快楽主義の哲学 の商品レビュー
未来的、持続的幸福を否定し、刹那的、個人的快楽を進める書。 既存の価値観全てに疑いの目を向け、自らの本能に忠実になるよう勧める。 たしかに快楽主義的な生き方をしている人には面白い人が多い。自分を守ろうとせず、非常に動物的である。 しかし、全ての人がそのような生き方ができるのか。...
未来的、持続的幸福を否定し、刹那的、個人的快楽を進める書。 既存の価値観全てに疑いの目を向け、自らの本能に忠実になるよう勧める。 たしかに快楽主義的な生き方をしている人には面白い人が多い。自分を守ろうとせず、非常に動物的である。 しかし、全ての人がそのような生き方ができるのか。 例えば僕にしたって、周りの人々の目などが気にかかり、自分の本能に忠実になれない時が多々ある。僕のような場合、そうすることがそうしない場合に比べてストレスにならないのだ。 ただ澁澤龍彦さんは現在の私のような生き方は自分の可能性を狭めているという。 僕には自分の可能性を広げる勇気がないのかもしれない。
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ああ、いるいる、こんな人。というのが第一の感想。 反社会的とかいう表現は安直すぎて相応しくないかもしれないけれど、社会やら道徳やらは置いておいて我が道を突き進むタイプというのでしょうか。 くだらない小さな悩みに囚われている自分をどうにかしたくて読んだけれど、こんな人にはなれない...
ああ、いるいる、こんな人。というのが第一の感想。 反社会的とかいう表現は安直すぎて相応しくないかもしれないけれど、社会やら道徳やらは置いておいて我が道を突き進むタイプというのでしょうか。 くだらない小さな悩みに囚われている自分をどうにかしたくて読んだけれど、こんな人にはなれないし、別になりたくもないな、と思った。 快楽主義そのものについては…わかったような、わからなかったような。 著者の趣味で性快楽の章がやたら充実していた他は、とくに対したことは書かれていなかったと思う。 解説を読む限り、この本で澁澤氏を判断するのは極めて不本意な事であるようなので、また別の作品を読んで見ましょうか。 サブカルぶった中高生が読んだら…こじらせる子もいるかもしれない。
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日常の幸福ではなく、非日常の快楽について、考えさせられる本です。週末のレジャーやちょっとした遊びが、どれほど、不自由な思想で動いているか、気づきになります。 自分にとっては、変わった視点でしたが、共感できるところも納得できるところも多数あり、よかったです。
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結構、内容は哲学的で面白いのだけれども、ほんの少しエロさも混じっている。読むのに時間が掛るが悪くない。
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人生に目的などはありはしない。ただひたすら快楽を求めよ、それが異端でも構わない。一匹狼を辞するな。という扇動が込もったシブサワ哲学。 なるほどな、と思ったのが、幸福と快楽は違うということである。一見、類似しているかのような二つの言葉だが、意味が全然違う。まず、幸福とは苦痛を回...
人生に目的などはありはしない。ただひたすら快楽を求めよ、それが異端でも構わない。一匹狼を辞するな。という扇動が込もったシブサワ哲学。 なるほどな、と思ったのが、幸福と快楽は違うということである。一見、類似しているかのような二つの言葉だが、意味が全然違う。まず、幸福とは苦痛を回避するものだ、という。確かに、幸福というイメージは平和、安泰、保険などがあり、どれも苦痛を回避している。澁澤はこれを苦痛の欠如とも言っている。 ところが、快楽となると、これは進んで快感を求めることである、という。例えば、おいしい料理をたらふく食べたい、絶世の美女(または美男)を手に入れたい、という欲求が快楽であるという。 なるほど、確かに幸福ばかり続くとつまらない。「日常に刺激が足りない」とよく言うが、この刺激こそが澁澤の言う快楽なのであろう。 澁澤自身、黒魔術についてだったり、妖怪についてだったり、超常現象についてだったりと、様々な日常とはかけ離れたものを好んでいた。それは小説にも見られ、澁澤の書く小説は「衒学的だ」、「異端だ」、「役に立たない」と人々は揶揄し、非難したそうであるが・・・私は首を捻ってしまう。私には、澁澤の書くものが、人間の自然的快楽欲求に叶っているとしか思えないからである。そういうお気楽な幸せ者たちに、「非難されるのはどちらなのか」と、思わず訊きたくなる。
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幸福は主観的なものであるが、快楽は客観的なものである。快楽とは「感覚に根ざしたもので、万人に共通したもの」と定義し、これを求めて不断に突き進む快楽主義を薦めていく。幸福などというあやふやなものにすがって、ちっちゃくまとまろうとする青年に向かって、揺さぶりをかけるために、意図的に...
