存在論的、郵便的 の商品レビュー
東浩紀のデビュー作。フーコーで言えば『知の考古学』にあたるような、最も理論的に整理されている著作。 その後の東浩紀の仕事を受け取った2026年の我々からすれば、理論的には20世紀の時点で完成されていることがはっきりとわかる(というよりも、遡行的な一貫性の宿る回路があらかじめ著作...
東浩紀のデビュー作。フーコーで言えば『知の考古学』にあたるような、最も理論的に整理されている著作。 その後の東浩紀の仕事を受け取った2026年の我々からすれば、理論的には20世紀の時点で完成されていることがはっきりとわかる(というよりも、遡行的な一貫性の宿る回路があらかじめ著作の中に組み込まれていると言った方が妥当だろうか)。 最もエキサイティングなのは第四章。論証の結果、第三章までのデリダ読解が、方法論的に躓いていることが明らかになり、突如として本作は打ち切られる。
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若かりし頃の東浩紀さんの研究成果が一冊にまとめられ、自身初の単著でもある本書。東さんの思想の原点とも言える内容と思われるため、いつか挑もうと思っておりました。 いよいよその時かと本を開いてみると・・・ あっけなく打ちのめされました。 最初から最後までずっと難しい!読めた気が...
若かりし頃の東浩紀さんの研究成果が一冊にまとめられ、自身初の単著でもある本書。東さんの思想の原点とも言える内容と思われるため、いつか挑もうと思っておりました。 いよいよその時かと本を開いてみると・・・ あっけなく打ちのめされました。 最初から最後までずっと難しい!読めた気がするのは、あとがきのみ。 東さんが近年刊行の著書をいかにわかりやすく大衆向けに書いてくれていたことか、その親切心を身に沁みて感じております。。。 千葉雅也さんが自身の本で「推理小説のようにも読めるエキサイティングな本」と評しておりましたが、エキサイトするにはそれ相応の教養が必要であることを痛感いたしました。 この本をエキサイティングに読むという目標を持って、ちゃんと遠回りして、哲学の入門書から読んでいきたいと思います。
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東浩紀によるデリダ論。脱構築とかグラマトロジーとか散種とか幽霊とか、独自の哲学理論を構築して70年代の現代思想に多大な影響を与えたデリダだが、中期にあたる著作には内容がひどく難解で何を言ってるのか、何がしたいのかよくわからないものがたくさんあるけど、これって結局何なの?なんでこん...
東浩紀によるデリダ論。脱構築とかグラマトロジーとか散種とか幽霊とか、独自の哲学理論を構築して70年代の現代思想に多大な影響を与えたデリダだが、中期にあたる著作には内容がひどく難解で何を言ってるのか、何がしたいのかよくわからないものがたくさんあるけど、これって結局何なの?なんでこんな意味のわかんないものを書いたの?というところに目を向け、詳細に解説している。そのために用いられるのが「存在論的」という言葉と「郵便的」という言葉。語れ得ぬものが世の中にはあることを言葉によっていかにして語るかという命題を己に課して書かれた本がデリダの中期著作群の役割、ということなのだろう。一応その論旨はわかったのだが、細かい部分についてははっきり言ってちんぷんかんぷんな部分が多く、到底すべてをちゃんと理解したとは言い難い状態でとりあえず読了。その答えを最後まで取っておきながら最終章へ論を進めていくやり方や、最後にそれら積み上げてきたものをうっちゃってしまうあたり、ミステリー小説のようでさえある(確かこれは千葉雅也が『現代思想入門』でも言ってた本書の感触)。まあよくわからないところはよくわからないものとして、据え置くってのは、ある意味でデリダ的と言えなくも無さそうだし、いずれまた読み直すときがくるかもしれないけれど、もうここらでこの文章は打ち切るべきだろう。
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「なぜ中期デリダはあのような奇妙な文章を用いたのか?」 という謎が提示され、ミステリ小説みたいにその真相に迫っていくのでワクワクした。 特に「散種」の説明はとても分かりやすく、初めて理解できた気がした。 しかし最後にはまさかのどんでん返し。 メフィスト賞かよ……!
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現代日本の哲学者であり批評家である東浩紀(1971-)による博士論文をもとにした研究書、1998年。もとは浅田彰と柄谷行人が編集を務める雑誌『批評空間』に連載されたもの。 □ 自分がこれまで「自己意識の形式化」と主題化して考えていた問題とは、本書に準えてまとめてみれば、或る形...
