誘惑者 の商品レビュー
三原山火口へ自殺志願…
三原山火口へ自殺志願の友人に付きそい、一人で下山してきた女子大生。常人には不可解と思われるそんな行動をした人物の心理とは・・・。昭和初期に実際にあった事件をヒントに書かれた小説です。冷たいともいえるほど淡々とした描写を読んでいると、ちょっとしたホラーよりも恐いぞ~!と思えてきませ...
三原山火口へ自殺志願の友人に付きそい、一人で下山してきた女子大生。常人には不可解と思われるそんな行動をした人物の心理とは・・・。昭和初期に実際にあった事件をヒントに書かれた小説です。冷たいともいえるほど淡々とした描写を読んでいると、ちょっとしたホラーよりも恐いぞ~!と思えてきませた。なぜか不快な恐怖ではなく、魅かれてしまうような静かな恐さ・・・。好きな小説です。
文庫OFF
友人を次々と火山口へ…
友人を次々と火山口への飛び込み自殺に誘う主人公。その不可解な心理が、淡々とした筆致で描かれ、逆に説得力を帯びています。
文庫OFF
京都大学で心理学を専攻する女子学生の鳥居哲代が、砂川宮子、織田薫という二人の友人たちに相次いで同行し、彼女たちが三原山の火口に身を投げて自殺するのを見届けることになった経緯をえがいた作品です。 郷里の母親から、結婚を強引に勧められていたことに苦悩した宮子は、自殺を決意したと哲代...
京都大学で心理学を専攻する女子学生の鳥居哲代が、砂川宮子、織田薫という二人の友人たちに相次いで同行し、彼女たちが三原山の火口に身を投げて自殺するのを見届けることになった経緯をえがいた作品です。 郷里の母親から、結婚を強引に勧められていたことに苦悩した宮子は、自殺を決意したと哲代に明かします。哲代は、彼女とともに伊豆大島を訪れ、三原山の火口をめざします。しかし死へと旅立っていく直前に、宮子は彼女をなにもかも受け入れる哲代に「誘惑」されて、死んでいくことになったと告白します。 さらに、つねに哲代と宮子の両者に対して独占欲を示していた薫も、宮子の歩んだ道を正確にたどることによって、これまで何度か試みながらも果たさないでいた自殺へと向かいます。またしてもその同行者となった哲代は、悪魔学に傾倒する松澤龍介から、三原山の火口に身を投げることが緩慢なガス中毒を意味することを教えられていたものの、そのことを薫に告げることができないまま、薫の死出の旅を後押しすることになります。 哲代は二人の親友を自殺へと「誘惑」する者でありながら、彼女自身には自分が二人にとってそうした役割を果たしていたことへの自覚はありません。それにもかかわらず、自分自身の心のうちに存在する、光のとどかない暗部を観察しようとする哲代の身振りが、二人の友人を死へみちびくことになったようにも思われます。
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※このレビューにはネタバレを含みます
小説家を目指していた知人に薦められて読みました。高橋たか子氏の小説を読むのは初めてでしたが、この著者がどういった種類の小説家なのかを知るには格好の一冊であると思います。 主人公「哲代」の友人が、自殺に際して哲代という「誘惑者」の本質について語る内容が興味深く、強く印象に残りました。曰く、哲代が「死」の本質を見極めんとして「死」を煎じ詰める事により、当初は希薄だった友人達の自殺念慮が次第に濃密になり、終に実行されてしまうのだ、と。 「煎じ詰め」るという表現に錬金術の影響を覚える向きもあるかもしれませんが、この著者は(少なくとも本著を書いた時点では)むしろグノーシス主義に傾倒していたのではないかと思います。作中の「存在するものは悪魔であり、存在しないものは神なのだわ。」という台詞は所謂キリスト教グノーシス主義の思想を極めて端的に表現しているように思いました。 著者は澁澤龍彦氏と親交があり、この物語にも氏をモデルにした人物が登場します。もしかしたら著者は澁澤龍彦氏を介してグノーシス主義の事を知り、それがこの物語を生み出す切っ掛けとなったのかもしれません。 尤も私はグノーシス主義に詳しい訳ではなく概略しか知りませんので、全く見当違いの見立てかもしれませんが。
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ほとんどのめり込むようにして読んだ。 「ヒトの明暗と暗部」と言い切ってしまうと少し違う。作中の表現にもあるが、「生の裏側からもうひとつの生がにじみ出て」くる様子を、通り過ぎていくだけのようで実はヒトを形作るファクターになっている事象とともに、濃く深く、鋭く、対比を巧く使って浮かび...
