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アウグスティヌス講話 の商品レビュー

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8件のお客様レビュー

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キリスト教神学の基礎…

キリスト教神学の基礎を築いた古代ローマ末期の哲学者アウグスティヌスの解説書です。本書は、アウグスティヌスと道元の思想の共通点を指摘し、キリスト教と仏教の接点をも示しているところが特徴的です。野心作と言えるでしょう。

文庫OFF

2014/11/01
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※このレビューにはネタバレを含みます

[ 内容 ] キリスト教神学の基礎を築いた古代ローマ末期の教父・アウグスティヌス。 その青年時代は、放蕩無頼だったとする通説を、筆者は名筆『告白』の鋭い読解により覆し、子供までもうけて離別した内縁の女性こそ、アウグスティヌスに最も大きな影響を与えた人物と説く。 「創造と悪」の章では、アウグスティヌスと道元の思想の共通点を指摘し、キリスト教と仏教の接点をも示した。 キリスト教理解のための必読書。 [ 目次 ] 第1話 アウグスティヌスと女性 第2話 煉獄と地獄 第3話 ペルソナとペルソナ性 第4話 創造と悪 第5話 終末と希望 第6話 神の憩い [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]

Posted byブクログ

2014/09/04

著者が京都の北白川教会で6回にわたっておこなった講話をまとめた本。著者は、アウグスティヌスやトマス・アクィナスについての浩瀚な研究書を執筆しているが、本書は一般の信徒に向けて平易な言葉で語られている。 第1話「アウグスティヌスと女性」では、アウグスティヌスの母モニカと、彼が16...

著者が京都の北白川教会で6回にわたっておこなった講話をまとめた本。著者は、アウグスティヌスやトマス・アクィナスについての浩瀚な研究書を執筆しているが、本書は一般の信徒に向けて平易な言葉で語られている。 第1話「アウグスティヌスと女性」では、アウグスティヌスの母モニカと、彼が16年にわたって連れ添った女性との関係についての考察を通じて、アウグスティヌスの人物像に迫っている。 また、キリスト教と仏教との対話についても、独自の観点が示されている。第3話「ペルソナとペルソナ性」の冒頭では、西谷啓治の議論に対する疑問が提出されている。西谷は、キリスト教の神の「ペルソナ性」を表象的な神として解釈し、その突破を図ったエックハルトを高く評価するとともに、大乗仏教の「空」の立場をよりいっそう優れたものとする解釈を示した。しかし著者は、こうした解釈は、キリスト教の「ペルソナ」に対する誤解に基づいているのではないかと述べる。著者は、アウグスティヌスの三位一体論などを参照しながら、父・子・聖霊の三者が「ウーシアにおいては一であるが、ヒュポスタシスにおいては三である」という解釈が定式化されたことが説明される。そして、父とともに子から聖霊が発出される働きが、「愛」として捉えられたと述べられ、ここには神が理解するものであると同時に愛するものであるという考えが見られることを指摘する。著者は、このような三位一体の理解に基づいて、人格としての神は表象の立場にとどまるという理解への反論をおこなっている。 その一方で著者は、アウグスティヌスの悪についての考察が、道元のそれと似ているという指摘をおこなっている。すなわち、神を愛して、自己に対する愛を殺すに至るような愛が神の国を作るという考えの中に、「山川草木悉皆成仏」についての道元の立場に通じるものを見ようとしている。

Posted byブクログ

2014/03/17

山田晶『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫、読了。筆者が北白川教会でアウグスティヌスについて「打解けた気分」で縦横に語った六話をまとめた一冊。1、アウグスティヌスと女性、2、煉獄と地獄、3、ペルソナとペルソナ性、4、創造と悪、5、終末と希望、6、神の憩い。定評を一新する好著。 ...

山田晶『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫、読了。筆者が北白川教会でアウグスティヌスについて「打解けた気分」で縦横に語った六話をまとめた一冊。1、アウグスティヌスと女性、2、煉獄と地獄、3、ペルソナとペルソナ性、4、創造と悪、5、終末と希望、6、神の憩い。定評を一新する好著。 賢母モニカとカルタゴ時代の同棲女性を扱う冒頭講話「アウグスティヌスと女性」が名高いが、2話「煉獄と地獄」、5話「終末と希望」に瞠目した。地獄に行く魂に希望はない。しかし、煉獄にゆく魂は清められるからその試練は「希望の苦しみ」である。 終末に対してどのように向き合うべきか。往々にして、真剣さゆえその準備の為に日常生活を放擲し過激な運動へ飛び込むか(全体主義的アプローチ)、ないしはとにかく自分の刹那的欲望を満たすか(個人主義的アプローチ)と極端になる。 前者は忘我的で宗教的にみえるが、そうではないし、後者は、計算的合理性から「醒めて」みえるがそうではない。聖霊は人を酔わすものでないし、単なるエゴイズムとは無縁であるのが信仰であり、終末を勝手に断定している所は共通する。 必要なことは、キリストの救いを信じ終末を「待つ」という態度だ。終末を待つことにより、信仰は浄化される。アウグスティヌスは蛮族蹂躙の中で『神の国』を著し、キリスト教的時間論を確立したが、その現実的認識に刮目させられる。 エセ宗教的忘我論、そして単純な利己主義を退けながら現実に関わっていくというアウグスティヌスの立場は、現代の我々の批判精神の早急さと、現状に対する諦めを厳しく批判するものだ。道元とのすりあわせもあり、スリリングな一冊である。

Posted byブクログ

2013/07/16

高校時代の恩師にもらった本の中にあった1冊。 この本のおかげでアウグスティヌスの哲学に出会い, 卒論も書き上げることができました。感謝。

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2012/12/26

読んでいる間中楽しかったですし、今もまた「読みたくなってきちゃう」くらいとても素敵な本です!オススメ^^ 山田晶、アウグスチヌスともに大好きになること間違いない・・と私は思っちゃいましたが・・

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2013/04/23

著者の真摯な姿勢に心を打つ。面白かった。こういう本を沢山読みたい。先人の教えを請う。私は先人の偉大さに敬意をもって接したい。

Posted byブクログ

2010/10/14

人物をスキャンダラスに取り上げねば注目されない。だから注目されにくい、しかし大事なことを伝えることはとても難しかろう。そんな中やさしくすらりと、そしてアウグスティヌス論に見られがちな「あいつエッチ」観を脱し書かれた本。

Posted byブクログ