螺旋階段のアリス の商品レビュー
加納朋子はこれが初めてだったのですが、日常系ミステリ、といった感じでさらっと読めました。彼女の作品は好き嫌いがわかれると言われているようですがわたしは割と好きみたいですよ。 ほのぼのかつ時折せつなくて。 そして人の死なないミステリというところがよかったです。 安梨紗のキャラ...
加納朋子はこれが初めてだったのですが、日常系ミステリ、といった感じでさらっと読めました。彼女の作品は好き嫌いがわかれると言われているようですがわたしは割と好きみたいですよ。 ほのぼのかつ時折せつなくて。 そして人の死なないミステリというところがよかったです。 安梨紗のキャラは最初「うーん」という感じでしたが徐々に好感が持てるようになりました。 個人的には「アリスのいない部屋」がいちばん好きかな。(この本は7つの物語からなっているのです)がんばれ安梨紗、という感じで。仁木と安梨紗の微妙な関係もなかなか素敵ですね。鞠子に対する仁木の気持ちも。 全体的にやさしくてあたたかい、ミステリとしては珍しい部類に入るんじゃないかしら、と思われる作品でした。
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図書館で借りて読んだのですが、このあいだ本棚を整理していたら文庫版がー!読んだ形跡もなく、買ったことすら忘れてたみたいです。
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かつて少女漫画雑誌を定期的に読んでいたことがあった。その雑誌に執筆していたある作家の盲目的なファンとなり購読していたのだ。漫画雑誌を買うからには、その作家の作品だけを読むということで済むはずもなく掲載されていた当時人気の作家の作品も目にしていたのだが、ファンとして追いかけている作...
かつて少女漫画雑誌を定期的に読んでいたことがあった。その雑誌に執筆していたある作家の盲目的なファンとなり購読していたのだ。漫画雑誌を買うからには、その作家の作品だけを読むということで済むはずもなく掲載されていた当時人気の作家の作品も目にしていたのだが、ファンとして追いかけている作家以外の作品には本来手を触れるべきではない、という教条的な思いが一方はあった。そうして信仰がえてして未知のものとの遭遇で揺らぐように、他の作家の作品を読みはしても面白がってはいけないと思いながらも、自分はそこかしこに面白さを感じてしまったのだった。その時の少し後ろめたい感じを思い出した。 加納朋子の描く世界は、一言でいうなら少女漫画のような世界だ。かつてその世界にはまっていた人間としては、その世界にちょっと気持ちが傾きそうになる。それ程真剣になるまでのお話しではないとは思いつつ、気づくとほろりとしそうになっている。どこがいいとも言えないような小ぢんまりした感じの話が幾つも並んでいる。どの話も長くはない。丁度少女漫画の連載の一回分の長さのように感じる話、とい言ってもいいかも知れない。登場人物も少女漫画的であるといえば言える。フリルの付いた少女趣味の出で立ちの若い、しかし年齢不祥の、女性。彼女については年齢のみならず、素性もよく解らない。そして、本来なら貴公子のようなハンサムな青年が登場する筈だが、代わりに、五十を過ぎた新米私立探偵が白馬の騎士の役回りとして登場する。 このお話しの世界は、どこかで見たようなものが要素として少しずつ組合わさって登場するような気がする。それ故にあちらこちらで懐かしさから来る嬉しいような感情も湧くのだけれど、全ての要素が十分に花開くには世界が少し窮屈な感じがする。底が浅い、と冷めたような口調で言いたくはないのだが、そう簡単に嬉しがるもんか、という気が起こることも確かだ。もっとも、話としては面白いし、ライトノベル、軽いミステリーとして読めば、それはそれとして落ち着きもつく。しかし、もう少し深読みしたくなる気分、それはなぜ起こるのだろうか。 その原因の一つは、文中に投げ込まれている少し居ずまいを正されるような言葉にあるのだと思う。例えば、ルイス・キャロルに対する思わぬ言及、そんなものが、もう少しこの比喩の裏に何か奥深いものがあるのではないのか、何か語られずに隠されている世界が加納朋子の側にはあって、読者である自分はその扉に気づくことができずにいるだけなのではないか、という不安に読んでいるものを陥れるのだ。この感じに似た気分をかつて、少女漫画を読んでいた頃の何も知らない少年だった自分は、ある作家によって味わされたことがある。それが一條ゆかりだ。 もちろん、一條ゆかりの偉大さは認めた上で、と断っておくけれど、女友達が熱中するほどに自分は一條ゆかりの世界には浸ることがなかった。夥しいカタカナ、意味の解らない言葉の中にナイーブ過ぎる自分は入って行くことが出来なかったのだと思う。その未知の言葉を嬉しそうに振り回す少女たちに気遅れていたのだとも言えるかも知れない。今から見れば、そんなに大したことが意味されていたとも思えず、そういう言葉たちはインテリアのようなものとしての意味が重要だったのかもしれないが、当時はそういう言葉を知らないものはこの漫画を読む資格がない、と言われているような気がしたものだ。 その気後れしている感じに今とらわれているのだ。話としては、簡単に読めてそれなりに面白かったのに拘わらず、加納朋子から一歩ひいている自分がいる。それは、自分が彼女の描くような世界に理由もなく憧れていたことがある過去と無関係ではない。そのことを封印したつもりはないにしても、あからさまに思い出すことが躊躇われているせいでもある。 ルイス・キャロル。その解るような解らない世界に自分はかつて捕われていた。彼の書いていることを理解したくて、マザーグースを読み漁ったり、マーチン・が−ドナーの解説付きの本を熱心に読んだりしたこともある。それで、解説風の意味は頭に入ったりもしたし、伝記を読んでその創作意図を理解したりもしたけれど、遂にルイス・キャロルは自分にとって届かないものだった。そのトラウマのようなものに、どうもこの「螺旋階段のアリス」は触れるようだ。 恐らく、もう一冊加納朋子は読まなければならないだろう。彼女の書く一見少女漫画風の世界の裏にあるものが、3次元的な奥行きのある世界なのか、それとも張りぼての裏側のような世界なのかを確かめなくてはいけないような、そんな気になっている。
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