南原繁 の商品レビュー
南原繁の処女作『 国家と宗教――ヨーロッパ精神史の研究 (岩波文庫) 』が岩波文庫におさめられたので、それを読む手掛かりにと思い、少し古いが手軽な南原の評伝である本書を手にとった。著者はカントに根ざす南原の批判的理想主義に深い共感を寄せるが、『国家と宗教』においてナチズムや「天皇...
南原繁の処女作『 国家と宗教――ヨーロッパ精神史の研究 (岩波文庫) 』が岩波文庫におさめられたので、それを読む手掛かりにと思い、少し古いが手軽な南原の評伝である本書を手にとった。著者はカントに根ざす南原の批判的理想主義に深い共感を寄せるが、『国家と宗教』においてナチズムや「天皇制ファシズム」による国家の神話化を正当にも批判した南原が、にもかかわらず個人に先立つ民族の実在性を肯定したことに違和感を隠さない。確かに個人と共同体の矛盾相克をヘーゲルのように此岸において止揚するのではなく、カントに倣いあくまで二元論に立ち、その統一を理念の世界に仰ぎ見た南原にとって、ナショナリズムをどう位置づけるかは難問であったに違いない。南原はフィヒテ研究にその解決の糸口を求め、各人の文化的生の営みの延長に自律的な「民族的個性」の形成を信じた。だがフィヒテも結局は「地上における神の国」の実現を目指したのであり、それは国家と宗教の峻別を信条とする南原には受け入れ難いことだった。だとすればそもそも南原のフィヒテ理解が正当だったのかという疑問もでてくる。しかし評者にはそのような矛盾、あるいは両義性こそ南原の誠実さの現れであり、魅力だと思えてならない。南原にせよ弟子の丸山眞男にせよ、所謂「進歩的文化人」の大御所のような存在だが、彼らにあって凡百の追蹤者にないのはその複眼的思考であり思想の奥行きである。彼らを今読み直す意義はそこにあると思うのだが、著者にとってそれは夾雑物に過ぎないようだ。
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1997年刊。戦後(1946年2月11日)の東京大学総長演説にて、敗戦に打ちひしがれた人々に希望を与えた南原繁氏の人物評伝。儒教的教えのもとで成長し、その後、キリスト教に深く帰依した氏の理想主義的な政治哲学の形成過程を知るにはうってつけ。ただ、彼の著作が戦中に発禁処分とされなかった理由が、イマイチ判然とせず。また、彼の論に限らず、政治哲学は正しいものが理論的に決定されるものではなく、価値の選択にすぎない。となれば、特定の政治哲学の正当性を他者に説得することは原理的不可能ではないのか、という疑問が浮かんだ。 備忘録。①プラトンからフィヒテ。②全面講和派。昭和天皇退位論。日本国憲法の自主性確立に奔走。③近代個人主義に批判的だが、理想主義的。反マルクス・反ナチズム。④戦前の大学の自治に関しては「天皇と東大」の方が判りやすい。⑤対米開戦の日、「このまま枢軸が勝ったら世界の文化はお終いです」。
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丸山真男をはじめ数多くの俊秀を育てた政治学者・南原繁の評伝です。 南原の政治哲学を支えていたのは、カントやフィヒテなどドイツ哲学の研究でした。彼は、カントや新カント派の価値哲学から、「絶対価値」としての真・善・美そして正義の領域の自由を高唱しました。そしてこうした南原の政治哲学...
丸山真男をはじめ数多くの俊秀を育てた政治学者・南原繁の評伝です。 南原の政治哲学を支えていたのは、カントやフィヒテなどドイツ哲学の研究でした。彼は、カントや新カント派の価値哲学から、「絶対価値」としての真・善・美そして正義の領域の自由を高唱しました。そしてこうした南原の政治哲学が、ファシズムの時代における彼の大学における戦いと密接につながっていたことが解き明かされます。 その一方で南原は、カントが啓蒙的個人主義に制約されていたことを批判しており、自由な「自我」の「自己存立の根拠」を「他者」との「協働」に求めるというフィヒテの視点から、カントの限界を克服するための手がかりを求めようとしました。ただし南原は、カントからフィヒテへと帰依の対象を変えたわけではありません。フィヒテが「宗教的形而上学」から道徳や政治に対する宗教の絶対的優位を導いたことを批判し、こうした一元論を批判する視点を、ふたたびカントから獲得した真・善・美そして正義の価値並行論に求めます。こうして南原の政治哲学は、カントからフィヒテへ、そしてフィヒテからカントへという往還の中で確立されていくことになりました。 さらに本書では、戦後の自衛隊の設置や戦後講和などをめぐってなされた南原の発言が、彼の政治哲学に裏打ちされていたことを明らかにしています。
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すぐれた評伝が新書に収録されると初学者にその輪郭を理解するうえで好都合なことはいうまでもない。近代日本を代表する政治学者にして、戦後民主主義の枠組みづくりに大いに貢献した南原繁の足跡をスケッチしたのが本書である。類書が少ないなかで恰好の一冊となっている。 著者の加藤節氏は、丸山...
すぐれた評伝が新書に収録されると初学者にその輪郭を理解するうえで好都合なことはいうまでもない。近代日本を代表する政治学者にして、戦後民主主義の枠組みづくりに大いに貢献した南原繁の足跡をスケッチしたのが本書である。類書が少ないなかで恰好の一冊となっている。 著者の加藤節氏は、丸山眞男と共に南原繁に学んだ福田歓一門下。いわば南原の孫弟子。 周知の通り南原は無教会主義者内村鑑三の直弟子。信仰の立場からこの世の仮象に過ぎないものをうつ批判的理想主義の眼差しを引きつぎ、どのようにそれを具体化していくのかが南原の課題となる。 戦中の労作『国家と宗教――ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年)から戦後、東大総長に就任して、民主主義基礎論への展開がまさにその課題実践の経緯である。 戦前の国家至上主義は血を吸うことで成立したが、その反省をふまえ、戦後民主主義としての国家像は「道義的国家」である。そしてそれが日本国憲法の要請でもあると南原は説く。 昨今、国家を規制する憲法を無視したり、改革という美名のもとに、倫理や徳といったものを「えい、やッ」とばかりに放擲する姿に拍手が送られるなか、反倫理的な行為を抑制し、理想追求へ不断の努力を怠ってはならないと筋道をつけた南原の足跡は、時代を照射する輝きが秘められている。 おもえば首相・吉田茂は南原繁を「曲学阿世の徒」と罵った。 パワーゲームは、ゲームを批判する人間を「曲学阿世の徒」と封じ込めてしまう。吉田は偉かったとは思うが、根源的批判の眼差しをどこかで持ち合わせぬ限り民主主義は成立しない。 さて、本書は評伝としてそつなくつぼを押さえた一冊といえるが、やはり深めるためにはものたりないことも事実だ。 著者の加藤氏は、本書刊行後、「南原繁研究会」を組織し、テーマ別に共同研究を主催、その成果を精力的に発表している。本書を読み終えられ、深く考察したいというとき、EDITEXから刊行されている報告を読むことを進める。価格も1500円前後で大変財布にもやさしい仕様となっている。 ともあれ、本書は、振り返ってみなければならない人物の優れた入り口になろう。 南原繁研究会のwebは以下のとおり。 http://nanbara.sakura.ne.jp/
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