神々の精神史 の商品レビュー
小松和彦 「神々の精神史」 民衆の思想に関する論考集。最終章を読むまで、寄せ集め的な本の構成と思っていたが、 最終章の筑土鈴寛 論を読むと、この本は 筑土鈴寛の視点を伝えるために必要な論点を一冊に集めた論考集に思う 最終章の 筑土鈴寛 論が一番面白い。異端の民俗学者とのこと。...
小松和彦 「神々の精神史」 民衆の思想に関する論考集。最終章を読むまで、寄せ集め的な本の構成と思っていたが、 最終章の筑土鈴寛 論を読むと、この本は 筑土鈴寛の視点を伝えるために必要な論点を一冊に集めた論考集に思う 最終章の 筑土鈴寛 論が一番面白い。異端の民俗学者とのこと。筑土鈴寛 は、日本文化の底流にある伝統的思想〜日本人の精神の古層、深層の精神史を考察しているようだが、著作が見つからない。 民話「ものくさ太郎」を使った構造分析は、物語の中の対立や類似の構造を取り出し 民衆心理の体系化を試みた思考実験のような面白さを感じる #金春禅竹 「明宿集」についての考察は、翁に 神(農耕神)と鬼(祟り神、荒神)の側面を見出す論調。たしかに能面は 神が人の形をとった生き神のようにも見える。
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・トリックスターとは、単なる「いたずら者」ではない。非日常の状態におかれ、生命の危険にさらされたときの、日常的で道徳的な目からすれば、「悪」としかいいようのないことを敢えて犯すことによって生存し続けることに成功してきた、もっとも醜悪な人間の智恵の表現なのである。 ・笑いとは、生...
・トリックスターとは、単なる「いたずら者」ではない。非日常の状態におかれ、生命の危険にさらされたときの、日常的で道徳的な目からすれば、「悪」としかいいようのないことを敢えて犯すことによって生存し続けることに成功してきた、もっとも醜悪な人間の智恵の表現なのである。 ・笑いとは、生理学的にいうならば、筋肉の弛緩であり、筋肉が緊張していたときに必要とされていたエネルギーが急速に不要となったために、<笑い>という形をとって放出されたものである。すなわち、ある秩序にしたがって思考していた読者が、突然に別の秩序にそって思考することを迫られ、そのため思考の平衡状態が混乱し乱されてしまったために、方 向性を欠いたエネルギーが放出したものが笑いなのである。
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「民間伝承と呼ばれるものは、総じて一種の再話つまり民衆の記憶装置である。それ故、民話を研究するという作業の最終的な目的は、民話という依代に憑依し隠れ棲んでいる民衆の歴史の記憶を、そこから解放し活性化させることにある。だからこそ、民俗学は民衆の精神の考古学なのである」こうした記述に...
「民間伝承と呼ばれるものは、総じて一種の再話つまり民衆の記憶装置である。それ故、民話を研究するという作業の最終的な目的は、民話という依代に憑依し隠れ棲んでいる民衆の歴史の記憶を、そこから解放し活性化させることにある。だからこそ、民俗学は民衆の精神の考古学なのである」こうした記述にフーコーの響きを感じない人はいないだろう。若く先鋭的な民俗学者の一面が垣間見られる著書。力のこもった著述で、やっぱりこの人はその後大きな仕事をする人になるということが自然に納得できる。あと、自分自身に引き寄せて言えば、やはりかなり若い時に読んだ本なんだけれど、「明宿集」への言及や宿神、アカマタ・クロマタなど、今の自分が一番興味を持っていることとすでに出会っていたんだなと驚く。
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本書は、一九七八年に刊行された伝統と現代社版の、増補新版として一九八五年刊行の北斗出版版にもとづいて、一九九二年一月、福武書店(現ベネッセ)から刊行されたものを原本とする。
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