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チャーチル の商品レビュー

3.4

10件のお客様レビュー

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2024/06/25

チャーチル 増補版 イギリス現代史を転換させた一人の政治家 著:河合 秀和 中公新書 530 チャーチルはまさに、20世紀を代表する政治家であり、栄光ある大英帝国の最後の首相であったと言えるだろう ・蔵相経験者である父をもつ、いわゆる良い家柄の子弟であった ・しかし、ラテン語...

チャーチル 増補版 イギリス現代史を転換させた一人の政治家 著:河合 秀和 中公新書 530 チャーチルはまさに、20世紀を代表する政治家であり、栄光ある大英帝国の最後の首相であったと言えるだろう ・蔵相経験者である父をもつ、いわゆる良い家柄の子弟であった ・しかし、ラテン語が苦手なことから、チャーチルは、聖職者、法律家の道を絶たれ、ラテン語が不要な軍人にならざるをえなかった ・彼はインドや、南アフリカで軍役についたことから、のちの海軍大臣などの軍を統率する経歴に恵まれた。 ・チャーチルの文筆は相当なものだったろう。演説のうまさと同様、彼は言葉の達人であった ・南アでボーア戦争が勃発すると、捕虜となり、単独で収容所から脱走し帰還したことで、彼は、英国の英雄として母国に迎いいれられた。 ・チャーチルはその名声とともに、父のような政治家を目指すようになっていく。 ・当時の英国は、植民地と貿易をめぐって、保護貿易か、それとも自由貿易かで争われていた。 ・チャーチルは、自由貿易の信奉者であり、かれは、自分の選挙区から離れて、自由党として総選挙に挑んだ ・<第一の失敗>第一次世界大戦で、海軍大臣に抜擢されるが、ダーダネルス作戦に失敗し、その職を追われる ・<第二の失敗>1924年に蔵相に就任するも、金本位を導入し、失敗。もともとチャーチルには、財政とか、経済といった素養がなかった。ときにチャーチルに反対した経済学者は、ケインズであった。 ・この失敗により、チャーチルは、10年と言う永い間、下野しなければならなくなった ・この間、チャーチルは、インドの融和策に終始反対をしている。  しかしながら、戦後、インド独立にあたっては、大英帝国の事実上の終焉を目の当たりにすることとなる  エリザベス2世の即位の年である、1952年は、かっての植民地を失い、ヨーロッパの一国となった、英国である ・第二次世界大戦がはじまると、ヒットラーは、西欧を席巻し瞬く間に大陸を占領した  その中で、フランコのスペインは中立を守り、ジブラルタル海峡も英国が確保するにいたった ・1939年に独がポーランドに侵攻すると、チャーチルは海軍大臣に帰りざき、翌1940年は挙国一致内閣の首相に選出され、3軍はチャーチルが統括することとなる ・チャーチルは、単独国として、ナチスドイツへの対戦を国民に鼓舞するとともに、制空権、制海権の確保にとつとめた ・イギリス情報部は、ナチスドイツの暗号を解読しており、北アフリカ戦線を含めて有利に戦闘を進めていく ・英米ソの3国は、1943.12 テヘラン会議、1945.02 ヤルタ会議、1945.07 ポツダム会議で、終戦後のスキームをつくっていくが、英国には、もはや、世界をまとめるだけの力はのこっておらず、米ソの冷戦に世界は巻き込まれていくことになる。 戦後、補足 ・チャーチルは自伝の中で、「私は結婚し、以後今日まで幸福にくらしている」と記しており、夫婦生活は極めて幸せであり、それは、終始かわらなかったようだ。クレメンタイン婦人は、自由党員であり、婦人選挙権の支持者であったが、夫の政治には口を挟まなかった。 ・日英同盟をふくめて、チャーチルは日本に対しては、強い態度にでていない。  ・満州併合についても、肯定的な発言を行っている  ・第2次世界大戦にあたって、駐英大使でである重光葵を呼び、アメリカに参戦しないように要請をしている  ・チャーチルは、矛盾のようだが、日本を反共の防波堤とみていて、戦後も、吉田茂や、岸信介らを支援し、日本の皇室に対しても融和を示した。反日ムードの英国にあたって、皇太子の訪英を許可したのも、チャーチルである 何度も、政権を追われたチャーチルであったが、なくなる1年前まで、89歳で議員を務めている。 1965.01.24 逝去。その葬儀は、異例のエリザベス2世を迎えた国葬であった。 目次 序章 この時、この試練 第1章 樫の大樹 第2章 剣とペン 第3章 政治家修業 第4章 人民の権利 第5章 世界の危機 第6章 再び保守党へ 第7章 荒野の十年 第8章 もっとも輝ける時 第9章 勝利と悲劇 終章 チャーチルと日本 あとがき 増補版のあとがき 年表 ISBN:9784121905307 出版社:中央公論新社 判型:新書 ページ数:360ページ 定価:940円(本体) 1979年02月25日初版発行 1998年01月25日増補版発行

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2018/06/24

私は、チャーチルについて、殆ど何も知らなかった。 その為、この本は、かなり興味深いものとなった。戦地に飛び込んで行く、支離滅裂さと、 学問に集中する素晴らしさ。火事場を 喜ぶ無邪気さ。一つの事に集中すると、他は目に入らないなど、圧倒的純粋な心。この人を首相に選ぶなんて、イギリスか...

