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わたしの出会った子どもたち の商品レビュー

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22件のお客様レビュー

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灰谷健次郎の自伝風エ…

灰谷健次郎の自伝風エッセイ集。日本の有数な大造船所で4人も働く灰谷一家がどうして貧しい生活なのか。変な上司に当たったら、一生うだつがあがらない勤め人の宿命。

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子供の目線で考えられ…

子供の目線で考えられる先生に感動しました。自分もそうなれてるといいなぁと思います。

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こんな先生がいたらい…

こんな先生がいたらいいのになぁ。こんな先生に出会いたかったなぁ。すごく胸にしみました。

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今読んでも胸がふるえ…

今読んでも胸がふるえます。灰谷先生と同じ目線を持った教師がたくさんふえてほしいです。子供たちに愛情をいっぱい注ぎたくなる一冊です。

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2023/06/04

なぜか本棚にあった本で手に取った。母が好きだった本で実家から持ってきたのだったろうか。子育てに悩んだときに手に取った。自分の悩みが吹き飛ばされるような感覚があった。

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2022/08/15

高校生の頃に出会った本。 物語の子ども達の境遇や、彼らを優しく、慈悲深く見守る先生の姿と、そのやりとりと結末に、なんとも言えない想いを強烈に抱きました。価値観が変わり、その後の人生の指針となった本。

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2024/06/14

2回目を読もう。(HPの日記より) 1998.10.3、東京都千駄ヶ谷での灰谷健次郎氏の講演会で本書にサインをいただいた。(HPの日記より) 【2024.6.14 3回目読了後の感想】 子どもがキーワードとなり、26年ぶりに読んだ。氏のサイン会でサインをいただいたこの文庫本だけ...

2回目を読もう。(HPの日記より) 1998.10.3、東京都千駄ヶ谷での灰谷健次郎氏の講演会で本書にサインをいただいた。(HPの日記より) 【2024.6.14 3回目読了後の感想】 子どもがキーワードとなり、26年ぶりに読んだ。氏のサイン会でサインをいただいたこの文庫本だけ手元に残していた。 氏の本はそのころ30冊以上読んだ。きっかけは「兄貴も読んだ方がいいよ」と弟から言われたことである。 さて当時の私はどんな気持ちで読んだのだろう。よく覚えているのは、たくさん読んで子どもの気持ちをわかろうとしたことである。また、当時ばりばりの宇宙開発の仕事の忙しさの中で、宇宙に目を向けるよりも、子どもにかかわる仕事に着いた方がいいのではないかと悩んだことである。 本書は氏が幼少から中学校卒業後の極貧・差別生活のあと、兄が自殺をし、教師になったが矛盾した生活に苦しくなり、沖縄に放浪し心を癒され、また子ども教育へ戻っていく過程・心情のエッセイをまとめたものである。 今回読み直してみて、氏のすさまじい経験は分かったが、あまり心が動かされることがなかったのは意外だった。子どもの激しい気持ちを表現した作文はよく覚えていた。また、当時のように子どもに関わりたいと思うことは無かった。 ※1998年購入@長津田駅ブックスSAGA、初版  1998.8.12読了(2回目)  2024.6.7読書開始、6.10読了(3回目)

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2020/02/17

灰谷さんの生い立ちや子どもたちとのかかわりを書いている。灰谷さんって人格者の熱血先生って感じの人かと思っていたけど、この本を読むとそうでもなさそう。冒頭の若くて仕事がなかった頃の話なんてなかなか壮絶。精神的にも荒んでいた感じがするんだけど、それがどうして子どもたちの本当の姿をちゃ...

