江戸幕府と朝廷 の商品レビュー
読みやすく面白かった。江戸時代は幕府のことばっか勉強するから、朝廷は朝廷でちゃんとあったんだよなーと改めて気づいた。"つなぎ"として六歳から二十歳まで在位していた明正天皇のその後が気になった。
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江戸時代の天皇といえば、幕末の孝明天皇を除きあまり印象にないという人も少なくないかもしれません。本書では、江戸時代初期から幕末までの江戸幕府と朝廷の関係の歴史をまとめて、どのような経緯を経て幕末の尊王攘夷という思想の土壌が生まれていったのかを解説しています 【こんな人におすすめ...
江戸時代の天皇といえば、幕末の孝明天皇を除きあまり印象にないという人も少なくないかもしれません。本書では、江戸時代初期から幕末までの江戸幕府と朝廷の関係の歴史をまとめて、どのような経緯を経て幕末の尊王攘夷という思想の土壌が生まれていったのかを解説しています 【こんな人におすすめ】 江戸時代の天皇に関心がある 尊皇攘夷の歴史に興味がある
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本書では禁裏による儀式の復活や宝暦事件や尊号宣下の強硬などを通して、江戸時代を通じて緩やかに京都の禁裏(本書では「朝廷」と表記されている)の権威が上昇し続け、本書末の102-104頁にある通り、最終的には幕末の1863年には遂に禁裏の権威が江戸兵営国家(いわゆる幕府)の権威を上回...
本書では禁裏による儀式の復活や宝暦事件や尊号宣下の強硬などを通して、江戸時代を通じて緩やかに京都の禁裏(本書では「朝廷」と表記されている)の権威が上昇し続け、本書末の102-104頁にある通り、最終的には幕末の1863年には遂に禁裏の権威が江戸兵営国家(いわゆる幕府)の権威を上回ることを概略している。ターニングポイントは本書96-97頁にある通り、1840年に光格天皇が逝去した際に、遺勅にて「天皇」号を平安時代の光孝天皇以来、950年ぶりに復興したことであろう。 私が本書について不満であったのは、本書で描かれた緩やかな禁裏の権威の上昇について、社会思想との関係が如何にあったのかについて触れられていない件である。例えば本書84-86頁に記述がある宝暦事件について、首謀者とされた竹内式部は垂加神道を公家に教えていたことが問題とされ、公卿たちと共に処分されたことが述べられているが、なぜ18世紀後半にあって急に垂加神道が社会思想として浮上したのか(これは19世紀前半に平田国学が「草莽の国学」として全国に普及することと恐らく同じ原因だと思う)について本書では全く触れられていないのである。 たとえ天皇を伊勢の天照皇大神の直系の子孫として、現人神として信仰する宗教運動・思想運動があれども、その宗教・思想を受容し、信じる人々がいなければ、当然ながらその運動は社会に対して影響力を持つことができない。本書で描かれた、江戸時代を通じた禁裏の権威の上昇についても、前田勉先生の研究にある通り、江戸時代の市井の人々が天皇を現人神として求めていたことを抜きにしては考えられないと私は考えているが、その点について著者の意見を知りたかった。 ただ、本書の冒頭で述べられた研究史については、参考になる点が大きかった。 “……一九四五年(昭和二十年)の敗戦とともに、それまで続いた天皇を最高権力とする国家体制が終わりを告げ、自由な学問・研究が可能になったにもかかわらず、研究者の間には直前まで苦しめられた天皇制を否定しようとする気持ちのあまり、江戸時代の天皇の歴史的研究をも遠ざける雰囲気をつくってしまった。そのために一九七〇年代以前は、江戸時代の天皇は「へその緒」のような存在で、無力であったという理解ですませてきた。したがって研究の反映する教科書にも、せいぜい後水尾天皇を記すにとどまったのである。 しかし一九七〇年代以降、江戸時代の天皇を研究する必要が求められはじめ、その後着実な研究成果が積み重ねられてきた。その成果がようやく現行版の『詳説日本史』に反映されはじめ、後水尾天皇以外の記述が登場したのである。” (本書4頁より引用)
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江戸時代の朝廷については、研究が遅れていた、という事を振り返りつつ、その第一人者である著者がわかりやすく解説してくれる良著である。公家などの石高が生々しくて面白かったです。霊元天皇が若いころやらかしたりとか、いろいろ頑張ったりとか、光格天皇が頑張ったことなど、細かく知ることができ...
江戸時代の朝廷については、研究が遅れていた、という事を振り返りつつ、その第一人者である著者がわかりやすく解説してくれる良著である。公家などの石高が生々しくて面白かったです。霊元天皇が若いころやらかしたりとか、いろいろ頑張ったりとか、光格天皇が頑張ったことなど、細かく知ることができました。
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