を読むならば『オリエンタリズム』をまずひもとくべきでしょうが、それよりもまずこちらから紐解いた方がよいのではないかという一冊。異文化理解の根本は、実像を辿ること。そしてそれを知ることから始まる。 異質なものを異質なものと認めることには勇気が必要です。 しかし、その...
サイードの著作を読むならば『オリエンタリズム』をまずひもとくべきでしょうが、それよりもまずこちらから紐解いた方がよいのではないかという一冊。異文化理解の根本は、実像を辿ること。そしてそれを知ることから始まる。 異質なものを異質なものと認めることには勇気が必要です。 しかし、その勇気を省いて、テキトーなイメージで済ませてしまう。 こここに大きな問題点があります。 サイードは、パレスチナで過ごした子供時代、そして青春時代の詳細な部分をこの本で映画のように描いております。そこには別の文化や地域の子供達と同じように、サッカーに興じ、こまったひとのためにつくす大人の姿、そして不正義に憤る少年の姿が描かれております。 難民でもなく、テロリストでもない。しかしパレスチナの悲劇を背景にもつ少年の実像がそこに描かれている。 こうした実像は、強烈なイメージとしての「異質なもの」を増長させるわけで、均一な人間のイメージを描くわけでもない。 そうしたところから遠くかけはなれた、生きた人間の記録がそこにある。 これを洗練させていったところに「オリエンタリズム」が存在する。
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エドワード・サイードは優れた批評家だったけれども、ここで書かれていた彼自身による彼の半生・自伝は、コンプレックスに満ち溢れた、ただの「人間」エドワード・サイードだった。少なくとも僕は、スーパースターではないただの人だった彼の幼少期に失望を感じ、読みながら人が自伝を残す意味、自分を...
エドワード・サイードは優れた批評家だったけれども、ここで書かれていた彼自身による彼の半生・自伝は、コンプレックスに満ち溢れた、ただの「人間」エドワード・サイードだった。少なくとも僕は、スーパースターではないただの人だった彼の幼少期に失望を感じ、読みながら人が自伝を残す意味、自分を語るということの意義について考えさせられた。ただ、読後に一人の人の生い立ちや半生を知り、どういう思想に思い至ったのかを知るということは、その半生を読んだり聞いたりした人間の人生を豊かにし、大きな安心感や勇気、希望を与えるものになりうるのではないか、ということを考えた。
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相反するものの間で引き裂かれながら生きるひとりの男の記録。それは20世紀の悲しみと消え入りそうな希望の記録。
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