灰谷さんの生い立ちや子どもたちとのかかわりを書いている。灰谷さんって人格者の熱血先生って感じの人かと思っていたけど、この本を読むとそうでもなさそう。冒頭の若くて仕事がなかった頃の話なんてなかなか壮絶。精神的にも荒んでいた感じがするんだけど、それがどうして子どもたちの本当の姿をちゃんと見ることができる人になれたのだろう。 ガムを万引きしちゃった女の子と向き合った話が出てくるんだけど、昔の傷を思い出してしまった。私も友達の家からなぜか雑貨を隠し持ってきて母に諭されて白状したことがあったなあ。そのとき怒られなかったけど、母が悲しかっただろうことが今なら想像つくし、その後同様のことをせずに生きてこられたのは母に怒られるでもなく諭されたあの場面があったからだろうなあ。 同じような子ども時代の思い出がある人ってけっこういるんじゃないかと思うけど、今の子どもたちどうなんだろう。総理大臣もその場しのぎで軽々とウソをつく世のなかで、子どもたちにも罪を認めたら負けとか、しれっとすり抜けるような技を教えちゃう大人が増えてきているような気がしてしまう。

Posted byブクログ

2016/06/12

沢木耕太郎読んだときにも感じたことだけど、俺はエッセイがダメなんだなぁ。全く興味を持てないし、字滑りを起こしているだけだ。好みの問題なんだろうけど、俺は受け付けなかった。この人の作品に期待。

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2014/01/04

・たとえば、朝、養護学校にいく為に、スクールバスが迎えにくる場所まで歩く数百メートルの道のりを見るだけでいい。 かの女はたくさんの生き物を友達にしていることを知るだろう。 仕出し屋の猫に、朝のあいさつをする。残飯を食べ過ぎて体が酸性になった猫は機嫌が悪い。そんなとき、かの女は笹の...

・たとえば、朝、養護学校にいく為に、スクールバスが迎えにくる場所まで歩く数百メートルの道のりを見るだけでいい。 かの女はたくさんの生き物を友達にしていることを知るだろう。 仕出し屋の猫に、朝のあいさつをする。残飯を食べ過ぎて体が酸性になった猫は機嫌が悪い。そんなとき、かの女は笹の葉を猫にやるということを知っている。 かの女は一休みする。 やはり木の葉に止まって一休みしているハチが、体内の余分の水分を口から出すのを見ることがある。 その小さな水玉は朝日を浴びて、このうえなく美しい。 かの女はそれを、ハチのシャボン玉吹きといっている。 マツバボタンにも、朝のあいさつをする。 「おはようさん」 といって、一本のオシベに触れる。すると、触れていない他のオシベまで、かの女の方に傾いてあいさつをする。そういう修正をかの女は知っている。 言語障害をともなっているかの女の「おはようさん」は、もちろん他の人には「おはようさん」とはきこえない。 しかし、ぼくはこの朝のあいさつの中に、生命の充実を感じる。言葉にならない言葉の中に優しさがこめられていることを知る。 たった数百メートル歩くあいだに、ずいぶんたくさんの生命を見つけ、そして、それと交感している。 そういう子どもに、ぼくたちは 「あんな子、生きとって何の楽しみがあるんや」 という言葉を投げつけることによって、自ら非人間となったのだ。 スピードというものをとりこんだぼくたちは、かわりに失ったものがいくつもある。 「あんな子、生きとって…」という言葉はそっくりそのまま、かの女からぼくたちに向かって投げ返されいる言葉なのだ。 ある日、ぼくは重大なことを知る。 かの女をプールに連れていったときのことである。 危険がいっぱいの子だからと辞退する親を説得して、ぼくはかの女をおぶって連れていったのだった。 水着に着替えさせ、水に入れると、かの女は嬉々として手足を動かすのである。 意外だった。 そういう子だから、水は恐がるものだとばかり思っていた。ぼくはいくぶん拍子抜けしたような気分にもなったけれど、かの女の喜びがぼくにも伝わって、ぼくは、胸が熱くなった。 プールの端から端へ、かの女の体を支えてぼくは進んだ。 顔に水がかかると、いっしゅん息をつめ、それから何かおいしいものでも食べたように、ぷああんと満足げに息を吐いた。 二十五メートル進んで、かの女はプールサイドに手をかける。かの女は振り向いて笑った。ほんとうに美しい笑顔が、ぼくの顔を見上げている。 信じられないことだった。 麻里ちゃんが笑った。麻里ちゃんが笑っている。 ぼくの胸に熱いものがこみあげる。 そのとき、あることに気がついて、ぼくはぎょっとする。 ぼくには今、かの女の笑顔が笑顔として見えている。しかし、かの女と何のつながりもない人は、かの女の笑顔が笑顔に見えないのだ。かつてのぼくがそうであったように―。

Posted byブクログ