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サンタクロースの秘密 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2020/01/29

なんとキリストが生まれたのは夏だった、という説があるのか?!冬になると死者の霊が彷徨うのでこれに贈り物を渡して無事に帰っていただく…という儀式がずーっと行われてきた?!この儀式を教会が布教のために利用した?!そして時は流れ第2次大戦後、疲弊したヨーロッパにアメリカの経済力が入って...

なんとキリストが生まれたのは夏だった、という説があるのか?!冬になると死者の霊が彷徨うのでこれに贈り物を渡して無事に帰っていただく…という儀式がずーっと行われてきた?!この儀式を教会が布教のために利用した?!そして時は流れ第2次大戦後、疲弊したヨーロッパにアメリカの経済力が入ってきてクリスマスはさらに変化していった?!

Posted byブクログ

2017/05/03

1951年、フランスのディジョンで、サンタクロースに異教性を感じたカトリック教会がサンタクロースを火あぶりにする、というそれ自体異教的な事件がおきる。 このニュースを、当時、新進の人類学者であったレヴィ=ストロースが、人類学的、歴史的な考察を踏まえながら、事件の構造を分析して...

1951年、フランスのディジョンで、サンタクロースに異教性を感じたカトリック教会がサンタクロースを火あぶりにする、というそれ自体異教的な事件がおきる。 このニュースを、当時、新進の人類学者であったレヴィ=ストロースが、人類学的、歴史的な考察を踏まえながら、事件の構造を分析していく。その手腕はまさにお見事というほかない。きっちりした論文形式ではなく、エッセイ的なスタイルであるので、なおさらその鮮やかさは素人にも分かりやすい。 このレヴィ=ストロースの論考を、中沢新一が、現代的な文脈に直しつつ、さらに分かりやすく解説してくれる。が、もともとそれほど難解な文章ではないので、やや蛇足感はあるかな? レヴィ=ストロースのエッセイだけでは、短くて本にならなかったということだろうか。 まあ、いっその事、クリスマスの本らしく、絵本みたいにしても良かったのではないかという気もするが、どうだろうか?

Posted byブクログ

2012/12/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

こびとは べんきょうして なんの てつだいをするか じぶんで きめるの だって、サンタクロースが きめちゃったら つまらないでしょ、だから。こびとは じぶんの やりたい おてつだいが できるってわけ。 いいこにしてるかなーとか、ぼうえんきょうで、みてるんだよ。

Posted byブクログ

2010/11/24

サンタクロースという存在の発生を、「贈与」の観点から解釈したレヴィストロースの論文に、解説を加えたもの。実存主義は不幸を解釈するが、構造主義は、レヴィストロースは、幸福を解釈する。簡潔な文章だけど、その中身をしっかり読み解くのはとても難しい。

Posted byブクログ

2010/04/19

『私たちは、このおもちゃはあの世からの贈り物なんだよと、子供たちに教える。しかし、実際には、私たち自身がそうした贈り物をあの世に届けたい、とひそかに欲望しているのではないだろうか。クリスマスのプレゼントは、そういう私たちの心の秘密に、ひとつのアリバイをあたえているのだ。クリスマス...

『私たちは、このおもちゃはあの世からの贈り物なんだよと、子供たちに教える。しかし、実際には、私たち自身がそうした贈り物をあの世に届けたい、とひそかに欲望しているのではないだろうか。クリスマスのプレゼントは、そういう私たちの心の秘密に、ひとつのアリバイをあたえているのだ。クリスマスの贈与。それは生きていることの穏やかさに捧げられた「サクリファイズ(供犠)」なのだ』-『火あぶりにされたサンタクロース』 サンタクロースに貼り付けられたヨーロッパ人の民俗学的意味合い、または表象に対して、それなりに興味深く読む。しかし、非キリスト者である自分にとってレヴィ=ストロースがそれを取り上げたことの喫緊性や適切性を正当に理解している訳ではないので、すっきりとはしない距離感のような隔たりも同時に覚える。距離感と言うのは正しい表現ではないのだが、レヴィ=ストロースがある観察において何かしら普遍的な構図やメカニズムを通して意味を読み取ろうとする(そのこと自体はとてもエキサイティングだと思う)時、何か了承し切れないものが隠れて忍び込んでくる感じが拭いきれない。彼がが展開する理路、思考のフォーマットとでも呼びたいような視座の取り方には、心酔のような感覚も沸いてくるのだが。 多くの日本人にとって進駐軍によって持ち込まれた儀式であるところのクリスマスのプレゼントを、自分は「与えられるもの」の視点からしか捉えたことがなかったのだが、確かにそこには「与えるもの」の側における動機がある筈で、それを解明するというのは、その行為がここまで一般的であるからには、商業主義ということを越えた何かがある筈だと考えるのは、なるほど、その通りだ。自分がこれまでに学んだ最も興味深いな命題の一つである「人が何かを声高に語る時、何かが隠される」と同様、メタな解明は、何か秘密の仕組みが解き明かされるのを目の当たりにするような爽快感すらある。そしてレヴィ=ストロースの解き明かす、隠された「死」の表象と、それに対する「畏敬」と「忌避」のジレンマという構図は、強い説得力があるように思う。 もっとも、そんな風に何かを解き明かして見せること自体が、例えば二次関数の最適解を求めることのようにして語られてしまう響きが、自分にとっては、ややもすると不協和音になってしまう。モノゴトがそんな低次の関数であるとは到底思えず、もしもっと高次の関数であるとすれば、その極値は最適解ではなく局地的な解に過ぎないであろう、という数学的イメージも沸いてくるからである。 あれこれと思考の脱線を繰り返しながら読んでいると、つらつらと彼我の差にも思いが至る。何故彼らは冬に死者を感じ、我々は盆に死者を最も身近に感じる風習を持つのだろう、と。恐らくそれは一年の収穫を控えた時期であることと関係があるだろう。自らの制御の及ばない自然に対して祈る気持ちと、収穫の無事を死者である祖先に託す念がそこにある。養老先生からの受け売りだが、死とは自然の最も身近な形態である。死者である祖先をこの時期にもてなすことは自然をもてなすことも意味するだろう。余りステレオタイプ的に単純化するのもよくないとは思うが、そこに、春なれば新たな収穫物が得られることを期待する狩猟民族と、春は再生の季節ではあるが直ちに収穫を意味しない農耕民族との差があるようにも思う。恐らく何か了承し切れないものというのは、その辺りに由来することなのかも知れない。 中沢新一による解説は、そんなギャップを巧みに回避して農耕の民の末裔である自分にも随分と呑み込み易い論を展開する。しかし共時性と通時性を明確に意識して論を分けるレヴィ=ストロースとは異なり、中沢の論には現代性が、それも「グローバライゼーション」とも通じるような思考の経済性モチーフが潜むように思う。読んでいる内にいつの間にか経済の話をしているのだったかしら、と思えるところがあるのだ。但し「商業は死霊を追い立て、等価交換が贈与の精神を破壊する」-『幸福の贈与』とは、鋭い警句であることは間違いない。

Posted byブクログ