ほとんどのめり込むようにして読んだ。 「ヒトの明暗と暗部」と言い切ってしまうと少し違う。作中の表現にもあるが、「生の裏側からもうひとつの生がにじみ出て」くる様子を、通り過ぎていくだけのようで実はヒトを形作るファクターになっている事象とともに、濃く深く、鋭く、対比を巧く使って浮かび上がらせている。主人公の性質が、すべてに一役買っているようにも思った。 ただ考えるのは、なぜ主人公は、より苦しいほうを選択することはしなかったのかということである。
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後半の緊張感、怖いもの見たさで読んだ。たまたま矢野澄子さんの小説を読んだばかりだったので、つながって驚く。
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タイトルに惹かれて購入。著者の高橋たか子は『邪宗門』で知られる高橋和巳の夫人。 2人の友人の自殺を見送った(?)女学生が主人公。妙にキリスト教的な価値観を感じるなぁと思っていたら、著者は実際に洗礼を受けたらしい。 読後感が不思議と倉橋由美子と似ている。主人公と自殺した2人の友人と...
タイトルに惹かれて購入。著者の高橋たか子は『邪宗門』で知られる高橋和巳の夫人。 2人の友人の自殺を見送った(?)女学生が主人公。妙にキリスト教的な価値観を感じるなぁと思っていたら、著者は実際に洗礼を受けたらしい。 読後感が不思議と倉橋由美子と似ている。主人公と自殺した2人の友人との関係が、濃密でありながらドライで、そういうところに倉橋由美子と同じ匂いを感じたのかもしれない。
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ちっとも生きてなんかいたくない主人公の鳥居哲代、死んでしまいたい砂川宮子、過去に自殺未遂を二回している織田薫。三原山の火口への二人の投身自殺をそれぞれに見届けた主人公の、自問自答や外界への関わり方が描かれている作品。 無表情、どうだっていいけれども他者の深い部分への関心が止まない...
ちっとも生きてなんかいたくない主人公の鳥居哲代、死んでしまいたい砂川宮子、過去に自殺未遂を二回している織田薫。三原山の火口への二人の投身自殺をそれぞれに見届けた主人公の、自問自答や外界への関わり方が描かれている作品。 無表情、どうだっていいけれども他者の深い部分への関心が止まない、自殺はしないけれど見届けることは難なくできる。織田薫が死ぬ段になっても鳥居哲代は自分ばかりを見つめていたので織田薫の姿を見ることすらしていなかった。自分に似すぎていてぞっとする。きっと私もこんな感じなんだろうなと思う。 砂川宮子と同じ道をたどることだけを自殺を完遂する唯一の方法だと執着していた織田薫が、最後、砂川宮子より一歩踏み込んだ形で火口に身を投じたのが印象的。 「火口の中はぱあっと明るい」 織田薫は火口の中に本当の生があると信じ込み、死に際鳥居哲代に無理にそう言わせる。 それを背負ってのラスト一文が鳥肌もの。自分は鳥居哲代に似てるなと感じる人はあの一文は現実のものとして、誰かに自分を見透かされているようなものとして感じるのではなかろうかと思ったり。
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自殺幇助の話として知られているが、むしろ自殺願望の女性たちの共依存がテーマになっていて、「私自身、少しも生きたくない」という主人公も潜在的に当事者の一人であり、彼女の自殺幇助はある種の代理自殺と言えるかもしれない。主人公は知らずに友人たちを誘惑しながら彼女らに誘惑されてもいるわけ...
自殺幇助の話として知られているが、むしろ自殺願望の女性たちの共依存がテーマになっていて、「私自身、少しも生きたくない」という主人公も潜在的に当事者の一人であり、彼女の自殺幇助はある種の代理自殺と言えるかもしれない。主人公は知らずに友人たちを誘惑しながら彼女らに誘惑されてもいるわけで、最終的に「誘惑者」とは幇助する側ではなく、むしろ自殺する側の謂いになり、後者が「神」の側に立つ人間であることを主人公が気づいた時点でその構図は決定的になる。当時の知的エリートたちの歯の浮くような哲学議論や「悪魔学」というチープな小道具には正直うんざりさせられるが、封鎖されたキャンパス、焼け野原の東京、三原山の火口というロケーションと旅の描写が登場人物たちの心の荒涼を暗く彩っていて、怪しい魅力を放つ。
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心理学を学び、小説を読んだ。誘惑者的な人間はこれからも小説を読み、人間を誘惑する。面白い小説です。自殺は――他殺。
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