1,800円以上の注文で送料無料

鹽壷の匙 の商品レビュー

4

21件のお客様レビュー

  1. 5つ

    6

  2. 4つ

    8

  3. 3つ

    4

  4. 2つ

    1

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

表題作のほか「なんま…

表題作のほか「なんまんだあ絵」「白桃」「愚か者」「萬蔵の場合」「吃りの父が歌った軍歌」を収録。私小説なので同じエピソードが繰り返し出てくる。ストーリー展開よりも感情の描写で引き込む小説が好きな人には最高に面白いと思う。

文庫OFF

2023/05/21

表題作で三島由紀夫賞を獲っているが、納得の熟達した言葉回しとリリック。 特に、破滅的な女性とゆっくり墜落していくような『萬蔵の場合』は、好みドンピシャの内向的かつセンチメンタルな名作。 なお自分は作品を読む上で、作家の人間性には特に引っ張られないタイプだが、他収録されている私的な...

表題作で三島由紀夫賞を獲っているが、納得の熟達した言葉回しとリリック。 特に、破滅的な女性とゆっくり墜落していくような『萬蔵の場合』は、好みドンピシャの内向的かつセンチメンタルな名作。 なお自分は作品を読む上で、作家の人間性には特に引っ張られないタイプだが、他収録されている私的なエピソード・あとがきから、作者は相当なバケモノ(悪い意味で)の為衝撃を受ける人も一定数いそう。

Posted byブクログ

2022/05/05

私小説は罪悪感が透けて見えてあまり好きではないんだけど、これは罪悪感も肉親の怨みや惨さ暗さも全てを淡々の執拗に書き綴っていて、文学という感じがした。後書きで吉本隆明が言っているように、文学史や流れを超越した、思想もなく芸術性もなく、ただ「私」が孤立している。 将来自分に然るべ...

私小説は罪悪感が透けて見えてあまり好きではないんだけど、これは罪悪感も肉親の怨みや惨さ暗さも全てを淡々の執拗に書き綴っていて、文学という感じがした。後書きで吉本隆明が言っているように、文学史や流れを超越した、思想もなく芸術性もなく、ただ「私」が孤立している。 将来自分に然るべき文章が書ける日が来ないにしても、私は原稿用紙二万六千枚、自分の中に空井戸を掘って見ようと決心していた。 併し私は文子のことを語っているのではない。ある金貸し一族の物語りをしているのでもない。私という存在が呼吸した闇の力について語っているのである。

Posted byブクログ

2022/04/10

各登場人物の理解困難な悪意にこれでもかと焦点が当てられ、楽しく読めるものではないのは前提として理解したうえで、まあ何とか全短編を読み通した。だが最後の最後で「あとがき」を読んだとき、私の印象は悪い方へと全部ひっくり返ってしまった。 著者いわく「私小説は毒虫のごとく忌まれ、さげす...

各登場人物の理解困難な悪意にこれでもかと焦点が当てられ、楽しく読めるものではないのは前提として理解したうえで、まあ何とか全短編を読み通した。だが最後の最後で「あとがき」を読んだとき、私の印象は悪い方へと全部ひっくり返ってしまった。 著者いわく「私小説は毒虫のごとく忌まれ、さげすみを受けて来た。そのような言説をなす人には、それぞれの思い上がった理窟があるのですが、私はそのような言説に触れるたびに、ざまァ見やがれ、と思って来た」だって。何だそれ。私は自己肯定するために他人を見下したり悪態をつく人間を正当な小説家とは認めたくない。結局、本物の小説家ならば他人に噛みつく言葉を直接的に文章で晒す前に、作品へと消化(昇華)させるのに忙しいはずだから。 自ら私小説と書く位だから著者は小説のつもりかもしれないが、冷静に考えると、小説というよりもエッセイ、あるいはより狭義に見れば日記ではないか。いや、私はもっと否定的に見て、これらの諸作は「ヤンキーのケンカ自慢」としか思えない。つまり、自分の悪事体験や特異な人間関係、虐げられた境遇を“伝説”へと転写させる、あの独特の文化だ。(そう言えば「鹽壺」とかやたら画数の多い漢字を当てるのも、“羯徒毘璐薫'狼琉”的センスじゃない?) その点で、巻末の一文「私小説は悪に耐えるか」を書いた吉本隆明はさすがだ。慧眼をもって、車谷の作品と、“ルックルックこんにちは”の女ののど自慢で出場者が歌う前に延々と語られる不幸話のナレーションとに共通性を見出している。 ただし吉本も、登場人物の悪事の数々からウシジマくんのような理屈のつかない衝動のリアルさを見出したものの、車谷の小説技法としての心理描写がいかんせん脆弱だと察知したのではないか。この文章でも車谷作品の引用が多くなされているものの、内容のインパクトだけが俎上に載せられているように見える(吉本の一文は他所からの転載。つまりこの短編集のために書かれたのではない)。 何だか車谷は「私小説」という言葉を安っぽく使っているような気がする。 三島由紀夫は「金閣寺」で、吃音をもつ少年が海軍に入隊したてで帰省した青年が置いていった短剣を誰にも知られないようにそっと抜き、その鞘の内側に醜い一条の傷を付けたと書いた。また中上健次は「岬」「枯木灘」で、半分しか血のつながらない兄の自殺が主人公やその周辺を覆った見えない陰影を描こうとした。 今あげた2氏の作品と比べるだけでも、この本は大きく見劣りする。ましてや、小林秀雄の「志賀直哉」「私小説論」を読めば、私小説とは描写された自己の行動がいくら特異で独特であっても、そこに隠れる人間存在の真実性を正確に描写する手法であって、行動の外見とは真逆の、作家として作品に対する清澄と言うべき心情が重要な要素だとわかる。 さらに小説の読者にとって、小説に書かれたことが事実か創作かなんてどうでもいい。事実のみが書かれていれば小説としての純粋性が高いとかいう話ではなく、逆に創作を事実に織り交ぜることが苦手なボンクラ作家ではと勘繰りたくもなる。 以上が、私がこの本を著者が言うままに私小説と呼ぶのに抵抗がある理由だ。

