アジア新しい物語 の商品レビュー
旅行者や駐在員とはま…
旅行者や駐在員とはまた違った視点で見る、アジア。温かい心の交流もあれば、恩を仇で返されのやりきれなさもあり、とにかくきれいごとや感傷なんか遠い彼方に置いてこざるをえないタフさ、その上での誠実さが、胸に響く。
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野村進著「アジア新しい物語」文藝春秋(1999) 少し前の本になりますが、、旅行で長期滞在しているのでも企業の駐在員として派遣されているのでもないアジアにいる日本人たちに出会い、取材したノンフィクションの本。一個人として日本以外のアジアにいきることを選択した、いわばアジア定住の...
野村進著「アジア新しい物語」文藝春秋(1999) 少し前の本になりますが、、旅行で長期滞在しているのでも企業の駐在員として派遣されているのでもないアジアにいる日本人たちに出会い、取材したノンフィクションの本。一個人として日本以外のアジアにいきることを選択した、いわばアジア定住の日本人たちを描いた本になります。 それぞれの地に全身を投げ込んで、ときには格闘し、ときには受け入れ、ときには愛し、清濁合わせのむ思い出アジアを見つめている人々の人生を綴った本。アジア諸国に深く根をおろす9人の日本人たちの苦闘しつつもこれからの日本を見通す鍵が記載されている。 (「アジア新しい物語」の本文より) *フィリピンからみていると、日本の社会は病んでいるのに、日本人はなかなかそのことに気がつかない。それは、物質的には富栄えた日本の社会にいるかぎり、日本人が自らの心を見つめ、その「貧しさ」に気づくのが極めて難しいからではないか。本当はどん底かその瀬戸際にいるのに、いつもでも大小や畏怖に逃げられるから、自分の置かれている場所がどこなのか分からないくなっている。 *日本人はアジアに来て、なんらかの事情で苦境に立たされ、もうにっちもさっちもいかないどん詰まりに追い込まれた時、生まれて初めて自分と正面から向き合う。そして豊かだと思い込んでいた自分を含む日本人の貧しさと、貧しいと思い込んでいたアジアに住む人々の豊かさを実感として知るようになるのではないか。
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出版されたのが2002年、さらに題材として挙げている人たちのところを著者が訪問したのが、だいたい1990年代後半。その時代性を考えると既に「新しい物語」と呼ぶには無理があるけど、当時も今も大して変わらないところも散見されます。 10人ほどの「アジア在住の日本人」をピックアップし...
出版されたのが2002年、さらに題材として挙げている人たちのところを著者が訪問したのが、だいたい1990年代後半。その時代性を考えると既に「新しい物語」と呼ぶには無理があるけど、当時も今も大して変わらないところも散見されます。 10人ほどの「アジア在住の日本人」をピックアップしてますが、基本的には「大会社の社員としてアジアに派遣されている人」ではなく、「何かの拍子でその国やその土地が気に入ったり気になったりしたので、そこで商売始めちゃった人」たちばかり。当時で既に現地在住30年なんて人も出てくるので、アジアに飛び出した日本人の先駆けに焦点を当てていると言っても、言い過ぎではないでしょう。 後半は3人ほどをピックアップして、当時の視点での「個人のボランティア」についても触れています。やり方は人それぞれだけど、ボランティアの根幹を貫く部分は今も昔も変わらない。 「個人の」ボランティアとは、「他者のための奉仕や貢献ではなく、自己を生かすことで他者を生かす自発的な無償の行為」なのではないかと論じた著者は鋭い。団体として、組織として、プロとしての社会貢献とはまた違う、個人の力の強さを感じたパートでした。
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つい先日読んだ「コリアン世界の旅」(野村進著) 在日韓国・朝鮮人と本国の韓国人や在米コリアンとの生き方考え方の違い、韓国籍同士でも出身地域によって考えの違いや差別もあること、日本に対する愛憎半ばの思いなど、マスコミの表層的断片的な情報ではわからなかった在日韓国・朝鮮人の実相は眼か...
