虚構の時代の果て の商品レビュー
1 ・阪神淡路 危機管理問題と他でもありえた偶有性 →無念の死 自己が「自己同一性を超えたもの」でもある ・オウム地下鉄サリン 国家に擬した集団によるテロ行為のよう 陰謀史観 Armageddonの前哨戦 あらん限り近い他者 4割のスパイ 2 見田「現実と理想・夢・虚構」 理...
1 ・阪神淡路 危機管理問題と他でもありえた偶有性 →無念の死 自己が「自己同一性を超えたもの」でもある ・オウム地下鉄サリン 国家に擬した集団によるテロ行為のよう 陰謀史観 Armageddonの前哨戦 あらん限り近い他者 4割のスパイ 2 見田「現実と理想・夢・虚構」 理想 未来に着地することが予期・期待される=現実の因果的な延長上 虚構 現実に無関連でありうる可能世界=純粋な反現実 戦中→黒、敗戦直後→灰色、60年代前半→ピンク 60年代の流行歌の転換点 坂本「上を向いて歩こう」 連合赤軍事件 前後民主主義(アメリカ)Stalinism(ソ連) →失敗→終末論 サブカル 村上春樹 世界の終わり 3 ポル・ポト クンダリニー=サリン 秋山英俊 千葉大学文学部に提出した卒論 4 オウムの出家信者に与えられるワーク 虚構は、否定的な形式において、現実に依存するほかない、と。現実を全的に否定する力を想定することで確保される〈超越性〉によってのみ、虚構(可能世界)の有意味性(魅力)が確保されるからである。 5 空虚なことば 他者として生きる 6 総括とポア
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一人の人間にとって不可避的に解消不能なものとして対峙せねばならない対象が二つある。 他者と社会である。 他者は私が体験する初めての現実的衝突、精神的な規制を敷く圧制者として現れる。そして社会とは人生が大方このシステムによって規定される意味で無意識レベルでの影響、不退転の存在を...
一人の人間にとって不可避的に解消不能なものとして対峙せねばならない対象が二つある。 他者と社会である。 他者は私が体験する初めての現実的衝突、精神的な規制を敷く圧制者として現れる。そして社会とは人生が大方このシステムによって規定される意味で無意識レベルでの影響、不退転の存在を意識させるメタ抑圧である。 抑圧とは私の意欲を削ぐモノと云った意味である。他者からの抑圧は働き掛ける方向性が外部から直接的にわたしの中にメッセージが届けられる意味で極限的な接続性を持つ。 人間集団が存在している限り、一個人は多数の他者から不快を示すメッセージを次々と受け取り続けねばならない。私が他者を不快に感ずるのは、不快だと云う意味を躊躇無く他者へ訴え示す余りにも身勝手な安直性についてである。行動とはまさしく他者に働き掛ける意味で二重性を纏う。自分が他者に訴えるメッセージの直接性に対して、他者はそのように私が思っている事実に対してより包括的な不快を更に強力な直接性として表現する。不快感は人間同士で伝え合う以上、メタレベルにまで深化せずにおれない。 この不快感を押し付ける抑圧に一人の人間としてどう対処しうるだろうか。 まず、抑圧はあくまで自分の問題として身に受けるべきだ。その意味で自分が何に抑圧されているかを明確にする必要がある。他者は、私が無意識的レベルでも顕現的レベルでも抑圧されてない状態にある事を、望ましいものとして欲するだろう。その意味で、本当の抑圧原因である対象から私が逃げている場合、他者は何らかの信号を発して、私の態度はいま間違ってるから改善するべきだ、と認識させようとするだろう。 他者は、私が己の態度を認識し自覚する自己認識レベルよりも、深い位置から観察し、批判解釈できる立場にある。 他者は包括者なのだから。 私は、自分の問題として真の敵である抑圧に向かって真剣に戦ってるか否か、によって他者からの批判を受けるべきだと考えている。他者は、真剣に戦ってるか否かに焦点を置いて、不断にその者の生活を透徹するような視線を凝らして、観察し続けている。私が私に与えられた試練を乗り越える事を目指しているように、誰もが自分の人生として己の試練を認識し、勝利に向かって前進しようと戦いながら生きている。世の中の実情とは、意外とシビアに出来ているのだ。 この問題意識から逃げようとすれば、他者は容赦なく不快感を発して、私に警告しようとするだろう。 個人主義の社会に生きる我々は、生き方はそれぞれ違えど、意識の中では互いに極限的な直接性として繋がり合おうと欲している。現代は、心のネットワーク社会なのだ。私は、彼らとより良き共存関係を築けるよう、自分の人生に打ち勝たなくてはならない。
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「人びとの行為を規定しているのは、何を信じているかではなくて、何を信じている他者を想定しているかである。自らは虚構を信じていなくても、その虚構を信じている他者を想定して行動してしまえば、虚構を信じている者と結果的には同じことをやってしまう」 「かのように」動けば、まさにその通り...