Posted byブクログ

2021/06/18

20数年前に初めて読んだときに衝撃を受けた作品です。今回 再読してみて、「吃りの父が歌った軍歌」が面白いな、と思いました。珍しく、人間を褒めている箇所があるし。お母さんが言う「ガザニガはん、あれ悪魔の使いやったんや」この台詞には思わずクスッとしてしまいました。 若い頃には「萬蔵の...

20数年前に初めて読んだときに衝撃を受けた作品です。今回 再読してみて、「吃りの父が歌った軍歌」が面白いな、と思いました。珍しく、人間を褒めている箇所があるし。お母さんが言う「ガザニガはん、あれ悪魔の使いやったんや」この台詞には思わずクスッとしてしまいました。 若い頃には「萬蔵の場合」にドキドキしましたが、高橋順子著「夫・車谷長吉」の中にこの作品に関する事柄がさらりと書かれていて、ちょっと興醒めです。

Posted byブクログ

2021/04/21

「なんまんだあ絵」 やがて訪れるだろう自らの死を思ってむかついてる祖母と 都会で働きつつも里帰りするたび 母親の前で良い子を演じてしまう孫の目を通じ 時代の流れに取り残され 滅亡の道をたどりつつある名家の未来を暗示的に描いている 私小説作家と自ら任じる車谷長吉だったが 基本的には...

「なんまんだあ絵」 やがて訪れるだろう自らの死を思ってむかついてる祖母と 都会で働きつつも里帰りするたび 母親の前で良い子を演じてしまう孫の目を通じ 時代の流れに取り残され 滅亡の道をたどりつつある名家の未来を暗示的に描いている 私小説作家と自ら任じる車谷長吉だったが 基本的には、自然主義というよりも 太宰治や三島由紀夫に連なる存在であったことが これらの初期作品からうかがえる 「白桃」 持病持ちの少年の話 彼はどうも、興奮した時に発作を起こしやすいらしい それがまるで雷に打たれたような印象を残す 理不尽な天罰みたいに 「愚か者」 過去への未練は未来への希望でもあって それゆえ人は奇妙なモノが捨てられずにいたりする そして、それをうらやむ愚か者もいる 「萬蔵の場合」 ファム・ファタールというタイプ 虜にした男たちを破滅させるのが趣味みたいなものである 過去に傷を負っているのはどうやら事実らしいが しかし女優である どこまで信じていいのかわからない 萬蔵の場合はちょっとだけお馬鹿さんなので 女の言うことを真に受けてしまいがちだ それが女の心を多少なりとも動かした手応えはなくもない、が 遊ばれている感も最後まで否めないのだった 「吃りの父が歌った軍歌」 見栄と打算と古いしきたりが入り組んだ大人たちの思惑によって 「私」は叔父夫婦の養子とされた 街の学校に通わせたいから、という建前はあるものの 要するに、借金の担保として子供の面倒を押し付けたのであった 「私」の祖母は闇金融を営んでおり 金銭が絡む話だと、身内にも容赦なかったわけだが しかし、実家のほうも生活が苦しいことに変わりはなかった 「私」の家は、戦後の農地改革で土地の大半を失っていた …そんなことで、大人になってからもずっと 居場所のない感じに苛まれ続けている 同世代の若者たちのなかには わざわざ海外の戦争に首を突っ込んで 死んでしまう者もいた 当時はそれが国際人のありようだったのだが 「私」にはそこまで自分を追い込むこともできない なぜかといえば結局、実家のことが気がかりだからだろう てなわけで 実の親に愛想をつかされるようなことばかりしてしまう極道者 それが「私」だった 「鹽壺の匙」 例えば人間が宇宙に出たとして 酸素マスクを被らなければ死んでしまうのであるが 地球上においても似たようなことは言える 人間社会では観念上のマスクを被って 「私」を外界から隔離しなければならない そうしなければ、暗黙の掟によって社会的に死ぬのだ だが、ずっとマスクをしているうちに 本当の「私」の顔がわからなくなってしまうということもある わからないだけなら良いのだけど 本当の「私」の存在が 今ここにある私の生を阻害していると信じたとき 人は己を殺すこともあるだろう

