ものぐさ精神分析 の商品レビュー
人生の崖っぷちでこの…
人生の崖っぷちでこの本に出会った。思い出深い1冊!自分を責めすぎず、追い詰めないようにと、岸田秀先生は教えてくれた。悩める人に、自分と真面目に向き合いたい人にオススメします!
文庫OFF
人はもともと本能がぶっ壊れているため、生まれながらに幻想を求めて生きる宿命だが、それでもなんとか現実に合わせようとし、その幻想と現実との間で葛藤し、苦しむ生き物である、という話で全ての問題を説明しようとする本。 ______ ・全体的に面白い。すべて鮮やかに説明している風です...
人はもともと本能がぶっ壊れているため、生まれながらに幻想を求めて生きる宿命だが、それでもなんとか現実に合わせようとし、その幻想と現実との間で葛藤し、苦しむ生き物である、という話で全ての問題を説明しようとする本。 ______ ・全体的に面白い。すべて鮮やかに説明している風ですごい。フロイトは正直過去の遺物なのだが、こういうふうに昇華させるとまことしやかな感じがして面白い。 ・擬人論の復権は進化論について馬鹿げたこといってるな ・現実と超現実面白いな ・芸術は、幻想我の禁猟区であり、全てが許される大人の遊園地である…
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ずいぶん前に買った本は大正解だった。最近当たりが続いている。中には難解なところもあったが、とても面白い。日本国民は精神分裂病的であり、その素質を作ったのがペリー来航である、との分析は優れていると思う。外的自己と内的自己との分裂が発生し自己同一性の不安定さを生み、それが今なお(この...
ずいぶん前に買った本は大正解だった。最近当たりが続いている。中には難解なところもあったが、とても面白い。日本国民は精神分裂病的であり、その素質を作ったのがペリー来航である、との分析は優れていると思う。外的自己と内的自己との分裂が発生し自己同一性の不安定さを生み、それが今なお(この本の著述後40年以上経った現在でも)続いているのはよく分かる。 理論体系がしっかりしているから理解のしかたが一般的なものと逆になっているところだらけだが「言われてみればその通り」と思うところが多い。先の「日本近代を精神分析する」に続き、「一人称の心理学」「セルフ・イメージの構造」は現在自分の周りにいる人によく当てはまる人がいるせいか、具体的なイメージをもって読むことができた。
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人生最高の5冊を選べと言われれば、いの一番に頭に浮かぶのが本書。初めて出会ったのは中学生の頃だったと思うが、読んでいくうちにスーッと心が軽くなっていったあの体験。世界には色々な考え方があって、それを知ることで少しずつ自由になれるんだ、読書って面白い!と私少年は感動した。今後も何度...
人生最高の5冊を選べと言われれば、いの一番に頭に浮かぶのが本書。初めて出会ったのは中学生の頃だったと思うが、読んでいくうちにスーッと心が軽くなっていったあの体験。世界には色々な考え方があって、それを知ることで少しずつ自由になれるんだ、読書って面白い!と私少年は感動した。今後も何度も何度も読み返していきたい。
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父の本棚にあったのを覚えていて、なんとなく手に取りました。正直言って2022年に何かの資料とかでもなくこの本を読んでも世の中が変わりすぎて意味ないのかなあとかんじました。出だしのつかみだけ立派で後半がぼやける感じの編集もあいまって、もやもやしたまま読書を終えました。私の読解力の問...
父の本棚にあったのを覚えていて、なんとなく手に取りました。正直言って2022年に何かの資料とかでもなくこの本を読んでも世の中が変わりすぎて意味ないのかなあとかんじました。出だしのつかみだけ立派で後半がぼやける感じの編集もあいまって、もやもやしたまま読書を終えました。私の読解力の問題かもしれません、、。 でも、きっとこの本が出た頃の若者、特に男性はデートで自慢げにこの本の内容を女性にふいてたんだろーかと、、妄想し、胸糞悪いので感想を書いてみました。
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岸田流性的唯幻論はある意味ではポストモダンの走りかもしれない。初出の1970年代後半とは,高度経済成長が終わり,目標を見失いつつあったこの国で,「本能が壊れた」という表現がウケた時代だったのだろう。 共同幻想論との同時代性も気になるが,文化史的考察の対象としてであって,現代に生か...