幸福は主観的なものであるが、快楽は客観的なものである。快楽とは「感覚に根ざしたもので、万人に共通したもの」と定義し、これを求めて不断に突き進む快楽主義を薦めていく。幸福などというあやふやなものにすがって、ちっちゃくまとまろうとする青年に向かって、揺さぶりをかけるために、意図的に挑発的な論考を彼は提示する。自分でつくりだす快楽、実践のうちにつかみ取る快楽こそ、ほんとうに魅力あるものなのだと発破をかける。ところで、快楽への追求は、ひとつのism、つまり主義になった瞬間にある種の禁欲主義と漸近することになる。幸福より快楽を―――その道は決して平坦ではないのである。 第一章 幸福より快楽を 第二章 快楽を拒む、けちくさい思想 第三章 快楽主義とは何か 第四章 性的快楽の研究 第五章 快楽主義の巨人たち 第六章 あなたも、快楽主義者になれる
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シブタツ流ユートピアイズムのアジテーション。30年以上前の作だが、今でも通用する。こういうのは十代で一度はかぶれておくもの。昔の哲学は、ある種の娯楽だったんだなあ。
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詳しくはあとがきを参照されたいが、この本はどうにも澁澤の手によるものとは思えない、或る種の鈍さがある。澁澤が勧める「快楽」はおおよそこの程度のものとは思えないし、おそらくは大衆に向け、大衆にぎりぎり受け止められる程度の快楽、そういうなんともケチくさい快楽が不自然に語られているよう...
詳しくはあとがきを参照されたいが、この本はどうにも澁澤の手によるものとは思えない、或る種の鈍さがある。澁澤が勧める「快楽」はおおよそこの程度のものとは思えないし、おそらくは大衆に向け、大衆にぎりぎり受け止められる程度の快楽、そういうなんともケチくさい快楽が不自然に語られているように思われた。(本書の中で、幸福をして「ケチくさい」と言うが、むしろ大衆受けする快楽こそがケチくさいのではないか。)その意味では「実用的快楽主義」と言えるだろうし、人生のどこかで躓いた時にこの本を捲るならば、このダンディズムに溢れた碩学のつむぐ言葉は大いに貴方の心をこのみみっちい世上から解き放ってくれるであろう。 しかしながら忘れずにとどめておきたいことは、澁澤の快楽主義、彼の多くの著書から横溢している真の快楽主義の哲学が存在するということである。その面妖な筆勢が惜しげもなく繰り広げられた多くの著作には、本書には到底描かれていないであろうさまざまな快楽主義の有り体が見受けられる。我々はそこに、澁澤龍彦というひとつの生をもって成し遂げられた<快楽>のより多くを知ることとなるだろう。
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何の新鮮味もないと思ったら40年以上前の本かー、くそっ。癇に障る口調で煽っておいて、その実践方法はというと、流行に流されない、他人と違っても気にしない、何でも試してみる、本をたくさん読む、労働を楽しむ…ツマンネ。 「すすんで労働を放棄し、できるだけ生産社会と絶縁して暮らすことが...
何の新鮮味もないと思ったら40年以上前の本かー、くそっ。癇に障る口調で煽っておいて、その実践方法はというと、流行に流されない、他人と違っても気にしない、何でも試してみる、本をたくさん読む、労働を楽しむ…ツマンネ。 「すすんで労働を放棄し、できるだけ生産社会と絶縁して暮らすことが、最も有効な個人の自我実現の道ではなかろうか」 著者が今のニートたちを見たらどう思うだろう。ほかにも突っ込みたいところあるけど多すぎてめんどいからやめ。 あと、「子どもを生むなんてことは、どう考えたって、それほどりっぱなことではありません」ってのは、自分が生きている間が全てだと思えばこういう結論に到るんだろうけど、これには賛同しかねる。 偉人の変態トリビアに5へぇ。そんだけ。
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本日のナビで紹介した澁澤龍彦の「快楽主義の哲学」のブックコードをお送りします。3.11以降の風潮に逆行するように思えますが、ある種突き抜けた感のある主張に、下手な自己啓発本よりもよっぽど為になるのでは、と思います。少なくとも、私はこの本は良書だと思います。
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