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さつき断景 の商品レビュー

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15件のお客様レビュー

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2009/10/04

1995〜2000 1.17阪神淡路大震災 3.20地下鉄サリン事件 あれからぼくたちの世紀末が始まった… 一月十七日、阪神淡路大震災。三月二十日、地下鉄サリン事件。あの一九九五年から二〇〇〇年までの世紀末、われわれはどう生きてきたのか? 大震災のボランティアに参加した高校生タカ...

1995〜2000 1.17阪神淡路大震災 3.20地下鉄サリン事件 あれからぼくたちの世紀末が始まった… 一月十七日、阪神淡路大震災。三月二十日、地下鉄サリン事件。あの一九九五年から二〇〇〇年までの世紀末、われわれはどう生きてきたのか? 大震災のボランティアに参加した高校生タカユキ、電車一本の差でサリン禍を免れた三十五歳ヤマグチさん、長女が嫁ぐ五十七歳アサダ氏。彼らの六年間の「五月一日」を定点観測し、各世代の「今」を問う斬新な日録(クロニクル)小説。 --このテキストは、 文庫 版に関連付けられています。 内容(「BOOK」データベースより) 1995年、1月阪神・淡路大震災、3月地下鉄サリン事件、そして5月1日―。神戸でのボランティア活動から帰京したタカユキ(15歳)は惰性としか思えない高校生活に疑問を感じていた。電車一本の差でサリン禍を免れたヤマグチさん(35歳)は、その後遺症ともいうべき自己喪失感に悩んでいた。長女が嫁ぐ日を迎えたアサダ氏(57歳)は、家族団楽最後の日をしみじみと実感していた…。そして96、97…2000年。三人は何を体験し、何を想い、いかに生きたのか。20世紀末6年間の「5月1日」からそれぞれの人生を照射した斬新なる試み。注目の山本周五郎賞作家が挑んだ日録小説の傑作。

Posted byブクログ

2009/10/07

正直、途中までつまらなすぎて読むのを何回か断念しようかと思った。 タカユキ(15歳)、ヤマグチさん(35歳)、アサダ氏(57歳)というまったく無関係の3人が1995年5月1日から6年間の同じ日をいかに生きたかという小説。 当時のサリン事件をはじめとするニュース記事が文中にそのまま...

正直、途中までつまらなすぎて読むのを何回か断念しようかと思った。 タカユキ(15歳)、ヤマグチさん(35歳)、アサダ氏(57歳)というまったく無関係の3人が1995年5月1日から6年間の同じ日をいかに生きたかという小説。 当時のサリン事件をはじめとするニュース記事が文中にそのまま書かれ、そんなこともあった、そんな時代だったと否応なしに思い起こさせる。そこに別に事件とほとんど関係もない3人の男の変哲もない日常生活が描かれ、この話ってなにが言いたいの??という感じだった。 話が進むにつれ、徐々に3人の環境の変化なんかがおもしろくなってきた。子供、成長したなぁとか。ここがこの作者の強いところだね。 こういう一般人の何気ない日常と、めまぐるしく悲惨な社会の動きとのコントラストを結局、描きたかったのかな、と最後になって感じた。 試み自体はおもしろいかもしれないけど、こういうヘンに凝ったのじゃなくてお得意のふつうに家族ドラマにしとけばいいのに。 それにしても背中が痛くなって死ぬのは絶対なのね・・・。

Posted byブクログ

2009/10/07

平凡な日常の中に、ところどころ、実際にその頃に起きた事件が書かれているのが、何とも言えずノスタルジックな気分を誘う。 思い出すと同時に、周りで精一杯、生きていた人々の生活までもが鮮明に浮かび上がる。 自分も時代のひとコマひとコマを生きてきたんだという事にしみじみとした思いを抱いた...

平凡な日常の中に、ところどころ、実際にその頃に起きた事件が書かれているのが、何とも言えずノスタルジックな気分を誘う。 思い出すと同時に、周りで精一杯、生きていた人々の生活までもが鮮明に浮かび上がる。 自分も時代のひとコマひとコマを生きてきたんだという事にしみじみとした思いを抱いた。

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2009/10/04

1995年〜2000年にかけて、人は何を想い、いかに生きてきたか? 20世紀末期のそれぞれの人生が描かれている。我が家では1995年マイホームゲットの年!

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2009/10/04

昨日は、どんな一日だっただろうか。2限から講義を受けて、サークルに参加して、ファミレスで御飯夕飯を食べて……。自分でも平凡な一日だったと思うが、人生はこういう「平凡な一日」の積み重ねだと思うし、過去のどの「平凡な一日」が欠けても、「今」は成立しないだろう、とも思う。 1995年...

昨日は、どんな一日だっただろうか。2限から講義を受けて、サークルに参加して、ファミレスで御飯夕飯を食べて……。自分でも平凡な一日だったと思うが、人生はこういう「平凡な一日」の積み重ねだと思うし、過去のどの「平凡な一日」が欠けても、「今」は成立しないだろう、とも思う。 1995年5月1日、15歳のタカユキは阪神大震災で壊滅した神戸でのボランティアから帰京し、今までの惰性としか思えない生活に終止符を打とうと思った。偶然1本早い電車に乗ったため地下鉄サリン事件を免れた35歳のヤマグチさんは、本当に自分は助かったのか、生きているのかという自己喪失感に包まれていた。57歳のアサダ氏は、娘が嫁ぐ日の最後の一家団欒を実感していた。それから彼らは、2000年までの5年間、どう生きただろうか。 この本は、2000年までの彼らの人生を、「5月1日」だけを切り取って描写したもの。その年に実際に起こった事件の記述を挟みながら語られる彼らの生活は、劇的なことも起こらず淡々と進んでいく。だからこの本は「ドラマを見ている」と言うよりは「彼らの書いた詳述な日記を読んでいる」ような感じだ。それ故に、この本の評価は真っ二つに分かれると思う。盛り上がりがないつまらない本か、とても身近に感じる馴染みやすい本か。 私は後者だったので、この本を一気に読めた。自分自身に不甲斐なさを感じて焦るタカユキ、成長していく娘に困惑するヤマグチさん、巣立ってゆく家族を見て寂しさを隠せないアサダ氏、全てが体験したことで、これから体験するかもしれないこと。彼らの考えることがありありと伝わってくるようで、時に苦しく、時に微笑ましかった。 私は3年ズレるけれども、5年前の1998年5月1日、タカユキと同じ15歳だった。彼が劇的でもない人生を送って5年後、20歳になって「オトナになった」ように、私も劇的でもない人生を歩み、5年後、彼と同じようにオトナになった。 オトナになった……なったのかな?

Posted byブクログ