私は、チャーチルについて、殆ど何も知らなかった。 その為、この本は、かなり興味深いものとなった。戦地に飛び込んで行く、支離滅裂さと、 学問に集中する素晴らしさ。火事場を 喜ぶ無邪気さ。一つの事に集中すると、他は目に入らないなど、圧倒的純粋な心。この人を首相に選ぶなんて、イギリスかなり、ユーモアのセンスがある。

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2018/06/24

貧乏貴族から始まり、売れっ子作家、保守と自由とを行き来した政治家、逆境のイギリスを勝利に導いた首相の評伝。 政治家としての立場が、保守と革新の派閥を行き来きしたくだりは、解りづらかったが、タフなリーダーが生まれ形成された人生を概ね理解させてくれる。

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2018/06/01

17世紀に生きたチャーチルの祖先から始まる伝記。学生時代から落ちこぼれだったが、若い時から執筆活動を行ってその文才に磨きをかけていた。保守→自由→保守と党を移り、いくつか成立させた法案もあるが、失敗の方が多くしかも目立つ。ダーダネルス作戦の失敗により、約10年は政治に絡まずいたが...

17世紀に生きたチャーチルの祖先から始まる伝記。学生時代から落ちこぼれだったが、若い時から執筆活動を行ってその文才に磨きをかけていた。保守→自由→保守と党を移り、いくつか成立させた法案もあるが、失敗の方が多くしかも目立つ。ダーダネルス作戦の失敗により、約10年は政治に絡まずいたが、チャーチルが輝いたのは、やはり第二次世界対戦の時だった。多くの犠牲を払って勝利しても英国が失ったものは大きい。入門編というものの少々難解。ざっと流れをつかむのには良いと思います。

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2018/05/29

◆WWⅠ、WWⅡの英雄とも目される軍人あがりのイギリス著名政治家の評伝。ヒトラーに対抗し続けた長所の反面、その強硬姿勢が大英帝国の落日を招来したというのは皮肉でしかないのだろうか◆ 1998年(補訂前底本1979年)刊行。 著者は学習院大学名誉教授。  1900年頃から半世...

◆WWⅠ、WWⅡの英雄とも目される軍人あがりのイギリス著名政治家の評伝。ヒトラーに対抗し続けた長所の反面、その強硬姿勢が大英帝国の落日を招来したというのは皮肉でしかないのだろうか◆ 1998年(補訂前底本1979年)刊行。 著者は学習院大学名誉教授。  1900年頃から半世紀。大英帝国の没落の中、その最期に殉じたとも言えるチャーチル。  その政治家・軍人としての行動を、対立当事者や対抗政党、対抗国家のあり方を踏まえて広く渉猟する人物評伝である。  自分が移った政党が政権を担うことが多く、そういう意味で幸運とも嗅覚に優れていたとも言えなくはない。  とはいえ、意外な一面も多々開陳される。すなわち、反共の権化=自由主義の過大評価=敗者への冷遇というステレオタイプ的な政治思想家ではなく、商務相時代、漸進的な労働問題解決策を提示している。具体的には健康保険や労働保険の拡充がそれだ。  さらに内相時代、ボーア戦争時の捕虜体験が奏効したのか、行刑制度改革に乗り出し、政治犯の処遇改善、執行猶予や保護観察制度の積極的活用(つまり懲役案件の絞込みと抑制)、アイルランド自治への寛容な姿勢といった寛容政策も、現実主義的に採用する度量と定見を有していたところだろう。  とはいえ、ストライキ(特にゼネスト)など労働運動には強圧的。軍隊導入も辞さずという姿勢は、ナチス降伏後の総選挙で敗れた遠因にもなっていて、この件はチャーチルの面目躍如の感がある。  なお、細かい点では、アイルランド内乱勃発。これが第一次世界大戦開戦で表面化しなかった点、大恐慌時代に蔵相だったチャーチルが金本位復帰に否定的で、かつケインズ的政策の採用を打診していた点(実行されず)。また、演説は入念に準備し記憶していた点(つまり当意即妙という能力は乏しい)が挙げられるか。  というように評伝としては微に入り細を穿つ印象が強いが、英国政党の合従連衡と変遷、20世紀英国の政治システムと社会問題の内実、アイルランドを軸とする植民地・自治領との政治的・経済的関係性、そしてチャーチルの出自を彩る清教徒革命・名誉革命での父祖の内実とその経過。これらを知っていた方がよりよく理解できそうに感じられる。  なお、本書でも、ナチスドイツと宥和せず、徹底的に交戦し続けたチャーチルの姿勢が、大英帝国、つまりイギリス植民地支配政治を完全に叩き潰す結果となったという背理を語っている。まぁ英国近現代史の共通認識なのだろう。