Posted byブクログ

2017/03/21

『愚か者』については小説ではなく、 既に詩としての成り立ちを感じたのだがそれは、 観念的に過ぎて思考が置き去りにされる感覚と、 だからこそ見える不条理さの体現に、 言葉を操るひとつの極みを見る。 『鹽壺の匙』ですら25年前の作品であり、 当時の作者が執拗なまでに求めているであろ...

『愚か者』については小説ではなく、 既に詩としての成り立ちを感じたのだがそれは、 観念的に過ぎて思考が置き去りにされる感覚と、 だからこそ見える不条理さの体現に、 言葉を操るひとつの極みを見る。 『鹽壺の匙』ですら25年前の作品であり、 当時の作者が執拗なまでに求めているであろう、 "悪作"の姿を借りた生への希求が、 言葉が尖っているからこそ率直に、 実直に感じられるようにも思う。 おしなべて、 主観に足をすくわれそうになるのは中途半端な自我肥大であって、 実はどこまでも一貫する感情抑制と、 どこまでも言語化しようとする飽くなき切望と、 ある種の潔さの中からこそ、 作者が語っている言語化についての、 救済の装置 一つの悪 一つの狂気 であることが可能になるのだろう。

Posted byブクログ

2016/03/10

およそ旅に携えて持って行く本ではない。作者自身の狂おしい半生の私小説である。会社も馘になり、紹介状を書いてもらっても、反故にする。破滅すると分かっていてもズルズルとはまり込んで行く人生。 そんな本をステキであるべき旅行中に読めるか。と思うのだがそれが読んでしまう。怖い本である。 ...

およそ旅に携えて持って行く本ではない。作者自身の狂おしい半生の私小説である。会社も馘になり、紹介状を書いてもらっても、反故にする。破滅すると分かっていてもズルズルとはまり込んで行く人生。 そんな本をステキであるべき旅行中に読めるか。と思うのだがそれが読んでしまう。怖い本である。 KLのチャイナタウン2ホテルの本箱に置いてきた。

Posted byブクログ

2016/06/07
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

車谷長吉の短編集 「なんまんだあ絵」 「白桃」 「愚か者」 「萬蔵の場合」 「吃りの父が歌った軍歌」 「鹽壺の匙」 非常に読み易い。文章のリズムがいい、車谷が持つ独自のリズムと文体をからだと思う。 闇の高利貸しだった祖母、陰気な癇癪持ちで、没落した家を背負わされた父は、発狂した。銀の匙を堅く銜えた塩壷を、執拗に打砕いていた叔父は、首を縊った。そして私は、所詮叛逆でしかないと知りつつ、私小説という名の悪事を生きようと思った。 「赤目四十八瀧心中未遂」も読みたい。

Posted byブクログ

2015/09/20

独特な世界に浸っていくだけ。 独特のことば選び、文の置き方。 最初ごく短い短編が続き、リズムを取るのに難義するものの「萬蔵の場合」という作品ですっかり心とらわれました。 映画を見ているように、瓔子の部屋が浮かびます。描写にはないけど、部屋の引き戸はこうで、照らされる照明はこ...

独特な世界に浸っていくだけ。 独特のことば選び、文の置き方。 最初ごく短い短編が続き、リズムを取るのに難義するものの「萬蔵の場合」という作品ですっかり心とらわれました。 映画を見ているように、瓔子の部屋が浮かびます。描写にはないけど、部屋の引き戸はこうで、照らされる照明はこの明るさで部屋の隅は暗くて、というようにそのアパートが見えてくるような力を感じました。 そこからはこの独特な世界に浸っていくだけ。 静かな、そして暗い影を常にたたえた、どこかあたたかみのあることばたちに伴われ、あてもなく東京を、そして田舎をさすらう。 とてもゆたかな時間を過ごすことができました。

Posted byブクログ