舞踏会へ向かう三人の農夫 の商品レビュー
人生はすべて、雑多な集合体である。農夫フォード、文盲フォード、機械の天才フォード、進歩主義者、反ユダヤ主義者、博愛主義者。現代という時代は、定義上すでに、その数十億倍も雑多な集合体である。この一方の集合体をもう一方の集合体につなぎ合わせるには、相当量の編集作業が必要となり、それゆ...
人生はすべて、雑多な集合体である。農夫フォード、文盲フォード、機械の天才フォード、進歩主義者、反ユダヤ主義者、博愛主義者。現代という時代は、定義上すでに、その数十億倍も雑多な集合体である。この一方の集合体をもう一方の集合体につなぎ合わせるには、相当量の編集作業が必要となり、それゆえ相当の個人的気質が紛れ込むことになる。伝記作者が「これこそがこの人物を偉大な、代表的な人間にしている」と言うとき、すなわち、その人物を追いかけることに自分が何年も浪費してきた理由を説明しはじめるとき、伝記作者は自分を巻き込みはじめている。自分の個人的気質を、そして逆説的なことに自分の時代の見方を、巻き込みはじめているのである。 手を汚さずに済む伝記作者はいない。伝記が小説と異なるのは、証明の方向性においてのみである。伝記は人格の個別的細部から出発し、ひとつの生涯の全般的・歴史的文脈を演繹的に引き出そうとする。小説は歴史的な場をひとまず仮想し、そこから人格の代表的細部を帰納的に導き出そうとする。どちらも、作品を書き手の意図と気質で汚してしまう点に変わりはない。(p.236) トラックの後輪のかたわらに丸まった、ひとつの死体。それはファインダーを通してまさしく自分が見たものであり、と同時に、それとはまったく違ったものだった。写真のなか、あのときよりもいまの方が、ずっと多くのことが起きている。細部のゆらぎ、ハーフトーンに包まれたしわくちゃのかたまり、物自体のまったき沈黙。それはあのとき彼が見たよりはるかに多くのものであり、にもかかわらず、シャッターを開いた瞬間に彼が思い描いたものそのままだった。 借り物のアイデンティティに課された仕事はこれでなしとげた。この仕事を為すために自分は前線に送られてきたのだ。これ以上はないというくらい単純なこのスナップショットのなかに、非戦闘員の観察者たちはついに見るだろう、何ら曖昧さの余地のない、何の解釈にも染まっていない、1914年の舞踏そのものを。いかなる言葉もその衝撃に注釈をつけ加えられはしない。戦争とはどういうものなのかを、この写真は傍観者たちに伝えるだろう。(p.320)
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表紙で三人の人がこっちを見ているので試しに中身をパラパラめくったら面白そうだったから手に取った『舞踏会へ向かう三人の農夫』、リチャード・パワーズ著。 少し読んでいくうちに「おおーこれはもしやピンチョン的な感じか!」と思ったんだけど違う方向で面白い本だった。 仕掛け絵本を覗くよう...
表紙で三人の人がこっちを見ているので試しに中身をパラパラめくったら面白そうだったから手に取った『舞踏会へ向かう三人の農夫』、リチャード・パワーズ著。 少し読んでいくうちに「おおーこれはもしやピンチョン的な感じか!」と思ったんだけど違う方向で面白い本だった。 仕掛け絵本を覗くような気にさせてくれる本。 物語には近代の発明品がいろいろ登場する。 この本も本質的にそういった機械と同じつくりだ。 エピソードを部品がわりにそれぞれきちんと配置し、最後にはその効果を果たすものが出来上がっている。 つまり3人の物語を重ね、時代を立体視できる「20世紀の透視装置」。 その効果がだんだん現れてくる過程も面白いんだけど、ひとつひとつの部品についても「ああかなーこうかなー」と考えることがあってすごく面白い。 たとえば機械複製の話だとか、“無くなることで存在がより強調される”、車が誕生してからの移動時間の話、ヘンリー・フォードの平和船、戦場カメラマン。 こういったエピソードの数々は、何度も頭の中で反芻してその考え方を味わったり、自分が知っていることとの関連を探ったり、そうしたきっかけを作ってくれる。 そんなわけで全体的にものはたっぷり詰まっているが、意外にも印象はさらっとしたもの。 やり過ぎずに効果を出す、適切な分量がわかってる人っぽい。 そしてちょっと感傷的になるけど、人と離れ離れになったら誰が今どうしてるかってわからないなあと思った。 今は携帯があるけど、それでもやっぱり。 その人がもう死んでても、それを知らないから「あいつのことだから適当に楽しくやってるんだろ」って当たり前みたいに考えちゃうんだな。 もういないのに。 でもそれを悲しいと思うのは、自分がその事を見通せる側にいるからなんだろう。
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20代のころ、誰にも読まれないだろうと思って、書きたいように書いた・・という作者の言葉にうなずけます。 思索の部分が読みにくいのだけど、これがないと成り立たない。あんまり一生懸命読むと頭痛くなります・・・。へばります。 理屈っぽいのが苦手な人にはとても薦められないけど、半...