現代日本の哲学者であり批評家である東浩紀(1971-)による博士論文をもとにした研究書、1998年。もとは浅田彰と柄谷行人が編集を務める雑誌『批評空間』に連載されたもの。 □ 自分がこれまで「自己意識の形式化」と主題化して考えていた問題とは、本書に準えてまとめてみれば、或る形式体系に対して、①形式体系の内部で自己関係的命題を構成することで矛盾を導く「形式化」の問題(「論理的脱構築」、ゲーデルの不完全性定理を典型とする思考形式)であり、②さらにそうした事態を対象化して形式化それ自体に内在する自己矛盾を当の形式体系の内部へ繰り込んでしまう「否定神学」の問題(「存在論的脱構築」、ハイデガーの現存在分析を典型とする思考形式)であった。さらに本書では、単数的で独我論的な「否定神学」とは別の経路として、③複数的でコミュニケーション論的な「郵便」という隠喩=概念を仮定してデリダの読解を試みる(「郵便的脱構築」、フロイトの精神分析が参照される)。 それらはいずれも、「思考されるもの/思考すること」、「思考の対象/思考を可能にする条件」、則ち思考、意識、論理における「オブジェクトレヴェル/メタレヴェル」という階層化を巡る問題であり、「超越論的であること」とはどこにどのように位置づけられるのかという問題でもある。 □ 随分前から、いつか誰かがこの問題を主題にした論考を書くのではないかと、期待半分怖れ半分といった心地でいたのが、実はそれが四半世紀以上も前にすでに出版されており、しかも自分もその存在を知っていながらこれまで内容には触れずにきてしまったというのだから、なんとも拍子抜けしてしまうが、せっかく待ちに待って出会えた本書であり、自分がこれまでずっと憑かれたように拙くも考え続けてきた主題をこれほど精緻に図式化している本書であるのだから、これからも精読していこうと思う。 本書は、初対面のはずなのに長い付き合いの友人であるかのような、妙な存在である。この年齢になって初めて読み終えた本ではあるが、これは私にとっては青春の書であり、同時に青春の終わりの書であるかもしれない。
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現代思想のオールスターの言説を批判的に読み解きつつ、デリダの思想を読み解く試み。 二種類の脱構築。郵便、幽霊。転移。を理解するのがやっと。ところどころ、副次的にそういうこと!と儲けもん的に理解が深まる思想があった。
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東浩紀の博論 ・大陸哲学と分析哲学の双方に目配せ 哲学史的には、論理実証主義の登場やそれらのハイデガーに対する批判により、ドイツフランスを中心とした大陸哲学と、英米を中心とした分析哲学に哲学研究は2分される。東氏はこの本で、両者の知的伝統をを固有名に対する関心という点で比較したり...
東浩紀の博論 ・大陸哲学と分析哲学の双方に目配せ 哲学史的には、論理実証主義の登場やそれらのハイデガーに対する批判により、ドイツフランスを中心とした大陸哲学と、英米を中心とした分析哲学に哲学研究は2分される。東氏はこの本で、両者の知的伝統をを固有名に対する関心という点で比較したり、デリダサール論争に注目することによりむずびつけている。両知的伝統を踏まえた議論ができるという点は東氏の強みの1つだと思われるが、この点はあまり指摘されない気がする。 ・のちの議論の雛形 『動物化するポストモダン』や『ゲンロン』におけるいくつかの批評など、東氏の現在までの議論の分析枠組みがこの本で構築されている。
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ラカンもドゥルーズも読まなくていい。不毛な言語の羅列、思考の隘路。考えているふりをしたい人たちのための言説だ。社会は一歩も前に進まない。 デリダも同様だ。東氏の功績によって、「読まなくていい」がはっきりしてよかった。それにしても、快刀乱麻。ざっくり、ばさっと、難解な思想をさばい...
