田中角栄と「戦後」の精神 の商品レビュー
田中をしばしば襲った政治的危機を一再ならず救ったのは、結局新潟三区の指示だった。 自治省か郵政省は伴食大臣ということだったけれど、田中はここで電話とテレビに出会った。個人情報は電話で、マスはテレビでより速くより豊かに伝えるメディアは高度成長経済の水先案内人だった。新潟にもすぐ...
田中をしばしば襲った政治的危機を一再ならず救ったのは、結局新潟三区の指示だった。 自治省か郵政省は伴食大臣ということだったけれど、田中はここで電話とテレビに出会った。個人情報は電話で、マスはテレビでより速くより豊かに伝えるメディアは高度成長経済の水先案内人だった。新潟にもすぐに公衆電話が設置された。 田中に陳情する第一の意味は、できることと出来ないことの区分である。 田中はのちに建設省に巨大な影響力を築くが、それは田中が政界で出世、権力を握って、ただ上から支配しただけのもではない。それ以前から呑んだり食ったり驕ったり、細かい付き合いの積み重ねで人間関係をつくっていた。そういう地下水のように目立たないけれど確かな結びつきが新潟三区に公共事業を持ってくることに何ほどか役立っていた。
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