「人びとの行為を規定しているのは、何を信じているかではなくて、何を信じている他者を想定しているかである。自らは虚構を信じていなくても、その虚構を信じている他者を想定して行動してしまえば、虚構を信じている者と結果的には同じことをやってしまう」 「かのように」動けば、まさにその通りの人物になる。 そんな諺があったような気もするが、この引用はまさにそのことを指しているように思う。 宗教を信じる、というとどこか遠い異世界のような気がする。 その感覚はかなり日本人に共有されているような気がするし、僕自身にとってもそうだ。 宗教を信じている人は別物、それゆえに彼らはいつまでたっても他者であって、自らとの共通項を見出すことができない。それゆえに彼らはいつまでも「気持ち悪い」存在となる。 ただ、「信じる」という行いは、たとえば風刺画で描かれるような狂信者のそれのようなものなのだろうか?信じるということはあまりにもステレオタイプに受け取られているが、「信じる」一つとってみても様々なバリエーションがあるのではないだろうか。 たとえば行動。信じていないとしつつ、「かのように」行動をするということはよくある。宗教がらみでいえば法事だってそうだろうし、お盆だってそうかもしれない。 行動を取ることでその行動にまつわる信仰は必ず意識される。それに自意識で抗うか抗わないかの差はあるだろうが、いつまでも己の行動に対して否定的な気持ちだけで埋め尽くし続けることは難しい。信仰とまではいかないとしつつも、その行動に対して好意的になるということはよくあることだ。 そしてこの「好意的」になるということは、外部から見ればまるで宗教的な態度、ということもよくある。宗教は信仰するものではなく、好きになるもの――そういえば昔『仏教が好き!』という名の本がたしかにあった――と見なすことも可能なわけだ。 私は別に新しい定義づけがしたいというわけではまったくないけれども、「信じる」にせよ「好き」にせよ、外部から見れば変わらないということはよくある話であって、そしてそうである以上、どちらも「信仰」の一つの形態と見なすこともできるに違いない、というのが現在の僕の立場である。
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「アイロニカルな没入」についての記述が実に興味深かったです。「ナウシカ」や「寄生獣」といったサブカルとリンクさせた分析も素晴らしい。
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[ 内容 ] われわれにとってオウムとは何か。 なぜ彼らは毒ガス・サリンを生成し、使用しなければならなかったのか。 なぜ彼らは、近代の資本システムを貫通する。 永遠に終わらない時間の対極に、破局的な終末論を求めなくてはならなかったのか。 まさしく地下鉄サリン事件とは虚構の時代の果...