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2017/02/26

イギリスがEU離脱を決め、アメリカで風変わりな大統領が選ばれた今、「イギリス現代史を転換させた政治家」の伝記を読んでみた。本物の貴族であるチャーチルにはノブレス・オブリージュを感じる。また、天真爛漫な自己チュウからか働き盛りに「荒野の十年」を経験するなど、想像以上に波乱万丈な人生...

イギリスがEU離脱を決め、アメリカで風変わりな大統領が選ばれた今、「イギリス現代史を転換させた政治家」の伝記を読んでみた。本物の貴族であるチャーチルにはノブレス・オブリージュを感じる。また、天真爛漫な自己チュウからか働き盛りに「荒野の十年」を経験するなど、想像以上に波乱万丈な人生だったことが分かった。それだけに初組閣後の「私は運命とともに歩いているかのように感じた。私のこれまでの生涯がすべて、この時、この試練のための準備に他ならなかったと感じた」は感慨深い。歴史を意識しながらの強烈なGRIT, 今そのような政治家は見当たらない。

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2013/10/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

チャーチル(1874-1965)の評伝である。モールブラ公爵家に生まれたチャーチルは当時の英国上流階級のならいで、乳母に育てられ、あまり両親にかまってもらえず、またラテン語ができなかったために、軍人の学校に入った。若い頃はあちこちの戦争におしかけ、勲章をあつめた。南ア戦争で捕虜収容所から脱出、一躍英雄になった。知名度を得たチャーチルははじめ保守党から選挙にでて当選するが、チェンバレンに関税の勉強をするように進められ、自由貿易論者になり、自由党にうつった。自由党では商務省長官、内相などを歴任、失業保険の基礎をつくった。第一次世界大戦時は海軍大臣だが、東方作戦の失敗で罷免され、野にくだった。ロイドージョージによって軍需相に呼び戻され、戦車の戦線配備を行った。戦後、保守党にうつり、蔵相になる。反ソ干渉戦争やゼネスト弾圧など、共産主義とたたかった。戦間期は10年ほど野にくだった。ドイツの台頭に備えるように常に訴えていたが、彼の意見は用いられなかった。ドイツのポーランド侵攻によって、総理になり、不屈の闘志で戦争を遂行し、党派をこえた人民の戦争とした。第二次大戦後は台頭した労働党に対して、野党の党首として対立、ヨーロッパ・アメリカなど西側陣営をまとめた国際的政治家となったが、大戦期にきざしたイギリス凋落の趨勢を救うことはできなかった。基本的に戦争で輝くタイプの指導者であり、共産主義を憎悪していた。蔵相時代にはケインズにこき下ろされている。

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2013/05/02

ウィンストン・チャーチルの伝記。 名言が結構あるってことくらいしかチャーチルの事知らなかったから、いい勉強になった。 一回読んだ感じだと、自分が任された領域については驚異的な行動力でやり通す人だと感じた。他人の縄張りの政策よりも自分の縄張りの政策が優先、そういう考え方だから、立場...

ウィンストン・チャーチルの伝記。 名言が結構あるってことくらいしかチャーチルの事知らなかったから、いい勉強になった。 一回読んだ感じだと、自分が任された領域については驚異的な行動力でやり通す人だと感じた。他人の縄張りの政策よりも自分の縄張りの政策が優先、そういう考え方だから、立場が入れ替わると前と言ってることが逆じゃないかということにもなったり…。 でも、「これが優先、何を犠牲にしてでもやり通す」って方向決めて突っ走れる政治家だったから戦争時の首相には適役だったのかも知れない。

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2012/03/27

チャーチルの手紙  ‘人生には、いろいろ不完全な点がありますが、それでも、時には、非常に面白いこともあります‘    クレメンタインへの手紙、卓越した警句を語るチャーチルらしい口説

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2009/10/04

 チャーチルって…イギリスでは結構嫌われていたんですね…。それはともかく、本書はチャーチルの人となりを知る上ではよかったのですが、政治におけるダイナミックさの記述に欠けていたような気がします。それがチャーチルだって言われたらそれまでですが。

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