トランクの中の日本 の商品レビュー
原爆は間違っていたと認めない限り、世界に平和は訪れない。この仕事をまっとうした2人に畏敬の念を抱く。人として正しくありたいと願う。
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終戦後、占領軍が駐留することが決まって、戦争を生き延びた人たちはどんな酷いことをされるだろうと、もう誰も助けてはくれない恐怖に慄きながら、その日を待っていたのだろう。 ほんの数ヶ月前に戦争で家族や友人を失った日本人が、少し前まで敵国だったアメリカ人を笑顔でもてなす写真があったが...
終戦後、占領軍が駐留することが決まって、戦争を生き延びた人たちはどんな酷いことをされるだろうと、もう誰も助けてはくれない恐怖に慄きながら、その日を待っていたのだろう。 ほんの数ヶ月前に戦争で家族や友人を失った日本人が、少し前まで敵国だったアメリカ人を笑顔でもてなす写真があったが、笑顔の裏にはどれほど複雑な気持ちを抱えていたことか。 当初、写真を撮られることに抵抗を感じていた日本人が、タバコやチョコレートを渡すと一転して態度を変え、快く撮らせてくれたという記述が多々あった。それらを与えればチョロいと言われたようにも受け取れて、ちょっとザラっとした。被写体となった、当時の日本人の心境の実際のところはわからないけれど。 きっともっと凄惨な様子を記録した写真が多数あったのだろう。
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23歳の海兵隊員が、任務とは別に自分のカメラで記録した終戦直後の日本の写真集です。「敵」であったアメリカ兵が見た、たった1発の爆弾で瓦礫になった街やそこに生きる人々の表情を、あなたも見ることができます。
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今回,久しぶりに,写真を見ながら,添えられている解説もじっくり読んでみた。 終戦後,すぐに日本に入った従軍写真家ジョー・オダネル氏が撮った当時の日本の写真。風景写真というよりも人物に焦点を当てて撮影している。解説には,「どのようにして写真を撮らせてもらったのか」ということも書...
今回,久しぶりに,写真を見ながら,添えられている解説もじっくり読んでみた。 終戦後,すぐに日本に入った従軍写真家ジョー・オダネル氏が撮った当時の日本の写真。風景写真というよりも人物に焦点を当てて撮影している。解説には,「どのようにして写真を撮らせてもらったのか」ということも書かれていた。チョコレートやタバコと引き替えに撮影をさせてもらった…など。 私がこの写真集を手に入れたのはずいぶん前だったと思う。原爆で被爆し,背中にやけどを負った人のこと(谷口さん)について,なんらかの情報を得たいが為に購入したのだったかな。あと,赤ちゃんを背負った少年の写真。これも一度見たら忘れられない。わたしにとっては「白旗の少女」の次に印象的な子どもを写した写真だ。「焼き場の少年」と題されたこの写真には,次のような解説が書かれている。 「…前略。 10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。 おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。 弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。 しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。 しかも裸足です。 少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。 背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。 少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。 白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。 この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。 男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。 まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。 それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。 真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。 その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。 少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。 夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。」 オダネル氏は声をかけることはできなかったらしいです。
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本書の写真を撮ったジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして空襲による被害状況を記録する命令を受け、1945年9月に上陸し日本各地を歩くことになりました。翌1946年3月、本国に帰還した彼は、私用カメラで撮影したネガをトランクに納め、二度と開けまいと蓋を閉じます。心に焼...
