六ケ所村の記録 の商品レビュー
文庫版は全部で600…
文庫版は全部で600ページにも及ぶ非常に分厚い本だが、とても読み応えがあった。
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核廃棄物が青森に持ち…
核廃棄物が青森に持ち込まれている。これは地元の住民や県民はもっと怒っていいべきである。
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こんなにも様々なことが絡み合っていたのか、と嘆息が漏れた。 青森県のこの地に住みつき、血のにじむような過酷な環境で開墾をした人々の歴史、満州、そして朝鮮へ侵略を考えていた国の思惑と敗戦、飢饉、、、そこへ突如として突きつけられる「開発」の構想。 最初は石油コンビナートを作り、雇...
こんなにも様々なことが絡み合っていたのか、と嘆息が漏れた。 青森県のこの地に住みつき、血のにじむような過酷な環境で開墾をした人々の歴史、満州、そして朝鮮へ侵略を考えていた国の思惑と敗戦、飢饉、、、そこへ突如として突きつけられる「開発」の構想。 最初は石油コンビナートを作り、雇用を確保し、大きな都市になる、という触れ込みだったものが、いつのまにか石油の備蓄場になり、原子力船むつを受け入れることになり、そして最後は核のゴミ捨て場と変貌してしまった。それまでの経緯と巧妙なやり口が、具に記されている。 激しく糾弾するような筆致でもなく、それぞれの時代にその地を訪れ、その地の人に聞いた話を淡々と記した、という体裁だが、読んでいてあまりの理不尽さに怒りがこみ上げることもしばしばだった。 丹精こめて育てた、生活の糧でもある土地を、誰が危険なコンクリート詰めの施設のために手放したいと思うだろうか。そうせざるを得ない状況に追いつめられた背景には、貧困や、減反の政策や、地元の人間関係を巧みに利用した権力者の圧力があった、ということである。 もともとは上下2巻だったようだが、講談社の文庫で1冊にまとめられている。何十年にもわたって国が、政治家が、権力が、この地の人々に行ってきた仕打ちが記されたこの本には、まさに「記録」というタイトルがふさわしい。 時系列の移動や登場人物の多さで分かりにくいところもあるが、こういう現実は知っていたいという思いが強い。今現実に、政治家たちが行っているのも同じことにちがいない。こんなにも様々なことが絡み合っていたのか、と嘆息が漏れた。 青森県のこの地に住みつき、血のにじむような過酷な環境で開墾をした人々の歴史、満州、そして朝鮮へ侵略を考えていた国の思惑と敗戦、飢饉、、、そこへ突如として突きつけられる「開発」の構想。 最初は石油コンビナートを作り、雇用を確保し、大きな都市になる、という触れ込みだったものが、いつのまにか石油の備蓄場になり、原子力船むつを受け入れることになり、そして最後は核のゴミ捨て場と変貌してしまった。それまでの経緯と巧妙なやり口が、具に記されている。 激しく糾弾するような筆致でもなく、それぞれの時代にその地を訪れ、その地の人に聞いた話を淡々と記した、という体裁だが、読んでいてあまりの理不尽さに怒りがこみ上げることもしばしばだった。 丹精こめて育てた、生活の糧でもある土地を、誰が危険なコンクリート詰めの施設のために手放したいと思うだろうか。そうせざるを得ない状況に追いつめられた背景には、貧困や、減反の政策や、地元の人間関係を巧みに利用した権力者の圧力があった、ということである。 もともとは上下2巻だったようだが、講談社の文庫で1冊にまとめられている。何十年にもわたって国が、政治家が、権力が、この地の人々に行ってきた仕打ちが記されたこの本には、まさに「記録」というタイトルがふさわしい。 時系列の移動や登場人物の多さで分かりにくいところもあるが、こういう現実は知っていたいという思いが強い。今現実に、政治家たちが行っているのも同じことにちがいない。
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ざっと流し読んだだけだが、 とにかく恐ろしく寒く、貧しい土地であったことがわかる。 戦後、満州から戻った開拓者が今度はこの土地を必死に 切り拓いてきた。 しかし下北半島は三沢に米軍基地、むつには原子力船の母港と 貧しいが故にさまざまな施設を押しつけられてきた。 そして六ヶ所村...