[ 内容 ] われわれにとってオウムとは何か。 なぜ彼らは毒ガス・サリンを生成し、使用しなければならなかったのか。 なぜ彼らは、近代の資本システムを貫通する。 永遠に終わらない時間の対極に、破局的な終末論を求めなくてはならなかったのか。 まさしく地下鉄サリン事件とは虚構の時代の果てに勃発した世界最終戦争だったのだ。 虚構と現実が交錯する現代社会の機制を鋭く撃つ、気鋭の社会学者による渾身の冒険的論考。 [ 目次 ] 第1章 妄想の相互投射 第2章 理想の時代・虚構の時代 第3章 サリンという身体 第4章 終末という理想 第5章 虚構=現実 終章 ポアの思想を越えて [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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理想の時代 旧新宗教ー『貧病争』からの救済、現世志向的。共同体重視。 高度経済成長期 理想の原理主義的絶対化の結果としての赤軍 虚構の時代 新新宗教ー『生の空しさ』、現世離脱志向的。自己責任論理。メシアニズム。 『意味』の大きさを『情報』の濃度が圧倒するーおたく 相対主義の時代...
理想の時代 旧新宗教ー『貧病争』からの救済、現世志向的。共同体重視。 高度経済成長期 理想の原理主義的絶対化の結果としての赤軍 虚構の時代 新新宗教ー『生の空しさ』、現世離脱志向的。自己責任論理。メシアニズム。 『意味』の大きさを『情報』の濃度が圧倒するーおたく 相対主義の時代 オウム真理教 『極限的に直接的なコミュニケーション』 波動としての身体間の共鳴現象、無記名な、気体の身体へ シャクティ・パッドーPSI(ヘッドギア)ーサイバーパンク、ナウシカ 『終末論』 ユダヤ教において初めて直線的時間における終末論が現れる。プロテスタントの、神が現世を超越するものとする抽象化(修道院の否定、カルヴァンの予定説)により時間が無限化する。また神の超越性の徹底化により資本主義が現れる。超越性は理想を次々に消耗し神という形象を持てないほどに抽象化してしまう。 オウムの終末論は資本主義の原理が働く無限に終わらない世界を破壊しようとするものだった。 『人間の行為を規定しているのは、何を信じているかではなく、何を信じている他者を想定しているかである。』 この任意の他者の存在によりアイロニカルな没入という事態が起こってしまう。任意の他者は抽象性、超越性をもつ。『第三者の審級』と呼ばれる。時代により神であったり自由意志であったりする。 相対主義の徹底化は、やがて相対主義的であることの絶対化へと転化する。もう一段階の相対化が必要である。
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すこし確認したいことがあってパラパラと読む。真木悠介のこと。真木の『時間の比較社会学』は、時間論を展開する本では必ずと言っていいほど参照される古典であり、ここでもかなり多くの頁を割いて紹介されていた。人間の時間感覚を古代/ヘブライ/近代と区分けする真木の論旨はたしかにとても有用な...
すこし確認したいことがあってパラパラと読む。真木悠介のこと。真木の『時間の比較社会学』は、時間論を展開する本では必ずと言っていいほど参照される古典であり、ここでもかなり多くの頁を割いて紹介されていた。人間の時間感覚を古代/ヘブライ/近代と区分けする真木の論旨はたしかにとても有用なツールである。でもこれ、本当に使っていいのかな。原書に直接あたって確認しないとナー
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終末論という授業を受ける上で、さらに自分の中のオウム問題や終末思想の理解の深度を深める上で、村上春樹の『アンダーグラウンド』と並び、大きな支えとなり、僕を助けてくれた一冊。 特にオウムの否定的終末論をどう乗り越えていくか、という大きな課題に果敢に挑んだ大澤真幸の巧みな論理構成に圧...
終末論という授業を受ける上で、さらに自分の中のオウム問題や終末思想の理解の深度を深める上で、村上春樹の『アンダーグラウンド』と並び、大きな支えとなり、僕を助けてくれた一冊。 特にオウムの否定的終末論をどう乗り越えていくか、という大きな課題に果敢に挑んだ大澤真幸の巧みな論理構成に圧倒されっぱなしだった。 これからも度々この本をフィードバックすることで、一層の終末論的理解を深めていきたい。ポアの思想を越えて、という小題には身震いしたほど(!)。
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