トランクの中の日本 の商品レビュー
友人のブログで初めて「焼き場に立つ少年」の写真を見た。背中におぶった赤ん坊の首はがっくりと後ろに反(そ)っていた。少年は下唇を噛んで直立不動の姿勢を保っている。生と死が直線と斜線を描いて交錯する。少年を直線にせしめている力を思わずにはいられなかった。 http://sessen...
友人のブログで初めて「焼き場に立つ少年」の写真を見た。背中におぶった赤ん坊の首はがっくりと後ろに反(そ)っていた。少年は下唇を噛んで直立不動の姿勢を保っている。生と死が直線と斜線を描いて交錯する。少年を直線にせしめている力を思わずにはいられなかった。 http://sessendo.blogspot.jp/2012/06/blog-post_24.html
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※このレビューにはネタバレを含みます
以前NHK特集でもやっていていて、 事務所の本棚に買ってもらいました。 活字から伝わってくる感覚も 大事ですが、写真から伝わってくる ダイレクトな感覚も大事ですね。 北部九州の写真も多く、戦後すぐの 地元の様子も伝わってきました。 戦争という異常な空間のなかでも ひとは、ある意味淡々と生活を 営んでいる。いや淡々となんて絶対違うんだけど、 そんな風に一見写真からは、窺える気がして。 この写真を撮影したジョー・オダネルさん。 米軍が落とした原爆の実態、戦争の惨状を 写す度、記したコメントは、戦争は、勝者敗者ともに 大きな傷跡を残すものだと、強く感じる文章でした。 長い年月を経て、95年スミソニアン博物館で開催された写真展は、旧軍人や米マスコミなどの圧力により一部の展示以外中止になっている事実も見逃せません。 特に印象に残った写真は、やはり赤ちゃんをおぶって、直立不動に立つ少年の写真でしょうか。彼は背筋を伸ばして、何をみていたんだろう。何がみえていたんだろうか。
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米従軍カメラマン”ジョー・オダネル氏”の1945年9月から翌年3月までの佐世保、長崎、広島から神戸までを撮影した非公式記録だ。1995年に出版されてから絶版になっていたが、昨年復刊された。オダネル氏は2007年8月9日に亡くなったそうだ。 フィルムの保存状態が良かったのか、写真...
米従軍カメラマン”ジョー・オダネル氏”の1945年9月から翌年3月までの佐世保、長崎、広島から神戸までを撮影した非公式記録だ。1995年に出版されてから絶版になっていたが、昨年復刊された。オダネル氏は2007年8月9日に亡くなったそうだ。 フィルムの保存状態が良かったのか、写真は古さを感じさせない60数枚ほどの写真が収められている。先日の日記にも書いたが、焼き場に立つ少年の写真は有名だ。 この写真集は写真だけでなく、オダネル氏の文章にも心を惹かれるものがあった。 侵略軍としてではなく、占領軍として日本に上陸することになった時の安堵感から始まる。そして、焼夷弾で焼けつくされた町、ハエがたかるリンゴにも食いつく子供たち、七五三で華やかな色彩の着物を着た子供たち、母国で爆弾の惨状を語り継いで欲しいと告げる老人、ヒロシマ・ナガサキの何もかも吹き飛ばされた焦土、「殺して」と囁いてきた体にウジが湧いている人など、様々な出会いで感じた時の心の揺れが文章として表現されている。 運動会の写真があった。かなり広い運動場の真ん中に梯子が二つ横に置かれている。一つは、まさにブルマを履いた女の子たちがその中をくぐっているところだ。おそらく障害物競走だろう。三角座りをした子供たちが周りを囲み、質素な服装をした大人たちもたくさん見学している。 終戦のその年に運動会をしていたなんて、今まで想像することなどなかった。想像もできないほど大変な暮らしをしていただろうそんな時に、よく運動会をしようと言う気持ちになったと驚いた。 運動会は学校だけの行事ではなく、地域の人や保護者を巻き込んでする大きな行事だ。たぶん、敗戦で沈んだ気持ちを吹き飛ばすためにも、無理やり取り組まれたんだろうと思われる。そんな気持ちを奮い立たせて先生も生徒も頑張ったんだと思うと頭がさがる。そして感動した。 アメリカには運動会はないのか、オダネル氏には軍事訓練だろうかと思われたようだが、僕には、この一枚の写真でさまざまなドラマと感情が頭の中で湧き起こり渦巻いたのだった。
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やっと図書館で見つけたときは、すでに絶版のときだった。 当時はまだオダネル氏は生きていて、原爆の恐ろしさを伝えることに人生を掛けているようであった。 あれから数年が経過し、奇跡的にこの本が復刊。 そして、それと前後してオダネル氏はまるで任務を全うしたかのように永遠の旅に出た。 ...
やっと図書館で見つけたときは、すでに絶版のときだった。 当時はまだオダネル氏は生きていて、原爆の恐ろしさを伝えることに人生を掛けているようであった。 あれから数年が経過し、奇跡的にこの本が復刊。 そして、それと前後してオダネル氏はまるで任務を全うしたかのように永遠の旅に出た。 この写真集が出版されてから10年後にアメリカでも出版されたが、内容は日本版にかなわない。 大切なオダネル氏の思い出の言葉がごっそり削られていて、そして重要な写真が小さくなっていた。 そして、日本版では最初のページに見開きで掲載されていた、当時オダネル氏が使っていたトランクの写真がどこにもなかった。 だからこそ、この日本版の写真集は大切にしなくてはいけないな、と思った。 もう絶対に絶版になりませんように。
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