岸田流性的唯幻論はある意味ではポストモダンの走りかもしれない。初出の1970年代後半とは,高度経済成長が終わり,目標を見失いつつあったこの国で,「本能が壊れた」という表現がウケた時代だったのだろう。 共同幻想論との同時代性も気になるが,文化史的考察の対象としてであって,現代に生かすテキストとしての価値はあまりないように思われる。 伊丹十三の解説が指摘するように,「わたしの原点」として明らかにされるのは,著者が「患者」であるということで,これはある種の当事者研究でもあるかもしれない。
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「常識」から外れている気がするから口には出せない自分だけが感じている違和感とか、みんなが「あるある!」とか「わかるー」とか言いながら共感しあっていることがイマイチ腑に落ちないことってあると思う。その違和感を私的幻想、みんなの共通認識を共同幻想として説明したのが本書。 人間は本能が...
「常識」から外れている気がするから口には出せない自分だけが感じている違和感とか、みんなが「あるある!」とか「わかるー」とか言いながら共感しあっていることがイマイチ腑に落ちないことってあると思う。その違和感を私的幻想、みんなの共通認識を共同幻想として説明したのが本書。 人間は本能が壊れた動物で現実世界との接触を本能に従って構築していくことができないからこそ幻想に理想を仮託して、社会を作ることを強いられた。 私的幻想と共同幻想の一致度が極度に低い状態が神経症なのであって、真人間とされている人間も私的幻想と共同幻想の一致度が高いだけ。両者とも幻想を抱えている点で程度問題でしかない。 性愛、恋愛、自己嫌悪についての章がなるほどと唸らされた。 結婚詐欺師的に若くして望まぬ相手と結婚した男が成り行きで一生を添い遂げる。一方で一生の愛を誓った相手を二、三年で気持ちが冷めて捨てる。筆者は前者の方が圧倒的に立派な夫だと看破する。曰く、恋愛とはお互いがお互いを愛しているという幻想をよりうまく抱き続けることであると。なんとも現代的というか物寂しくもある解釈ではあるがまあ要はお互いがお互いの幻想を擦り合わせようと歩み寄る努力抜きにして関係は続かないよねっていう話。 自己嫌悪は自分のことを自分で蔑む自己の裏側にもっと良くなれるはずだというまだ見ぬ到達点への憧憬がある。自己嫌悪をする人は自分の弱点を客観視しているようでいて、理想の自分を想定していることに気づかない傲慢な人間だと切り捨てる。 目が覚めるような読書体験でした。フロイトのエス、自我、超自我の話も含めて、興味の範囲が広がって嬉しい。
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昭和50年刊、歴史的名著とされる1冊。存在は知りつつ、食指を伸ばさなかったものを、読んでみた。 ★5つの章と2つ(ひとつ?)の章の落差が激しい。 ペリー来航で精神分裂した日本、ようやく西欧列強に比肩しうる国力を身につけたところで、ここで勝たねば元の自己同一性喪失の状態に逆戻りとの...