つい先日読んだ「コリアン世界の旅」(野村進著) 在日韓国・朝鮮人と本国の韓国人や在米コリアンとの生き方考え方の違い、韓国籍同士でも出身地域によって考えの違いや差別もあること、日本に対する愛憎半ばの思いなど、マスコミの表層的断片的な情報ではわからなかった在日韓国・朝鮮人の実相は眼からウロコだった。 今週読んだ「アジア 新しい物語」は、同じ著者がアジア9カ国で生きる9人の日本人に同行取材したルポタージュ、ノンフィクション。 飲食店主、牧師、園芸家、柔道教師、不動産屋など活動分野は様々だが、大企業の駐在員とかNPOなど組織の一員ではなく、全員縁あってそれぞれの国に出会い身ひとつで現地の人と溶け合いあるいは闘って、自らの意思で苦闘しながらもイキイキと人生を送る人たちである。どの人物の話も全部面白く、巻末の解説で川上弘美さんが書いているようにひとりの物語だけでも一冊の本になるほど、夢と笑いと涙と冒険の物語ばかりである。 全篇面白かったが、ひとつだけ抜粋 フィリピンで生きる牧師の西本さんは説教やミサをするだけの牧師ではない。スラムの貧しい人たちからとんでもない大金持ちまでいろんな人と付き合い、大酒飲みでギャングとも酒を酌み交わす。フィリピン人や在比日本人社会のよろず相談世話係の親分みたいな人で、日本の個人福祉団体とフィリピンの架け橋のようなこともしている。 フィリピン人の土の上をはだしで歩くような貧しくも豊かな人間社会のなかで生きる彼は、 「いま日本は道路だけでなく、心もコンクリートで舗装されたみたいになっているんだな。心がかたくなだから、感謝とか畏敬とか神から蒔かれた種が心に入っていかない。」と言い、「フィリピンから見ていると、日本の社会は病んでいるのに、日本人はなかなかそのことに気づかない。経済的に豊かだから、自らの心を見つめ、その「貧しさ」に気づくのが難しくなっている。本当はどん底かその瀬戸際にいるのに、お金で代償行為や慰撫に逃げるから、自分の置かれている場所がどこなのかわからなくなっている。」と語る。 すべての登場人物の生き様は、結果として「ボランティア」の要素をもっている、あるいはボランティアそのものである。最初から「貧しいアジアの人たちを救うんだ!」みたいな声高な使命感から始まった人はひとりもいない。自分の夢ややってきたことが、定義するとボランティアでもあったということ。彼ら自身に「ボランティア」という意識はない。素晴らしいのはそこである! 「ボランティア」の言葉の語源はラテン語の「自発」「志願」であるらしい。 「「ボランティア」とは他者のための「奉仕」や「貢献」ではなく、自己を生かすことがそのまま他者を生かすことにもなる「自発的な無償の行為」と定義することができるかもしれない。」 自分を生かし他者を生かせば、結果としてお金だけでは得られない大きなものを手にする。それは、体の心底から満ち足りる思いという人生でいちばん大きいプレゼントである。 不況、年金不安、ワーキングプアなど、今の日本の社会には閉塞感が強く、とくに若者たちは縮こんでいる。グローバル化にも色々あるだろうが、アジア共同体構想などアジア諸国との連帯共存は今後の日本にとって大命題である。最近若者の海外旅行が減っているというが、日本だけに閉じこもらずアジアのどこかで自分がやりたいことを探すのもひとつの生き方ではないだろうか?竜馬が脱藩したように、今は脱国の時代かもしれない。 そう言うおまえはどうかって? 私も何らかのかたちでアジアと繋がって生きることを考え、だいそれたことはできなくても少しずつ実行しようとひそかに思っております、ハイ。 この著書の取材時期は1990年代の後半だが、今読んでも新鮮である。 ただこの10年余りのアジアの変化も大きい。著者には「続・アジア新しい物語」の出版を望みたい。
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