エピクロスの園 の商品レビュー
画家ポール・ゴーギャンの作品に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』というものがある。ではこの問いにどう答えるか。 例えば、アナトール・フランスの『エピクロスの園』p.52はひとつの方向性を示す。「人間にその存在理由とその究極の目的を教えることはもろ...
画家ポール・ゴーギャンの作品に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』というものがある。ではこの問いにどう答えるか。 例えば、アナトール・フランスの『エピクロスの園』p.52はひとつの方向性を示す。「人間にその存在理由とその究極の目的を教えることはもろもろの宗教の力であり仁愛である。科学と知的自由との現代において我々のほとんど皆がそうしてきたように、道徳的神学の教義をしりぞけた暁には、なぜわれわれはこの世にいるのか、何をしにこの世にやって来たかを知る手だては、もはや何一つない」そして「運命の神秘はその力強い秘儀の中にわれわれ全部を包み込んでいるので、生の悲劇的な不条理を残酷なまでにかんじないためには、本当のところ何も考えない人間でなければならない。そこにこそ、我々の存在理由についての絶対的な無知にこそ、我々の悲哀と我々の嫌悪との根源はある。」また「(中略)信仰の耀きが消えた世界においては、悪と苦痛とはその意味までも失ってしまい、もはやおぞましい悪ふざけや不吉な笑劇のようなものに見えるばかりである」という。 好き勝手にふるまい放蕩の限りを尽くす先に、この問いを発見する。そしてその問いへの回答として、自らの絶対的な無知を自覚する。こうした不条理こそが、末法の世に生きる我々の一生涯の耀きだと思った。
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230610026 すべてのことについて、自らが深く考えていく。もちろん、時代の変化はあるが大切なことは変わらない。深く、自らが考える。
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「大衆」と題した随想の全文である。感情が迸(ほとばし)ると衆愚となり、責任と理性を働かせれば集合知となるのだろう。 https://sessendo.blogspot.com/2021/11/blog-post_20.html
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心臓がドキドキする系の絶品。読んでいて実際に激しい動悸がおさまらなくなるときがありました。 鋭い人間一般への洞察を、あくまでも現実に繋がった形であらわした随想集です。あくまでも、何がなんでも人間に執着する姿勢は、執念といってもいいような大きな感情を感じさせます。 著者の人生観は、...
心臓がドキドキする系の絶品。読んでいて実際に激しい動悸がおさまらなくなるときがありました。 鋭い人間一般への洞察を、あくまでも現実に繋がった形であらわした随想集です。あくまでも、何がなんでも人間に執着する姿勢は、執念といってもいいような大きな感情を感じさせます。 著者の人生観は、底に深い諦念をおき、そうでありながら決して悲観的なものではありません。穏やかな諦めの上には、人生のところどころにあらわれる美との感応への明るい称賛があります。美との感応こそが善への通路の入り口であり、そこにおいて人生は楽しまれるのですね、と感じました。この内容で560円(税別)とは、あまりにも安すぎるので大幅に値上げしてもかまわないな、とも感じました。
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