昭和50年刊、歴史的名著とされる1冊。存在は知りつつ、食指を伸ばさなかったものを、読んでみた。 ★5つの章と2つ(ひとつ?)の章の落差が激しい。 ペリー来航で精神分裂した日本、ようやく西欧列強に比肩しうる国力を身につけたところで、ここで勝たねば元の自己同一性喪失の状態に逆戻りとの恐れが、最後は特攻に繋がる無謀な日米戦争突入を不可避に。この性向は吉田松陰に遡る。 寅さん的なもの、よくできた家族にたった1人不出来なドラ息子、それが安泰な家族関係の安全弁との解説は納得感ある(厳密には寅さんは他の家族と血縁関係がないところにズレはあるが)。 性交も子育ても本能のみでは人間は種として存続できないため、文化・思想として、方向付けてやる必要がある。ジェンダーについては「性的倒錯」と括って精神側面にのみ要因を見出しているのは時代的にやむを得ないところか。 楽しい時間は早く過ぎゆく、その舞台となる竜宮城は子宮のシンボル…までは良いとして、そこに出たり入ったりするからと亀をペニスに擬えるのは流石に行きすぎか。 心理学不要論のあたりは、なにが言いたいのやら? セルフイメージは、かくありたい自分とのギャップを正当化するための思い込み、このあたりは納得感ある。 詩人のなりそこね、女の子の名前を頭に読み込んだ詩、大喜利か?! 最終章、わたしの原点、大東亜戦争の稚拙な作戦に関する記述は、冒頭章に重ねて、首肯できるものだが、母親との葛藤を最終解決するくだりは、やや予定調和に過ぎる観も。 「#ものぐさ精神分析」中公文庫、岸田秀著 Day56 https://amzn.to/35QQEwx
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印象に残った点を徒然に。 「日本近代は内的自己と外的自己が乖離した精神分裂病的である」、という見方に感嘆。しかし、その治癒方法を著者は明示していない。適切な治療法があるか。 「本能的行動を失ってしまったとき、人間の本能は欲望に変質したのである。個体保存本能はナルチシズムに変質し...
印象に残った点を徒然に。 「日本近代は内的自己と外的自己が乖離した精神分裂病的である」、という見方に感嘆。しかし、その治癒方法を著者は明示していない。適切な治療法があるか。 「本能的行動を失ってしまったとき、人間の本能は欲望に変質したのである。個体保存本能はナルチシズムに変質し、性本能はエロティシズムに変質した。欲望は、本能的形式と切り離されているため、自然の現実的諸条件と対応しておらず、したがって、挫折することが欲望の運命になった」、との見方。 これも個人の経験に照応してもうなずける。慾望が限りないということは、慾望は必ず挫折するものであるということの裏返しであろうか。 「イデオロギーの歴史は、ある意味で、幻想我の集団的投影の歴史である。幻想我をあるイデオロギーと同一視した者は、そのイデオロギーのために身命を投げうつのを惜しまなくなる。幻想我と同一視された理念にナルチドー(個体保存本能のエネルギー)が全面的に集中していれば、現実我の消滅、すなわち自分の死は何ら恐怖ではない。死の恐怖とは、ナルチドーの対象の滅亡に対する恐怖だからである。ナルチドーの対象とは「自己」にほかならず、すべてのナルチドーが集中している理念の永遠性を信じていれば、「自己」は永遠に不滅である、この状態が、いわゆる法悦の境地であろう。キリスト教の殉教者は歓喜にふるえながら十字架にかけられたであろうし、八紘一宇のための聖戦を信じていた特攻隊員は(もちろん強制された者を除いて)、敵艦に体当たりするとき、死の恐怖を感じなかっただろう」。との見方。 果たして個体保存のエネルギーが、自己の肉体の保全に向かず、完全にイデオロギーに集中することが可能であろうか。私自身は到底幻想我をイデオロギーに注力する精神構造は持ち得ないが。。一方、主義や思想に殉じる人の心のありようについて分かりやすく解きほぐしてくれた、私にとっては目からうろこの落ちるひとつの卓見には違いない。
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野生動物と違い、人間の子供の養育には、とても手間と時間がかかる。そのため、現在の「家族」という形が、社会を維持するために意図的につくられた・・・。「共同幻想」という考え方に、びっくりすると同時に、妙に納得してしまった。「常識的な人たち(笑)」からすれば、なんてとんでもないことを言...
野生動物と違い、人間の子供の養育には、とても手間と時間がかかる。そのため、現在の「家族」という形が、社会を維持するために意図的につくられた・・・。「共同幻想」という考え方に、びっくりすると同時に、妙に納得してしまった。「常識的な人たち(笑)」からすれば、なんてとんでもないことを言い出すのか!と激怒するだろうが、その人達が信じる常識ってはたしてどっから来たのか・・・。レールに沿って生きてる若い人にこそ読んでほしい1冊。子供向けの夏の100冊に入れてもいいぐらい。
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