20代のころ、誰にも読まれないだろうと思って、書きたいように書いた・・という作者の言葉にうなずけます。 思索の部分が読みにくいのだけど、これがないと成り立たない。あんまり一生懸命読むと頭痛くなります・・・。へばります。 理屈っぽいのが苦手な人にはとても薦められないけど、半分くらいまで読むと物語が転がりだします。そこまで頑張れば。。 久しぶりに「そう来るかぁ」という結末でした。 一枚の写真を見つめる、無数のストーリー。
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ぬかるんだ五月のいなか道を、三人の男たちが歩いていく。振り向いた彼らの視線がとらえたのは・・・ オーストリアの写真家、アウグスト・ザンダーの一枚の写真にインスパイアされたパワーズの想像力。20世紀という途方もなく混沌とした時代を問い直す。 私の20世紀は16のときに終わりを迎えた...
ぬかるんだ五月のいなか道を、三人の男たちが歩いていく。振り向いた彼らの視線がとらえたのは・・・ オーストリアの写真家、アウグスト・ザンダーの一枚の写真にインスパイアされたパワーズの想像力。20世紀という途方もなく混沌とした時代を問い直す。 私の20世紀は16のときに終わりを迎えた。14のとき、恐怖の大王がやって来るといって来なかった失望感を抱いたままだった。それ以来、どうも20世紀という時代が終わっていない気がする。 この本を開いて数ページで「読まれなければならない」本だと気づいた。なぜなら、この本が「我々の」物語だから。 (2010.05.21)
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これほどまでにサービス精神旺盛な作家って他にいるだろうか?著者の脳という巨大なデータベースから、雑学的知識や、哲学的な見識、皮肉っぽい言葉遊びがとめどなくあふれ、文章をごてごてと装飾していく。装飾しすぎて文と文とのつながりが見えないので、とっつきは良くない。買ってから2回トライし...
これほどまでにサービス精神旺盛な作家って他にいるだろうか?著者の脳という巨大なデータベースから、雑学的知識や、哲学的な見識、皮肉っぽい言葉遊びがとめどなくあふれ、文章をごてごてと装飾していく。装飾しすぎて文と文とのつながりが見えないので、とっつきは良くない。買ってから2回トライして失敗、3回目にやっと読了したのも納得の個性的な文体だ。 3つのパートに分かれているうち、私が気に入ったのはコミカルなピーター・メイズの章だ。コンピュータ雑誌の編集をしている彼のおたく的な内面や思考が妙に平熱で表現されているのがとにかく可笑しくてたまらない。ひと目ぼれした運命の女を探す彼の運命はとにかく先が読めず、なかなか手に汗握る。 もう1つのパートは、題名でもある「三人の農夫」が主人公だ。20世紀末から初頭、そして第一次世界大戦までの激動の近代化の時代を、たっぷりの歴史的うんちくと共に描く。フォード自動車の創始者ヘンリーの人物像はまったく知らなかった! そして著者パワーズ自身だろう、「三人の農夫」の正体を追う「私」の章。高度に思索的なこのパートが一番読みにくい。しかもストーリー展開がないので少々退屈。でも、全てを読み終わって思い起こすと、このパートに一番心に残る名フレーズが多いことにも気づく。 第十九章「安価で手軽な写真」はすぐれた写真・映画論になっている。写真を見るときに鑑賞者の中で起こる不思議な現象を見事に文章化していて目から鱗が落ちた。 3つの枝が1つの幹へと収束するエンディングも心憎いばかり。たかだか100年前、すべての価値観が変わった20世紀のはじめ、歴史書に残らない人々は時代をどう生きたか。本書とザンダーの匿名的な肖像写真が、想像と共感の助けになることだろう。
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「舞踏会へ向かう三人の農夫」と題された写真から始まる3つの物語。 一つは写真の農夫たち自身の、一つはこの写真に見入られた者の、そしてもう一つはまた違った「過去」に見入られた者の物語である。この3つの物語は時に明示的に、時に遠まわしに相互に絡み合いながら一つの「啓示」に繋がっていく...