本書の写真を撮ったジョー・オダネルは、アメリカ海兵隊のカメラマンとして空襲による被害状況を記録する命令を受け、1945年9月に上陸し日本各地を歩くことになりました。翌1946年3月、本国に帰還した彼は、私用カメラで撮影したネガをトランクに納め、二度と開けまいと蓋を閉じます。心に焼きついた悪夢は彼を苦しめ、被爆地を歩いたときに浴びた放射能は彼の体を蝕みました。生きていくためにすべてを忘れてしまいたかったのです。その45年後。もう逃げるのはよそう、あの体験を語り伝えなければならないと考えた彼は封印していたトランクの鍵を開けます。 瓦礫と化した街、その中で生き抜く人々。写真に添えられた文章が更にその時代を浮き彫りにしています。
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その一枚の写真から、多くの悲惨な事実が実際に起こった事だと気付かせてくれる。 忘れないで、語り継いでいかないといけない。 多くの人々に見てほしい本です。
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写真は雄弁だ。占領軍という立場でよく撮れたなあ、と驚くものも多く。だからこその写真もあり。平和を願う。
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勢古浩爾さんの著作に、引用されていたので読んでみた。 戦争に従軍したカメラマンの著者が、いちど封印した写真の数々を半世紀後に、公開した。いちどは忘れたいと思い、思い出さないようにしていたが、それでもそのとき見た光景からどうしても逃れられない、とのことから、写真展を開こうと思ったら...
勢古浩爾さんの著作に、引用されていたので読んでみた。 戦争に従軍したカメラマンの著者が、いちど封印した写真の数々を半世紀後に、公開した。いちどは忘れたいと思い、思い出さないようにしていたが、それでもそのとき見た光景からどうしても逃れられない、とのことから、写真展を開こうと思ったらしいです。 著者も、最初は日本のことを憎んでいたらしいけど、戦争後の日本を訪れて、そんな気持ちはどこかへいってしまったと。わからへんけど、戦争ってそんなぐらいの重みがあることなんやろうなぁと思う。
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戦後間も無い日本を米軍のカメラマンが記録として写した写真集。死んだ弟を背負い、焼き場で背筋を伸ばして待つ男の子。この姿が著者にどんなに衝撃を与えたかと思う。
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なぜか最近、ジョー・オダネル氏の名前を新聞やあちこちで立て続けに目にすることがあり、そんな時この本の存在を知った。 従軍カメラマンとして1945年9月、終戦直後の日本に入り、約7ヵ月間の滞在中に個人的に撮影した写真。 単に任務として日本に入った彼は、あまりに悲惨な戦後日本の姿に...
なぜか最近、ジョー・オダネル氏の名前を新聞やあちこちで立て続けに目にすることがあり、そんな時この本の存在を知った。 従軍カメラマンとして1945年9月、終戦直後の日本に入り、約7ヵ月間の滞在中に個人的に撮影した写真。 単に任務として日本に入った彼は、あまりに悲惨な戦後日本の姿に、その悪夢を忘れるべく、そのネガを45年間トランクにしまい込んだままだったという。 あまり具体的には語られていないが、その後体調を崩して引退したという原因は、やはり広島、長崎など、被曝間もない地を歩き回ったその影響によるものだったらしい。 自分の体調の変化、そして自分が目にした被爆地日本、その現実からどうしても目をそらすことが出来ずに、ついにそのトランクを開けた、その写真をまとめたものがこれだ。 スミソニアン博物館での彼の写真展が中止され、エノラ・ゲイのみの展示になったことなど、まだ記憶に新しいが、この写真集を読み、彼の心の揺れ動きを知り、彼の本作の出版の力添えとなった聞き書き手のオルドリッチ氏、そして本作に登場する、被害を受けた日本人たちの言葉を聞くと、やはり戦争がいかに愚かであるかと思わざるを得ない。 攻撃をする側もされる側も、結局は善良な市民でしかなく、時代の趨勢に抗えずに押し流されているだけだ。そして傷つくのは自分たち、残るのはつらい記憶と悲しみだけ。 写真に添えられるオダネル氏の心の声が、静かに深く胸に響く。 奥様を原爆で亡くしつつ、アメリカ兵を手厚くもてなす市長、アメリカと日本の狭間で翻弄された老人、ハエのたかる林檎をむさぼり食べた子供たち、そして亡くなった弟を焼き場につれてきた少年。 何もかも、つらく悲しい。胸が痛む。 涙なくしては読むことが出来ない、でも目をそらしてはいけない真実があった。
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