ラカンもドゥルーズも読まなくていい。不毛な言語の羅列、思考の隘路。考えているふりをしたい人たちのための言説だ。社会は一歩も前に進まない。 デリダも同様だ。東氏の功績によって、「読まなくていい」がはっきりしてよかった。それにしても、快刀乱麻。ざっくり、ばさっと、難解な思想をさばいていく。「紋切り型」(p256)のフランス現代思想をさくっとまとめる。見事。 デリダもラカンも分からなくていい。でも、そう納得するためにも、本書は読んだほうがいいだろう。
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ハイデガーの『存在と時間』を読んで、そこで幾度も用いられている論理形式に納得しかねた哲学素人がその乗り越えを期待して本書を手に取った。 『存在と時間』で根本的に疑問に思ったのは、ハイデガーが先生のようにポンポン新しい固有名詞を「現象学的手法」の名のもとにどこかから持ち出して、「そ...
ハイデガーの『存在と時間』を読んで、そこで幾度も用いられている論理形式に納得しかねた哲学素人がその乗り越えを期待して本書を手に取った。 『存在と時間』で根本的に疑問に思ったのは、ハイデガーが先生のようにポンポン新しい固有名詞を「現象学的手法」の名のもとにどこかから持ち出して、「それは存在的には××だが、存在論的には〇〇なのである」と、あたかも何かを理解したような気にさせる形式を一貫して採用していること。この論理は構造的には預言者とか宗教の伝道師が語るときのものと変わらないと思ったのだ。 この『存在論的、郵便的』では、ハイデガーの哲学にラカンの理論を併置し、両者に共通する、"ある固有名詞を特権化・絶対視し、言葉の意味全体の根拠としてそれを挙用する手法"を「存在論的脱構築」と名指し、それに対抗する言説としての「中期デリダ的文章」とその手法「郵便的脱構築」がフロイトを援用しながら言われている。 詳しく述べると、存在論的脱構築と郵便的脱構築では言葉の意味の不確定性(=超越論的シニフィアン)の取り扱いが異なっている。前者においてはその不確定性は、"一つの(ないしは有限個の)言葉の意味の不確定性"へと言語体系内で「皺寄せ」され、皺寄せされたその一点は言語体系内での定義が不可能なものとして言語の外部に依拠するとともに、その言葉以外の残余については意味の確実性が担保される。 後者においては、言葉の意味の不確定性は無数のそれぞれの言葉に分割されて宿っており、一つ一つのそれらの不確実性は記号がエクリチュールとしてのみ解釈される無意識の次元からの揺さぶりとして捉えられる。そして無意識は「転移」によって他者へと接続されている…。 本書を読み終わって、まず私は冒頭の疑問を通して私自身の物事の捉え方に潜む一切の恣意性を排除したかった、という私自身の欲望を理解することができた。この「恣意性の問題」は、第二章でデリダ派の問題として直接的に言及されている。本書を通じてそのことに対する明確な回答を得られたと思うのでとても満足している。 また、本書では言葉の意味の絶対化についてだけではなく、意識生活において何かに拘りそれを過剰に意味づけること一般に対しての批判もデリダから読み解かれていて、著者自身も最後の部分で「デリダに拘りすぎた」というニュアンスのことを言い性急に議論を終えている。 この態度はまさしく「観光客」的であるとともに、著者自身がこれまでに身を以て示して続けてきた在り方だと思い、ある種の感動さえ覚えたけれども、私自身もそのような転移的な読みや、実存の悩みの末に哲学書にのめり込むこと自体もそろそろ終わりにし郵便空間に身を委ねるべきである、と強く感じさせられた。人生の転機となり得る読書体験だった。
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頭のいい人が書く本。 小生も昔に同じ記号でも2つ以上の意味を持つことを考えていたことがある。 ハイデガーとフロイトの中間にデリダをおいている。ハイデガーの別名が存在論的、フロイトの別名が郵便的。タイトルに入れているだけのことはある。 デリダがどうして意味が難読の文章を書くの...
頭のいい人が書く本。 小生も昔に同じ記号でも2つ以上の意味を持つことを考えていたことがある。 ハイデガーとフロイトの中間にデリダをおいている。ハイデガーの別名が存在論的、フロイトの別名が郵便的。タイトルに入れているだけのことはある。 デリダがどうして意味が難読の文章を書くのかを理解したいという著者の気持ちがわかる。実に単純だ。しかし、それを知るために随分と紆余曲折して現代哲学を学ぶこともできる。 ゲーデルの不完全性定理は数学用語なので慎重に扱わなければならないが、本文に影響はないと思われる。
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