「舞踏会へ向かう三人の農夫」と題された写真から始まる3つの物語。 一つは写真の農夫たち自身の、一つはこの写真に見入られた者の、そしてもう一つはまた違った「過去」に見入られた者の物語である。この3つの物語は時に明示的に、時に遠まわしに相互に絡み合いながら一つの「啓示」に繋がっていく。 とても魅力的な小説である。 一つには3つの物語が探究するものを追うという、ある種謎解き的な、まっとうな小説の楽しみがある。また一方では、これでもかと盛り込まれた写真論や伝記論・小説論という知的好奇心を刺激する要素がある。そしてこの両者が互いにと照応するかたちで示されているところが、この小説を最後まで興味深く読めた所以だと思う。 そしてかなりスケールの大きな小説であるにもかかわらず、「地に足のついた」感覚が、読者をひきつけてやまない。とても身近な話に感じるのである。それはまさにこの小説が、20世紀を、20世紀を生きるどうということのない人間を、扱っているからなのかもしれない。 ともかく、この小説には、読み手を満足させるに足る、かなりの魅力がぎっしり詰まっている。いい本でした。
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パワーズのデビュー作にして邦訳第一弾。アウグスト・ザンダーが撮影した実在の写真をめぐる物語と撮影された男たちの空想の物語と現実とが交錯する二十世紀最後の傑作。柴田元幸も翻訳も大変だっただろうなあ。
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1枚の写真(表紙)を見て、ひたすら妄想した話。3人の農夫が向かっていたのは1次大戦。この写真を偶然見つけた語り手と、この3人、そしてある編集者と、三つの話が混ざりながら進んでいきます。すごいです。また柴田元幸の言葉借りるけど、知の部分で構築してる小説っていいですね。こんなすごい小...
1枚の写真(表紙)を見て、ひたすら妄想した話。3人の農夫が向かっていたのは1次大戦。この写真を偶然見つけた語り手と、この3人、そしてある編集者と、三つの話が混ざりながら進んでいきます。すごいです。また柴田元幸の言葉借りるけど、知の部分で構築してる小説っていいですね。こんなすごい小説ないです。いろんなこと書いているけど、やっぱ写真論が大事かなと思う。これ文句なしで★5個だけど、ちょっと語れるほど読めてません。でもすごいです。あるネット上の書評で、ピンチョンとよく比べられるから読みにくいかと思ったら読みやすくてびっくりしたっていうのがあって、俺ピンチョン読んだことないんだけどすごくよく分かる。とりあえず最初の300ページ(って全部400ちょいしかないけど)くらいは、読みやすいのに嫌になるほどいろいろ書いてあって挫折したくなるけど、でも読みきる価値はある。ありまくる。ごめんよ、全く何にも書いてなくて。
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インタビューではハルキムラカミを日本の作家では読んでいるとか言っていたけれど、パワーズの小説は安部公房に似ていると思う。外国版安部公房。 三つのストーリーが生成され消滅する。論文のようなものもあり、ノンフィクションもあり、恋愛もあり、錯綜もある。 誰がこんなに本格的に書けるか?
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