盲者の記憶 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
視るについて考え中。2冊目。 何よりこの本の元となったルーブル美術館の企画展がいい。 「美術史や美学以外の領域で仕事をしている作家、哲学者、批評家などに委託してルーブルのコレクションから任意の作品を選び出し、独自の読解によってその作品群に新たな意味を付与する」ことを狙った一連の企画のその第一回をデリダがやったということで、この本はその企画展の為に書かれたテクストだという。 そういう企画展を、日本の美術館もどんどんやるべきだ。とっとと日本美術をそのつまらない日本美術史から解き放たねばならない。 以下は僕の理解なので、メチャクチャ読み間違えてるかもしれない。正直、読みやすいとは言いにくい。フランス人が苦手なのか、フランス語の日本語訳テクストが苦手なだけか。 素描を描いているその瞬間、素描画家は、盲目である。それがどういうことか、わかりにくいかもしれないが、まさに今、自分の描いている線は見えない、というところから盲目性が発生していく。更にその線は盲者が暗闇を手探るように進んでいく。 また、描き終わった線というのにも盲目性がある。描き終わった線は線ではなく、画面になっているので、もはや線としては見えてないからだ。 というようなところから始まって、最後は、人の目の機能は見ることでなく泣くことだ、ってところに至っていく。その途中から、内容は面白くても本の主題からは迷子になったようで、涙が目の機能、というのと、盲者の記憶、というところをくっつけきれなくなる。 やっぱりフランス人は苦手なのかもしれん。 特筆すべきはやはり添えられている図版のセンスが素晴らしい。さすがデリダだし、さすがみすず書房。 ということで、デリダの言ってることを全体として把握はできなくても、部分部分としてはとても面白かった。 視ることについて考えなおす、という当初目的の意味ではとても良い読書になった。
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盲目=現在・過去・未来の総合としての純粋時間性 それゆえ、聴覚の強化(より遠くへ)と、直接的接触が可能になる。 描線は盲目=パフォーマティブ?
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