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政治ジャーナリズムの罪と罰 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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ジャーナリズムの良い…

ジャーナリズムの良い点、悪い点などを徹底検証。

文庫OFF

ちゃんとした報道がで…

ちゃんとした報道ができない、新聞が詰まらない、そんな理由にも言及しています。

文庫OFF

2017/01/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

1996(底本1994)年刊行。日経新聞政治部記者の著者が、政治部記者による報道を一刀両断に切る書。上杉某氏が主張するまでもなく、記者クラブ制度に対する舌鋒鋭い批判は既になされていたのである。また、外交行事に付き添う政治部記者の余り質の高くない記事にも言及。げんなりする読後感だが、その理由は、新聞記者のレベルの高くないことを本書が暴露する中身だからで、著者の責任でないのは勿論。個人的には、新聞記事は余り面白くないと思っているが、その原因は20年前と何も変わっていない。こう本書からは伝わってくる。

Posted byブクログ

2015/09/24

本書は第一線で活躍する現役記者が、政治ジャーナリズムの本質的欠陥を指摘した本である。平成8年の発行。 なぜ、新聞は面白くないのか。事実の検証能力に欠けるのか。金丸神話や小沢神話を作り上げてしまうのか。政治を良くするために不可欠な新聞蘇生の処方箋を提示する必読の書。 本書を読...

本書は第一線で活躍する現役記者が、政治ジャーナリズムの本質的欠陥を指摘した本である。平成8年の発行。 なぜ、新聞は面白くないのか。事実の検証能力に欠けるのか。金丸神話や小沢神話を作り上げてしまうのか。政治を良くするために不可欠な新聞蘇生の処方箋を提示する必読の書。 本書を読むと、十五年経った今でも、問題に変わりがない事がわかる。本書の中で、「我が国のテレピはメディアではあるけれど言論機関という意味でのジャーナリズムとみなされるところまでは、まだ成熟していない」とある。 時を経た今、テレピの現状をみたとき、果たして、成熟に向かっているのだろうか。(政治ジャーナリズムに限らないが)僕には未熟のまま腐敗しているようにも感じられる。 進歩のない新聞とテレピが今後、生き残っていけるのか?不幸なことに、本書の指摘はいまだ輝きを失っていない。

Posted byブクログ

2009/10/04

政治ジャーナリズムの在り方は大衆迎合的でワイドショー的なものになり下がっている。 ことアメリカでジャーナリストとしての経験を積んだ人にはこういった意見が多い。簡単にいえば日本のジャーナリズムの現場は腐っているのだ。過剰な予測報道が横行し、その反省をすることもない。予測だから間違...

政治ジャーナリズムの在り方は大衆迎合的でワイドショー的なものになり下がっている。 ことアメリカでジャーナリストとしての経験を積んだ人にはこういった意見が多い。簡単にいえば日本のジャーナリズムの現場は腐っているのだ。過剰な予測報道が横行し、その反省をすることもない。予測だから間違っても良いという了見なのだろう。政治の現場を踏み、政治ジャーナリズムの最前線にいる記者たちが政治家の組織に組み込まれてしまっているのだから当然そのような事態が起こる。自律した記者として日本のジャーナリズムの現場に存在し続けるのは不可能なのだろうか。組織人ジャーナリスト、会社のための記事、誤報、日本のジャーナリズムの現場では何が起こっているのか、そしてそれらは解決されうるのか。 結局のところ、外から啓発的なメッセージを送りつづけたとしても内部の人間の意識改革なしには大きな変革は起きない。 自分は好き好んで毎週ニューズウィークを読んでいるけど、1週間の出来事を単に振り返るだけの記事であってもニューズウィーク自身の意見が載せられている。特集ともなればその言説の切り口と主張の鋭さには感動すら覚えることがある。当然すべての記事が署名記事だ。 日本の記事は「足して2で割った記事」が多い。いわゆる不偏不党の考えのもと構成されたどっちつかずの記事だ。1つの見方からの意見を書いたのち、それに対抗する意見を載せ、さあどう考えますか?という流れだ。そしてどうしてどちらかの意見を主張しないかに関してはこう答える。 「客観的な事実を伝えなければならないから」 「国益に反してはいけないから」 と。 しかし、この書き方が完全に間違っているとは言えない。 少数派の意見を尊重することはジャーナリズムの一つの重要な機能だからだ。しかし、意見の持たない報道機関ほどおかしいものはない。ジャーナリストは出来事を客観的に見つめ、それに対する意見を自分の倫理観や価値観に照らし合わせて分析するプロフェッショナルでなければならない。プロとして記事を書くのに、自分の意見を載せていけないとはどういったことなのだろうか。出るくいは打たれる的な理論なのだろうか。 優秀なジャーナリストはフリーとなって活躍するのが最近では主流だ。 おそらく企業のための記事を書き続けることと、自分の主張を通したいという感情との間のジレンマに耐え切れなくなったのだろう。 だからこそ思う。自分も現場に立ちたいと。

Posted byブクログ