ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念 の商品レビュー
『ドイツ・ロマン主義…
『ドイツ・ロマン主義における美術批評の概念』に、ヘルダーリン論など・・・興味のない人が見たらつまらないだけかも・・・でも興味がある人にはお宝本。
文庫OFF
すっごい。 相変わらずベンヤミンの知的直感には惚れ惚れする。 批評は判定ではなく作品のなかに沈静し、個々を見極めたうえで普遍性へと消化していく。 反省こそが芸術批評であり、創作についてもそれは同様で、その構造ゆえに詩情は散文に接近していく。 主観と客観を厳密に区分けするフィヒテの...
すっごい。 相変わらずベンヤミンの知的直感には惚れ惚れする。 批評は判定ではなく作品のなかに沈静し、個々を見極めたうえで普遍性へと消化していく。 反省こそが芸術批評であり、創作についてもそれは同様で、その構造ゆえに詩情は散文に接近していく。 主観と客観を厳密に区分けするフィヒテの自我ではなく、主観と客観の区別が廃されるシュレーゲルの魔術的認識論。 自我や個人的主観にこそ絶対を宿らせるのがドイツロマン派という認知だった自分からしたら、ベンヤミンはさらにその先、人間の認識の奥深くへと掘り進んでいく。まるで自己収斂していくように。 自己を制限すること。 絶対者を反省の媒質として措定する見方が素晴らしい。 芸術は形式となり、それは個人の超感覚的な域を出て、他者へと向かい、それが反射される。 これらの論考は芸術批評や芸術を対象としている、それゆえに論理や社会、思想の問題へと踏み込むのは過干渉になるから適用範囲を広げすぎないこと。
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