ざっと流し読んだだけだが、 とにかく恐ろしく寒く、貧しい土地であったことがわかる。 戦後、満州から戻った開拓者が今度はこの土地を必死に 切り拓いてきた。 しかし下北半島は三沢に米軍基地、むつには原子力船の母港と 貧しいが故にさまざまな施設を押しつけられてきた。 そして六ヶ所村には核燃料サイクル基地が...。 弱者にすべてを押しつける構図に、自分も都市生活者として 利益を享受する側に属している。 そんなことを望んではいないのに...。
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六ヶ所村再処理工場のアクティブ稼働をめぐる人々の姿を描いたドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー」の前史ともいえる鎌田慧さんによるルポルタージュ。人間の暗部をこれでもかというようにえぐっている。後半は驚くべき事実のオンパレードである。 六ヶ所村は青森県の下北半島の東側に位置...
六ヶ所村再処理工場のアクティブ稼働をめぐる人々の姿を描いたドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー」の前史ともいえる鎌田慧さんによるルポルタージュ。人間の暗部をこれでもかというようにえぐっている。後半は驚くべき事実のオンパレードである。 六ヶ所村は青森県の下北半島の東側に位置する。ここは隣接する三沢市などの人たちからも「鳥も通わぬ村」「青森の満州」などと言われているという。そんな六ヶ所村がいかにして核施設が集中することになったのかを描いていく。 原発は「トイレのないマンション」との比喩をされている。これは見かけは立派だが、最後の処分ができない、との皮肉である。原発には使い終わった後に放射性廃棄物が出る。しかし、この始末を考えずに、乱立した。 そこで、持ち上がったのが再処理工場の計画。その候補地として上がったのが六ヶ所村であった。 この村は元々、土壌も豊かではなく、満州から帰国した人々が開拓民としてやってきた。しかし、人口は伸びようもない。70年の村の歳入を見ると、村税はわずか5%ほど。低所得者層が約半分を占める。 そんな村に工業化の話が持ち上がる。貧しい人々は開発の話に飛びついた。工業化されれば、出稼ぎに行くこともない。安定した収入が望める。しかし、やってきたのは石油の備蓄基地だった。しかも、その詳細は明らかにされない。県知事は県民のための開発というが、県は六ヶ所村になんの説明もない。 著者は「この開発の本質を物語っている。計画が明らかにされないのを理由に『計画発表を待ってから態度を決める』とするのは日和見というものであって、開発の俎に載せられてなお無抵抗と同じである。発表されたときは、事態は半ば終わっていよう」と書く。 後半では当初から六ヶ所村に核再処理工場を作る計画があったというのが明かされる。発展に遅れをとった青森県は、この「開発」に乗った。地元の有力県紙はそのアドバルーンをあげた。また、村もそれを容認した。 当時の古川村長はこんなことを言っている。 「人間が作るのは、人間は取り扱うものは、戦争に使う原子爆弾でも、使わなければ危険でないでしょう。原子力の平和利用は当然だと思うナ」 村人も「来たいというものを受け入れなければ、六ヶ所村はダメになる。心配だといってはたらきにいかなければ、飢え死にしてしまう」という。 この流れの中で、反対派は徹底的に弾圧された。泊漁業組合の組合長はあすは喉の手術という日に、組合長の解雇と長男の逮捕の知らせを聞いた。 核燃建設に反対していた三沢市のローカル紙の社主は令状なしに逮捕した。警察は帰り道を待ち構えて、逮捕し、6日間以上、勾留した。翌日の県紙は「原燃事務所玄関壊す 野辺地署 逃げた男 三沢で逮捕」と伝えた。 鎌田さんによれば、原燃への抗議運動があったのは事実だが、そのヒビが入った原因を作ったのが誰かを特定できるような状態ではなく、逃げたという事実もなく、帰路に向かっていただけという。 鎌田さんは「記者逮捕の重要性の認識をまったく欠如した『県紙』の姿勢は問われるべき」と書く。ほかにも、暴挙の事例に暇はない。「電事連、県政、警察、新聞が一体化しているといっても過言ではない」とある。 村は崩壊してしまった。ある人は「畑も部落も人間の心もこわされてしまった」と嘆いた。原子力の平和利用という考え方には一定の理解ができるとしても、原子力の施設を作るために、不幸が生まれている、という事実はどう受け止めたらいいのだろうか。 あとがきでは東北地方の大地震と大津波の危険性も指摘している。いくつかの印象的な文章を引用する。 「もっとも危険な放射性物質を保存し、加工しようとするのは、安全性の信頼をその押し付けによっているが、自然の猛威を完全に制御し、事故を完封できると信じたがったにしても、それは利益に目のくらんだ、電力会社や電機会社の経営者の迷信でしかない」 「すべての危険性を六ヶ所村に押しつけて解決したと思っている無関心は、将来、事故発生によって報復される危険性が高い」 1991年の鎌田氏の警笛はいま、現実のものになっている。同書は現在、絶版。復刊が待たれる。
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