錯覚の心理学 の商品レビュー
本書は初めに、次のように書いています。 「錯覚は人をひきつけてやまない。第一に驚くと共に不思議を感じる。目だましを食らうのは自分であるのに、なんとも楽しくてしかたがない。」 そして、本題として私たちが良く知っている錯覚のアレコレを紹介。 錯覚・錯視の歴史・博物館などが数々挙げられ...
本書は初めに、次のように書いています。 「錯覚は人をひきつけてやまない。第一に驚くと共に不思議を感じる。目だましを食らうのは自分であるのに、なんとも楽しくてしかたがない。」 そして、本題として私たちが良く知っている錯覚のアレコレを紹介。 錯覚・錯視の歴史・博物館などが数々挙げられていて、それだけでも十分楽しめます。 では、この錯覚や錯視が何故おこるか? また、それを楽しもうという心理が何故働くか、、、という事も縷々述べられています。 感覚と心。 感覚は変わりやすく不正確である。そこで心の働きが外界の正確な写しを作り出し、ゆがみを正すという考え方。 その一方出、感覚は本来正確で環境の真実の姿を捉える様にできている。限界があるのは心であり間違うのも判断能力であると言う考え方。 その二つの考え方の「橋渡し」となるのが錯覚の研究であると本書は言う。 「目はだまされるものである」 と、いうのが錯視の正体なのかもしれません。 私たちは、自分たちの感覚を信じて日常を送っています。 空を見上がれば月が輝いている。 しかし、同じ月なのに、天頂の月と地平のそれとは大きさが違って見える。 何故? あるべきところにあるものが見えない。 またあるにもかかわらず見えない。 何故? そんな、あんなこんなを分析して、更には3Dにまで話は及びます。 しかし、今にいたっても錯視の本態が何か分かっていないという。 そして最後に著者は言う。 錯覚は時代により、その範囲と形を変えていく。 つまり、 つまり、 昔の人が見た月と現代の我々が見る月は微妙に違うのだろうか??? 心も感覚も「絶対」ではありえない。 変わるものである。 と、するなら人は変わることができるし、変わらなければならない。 「そこにある」 「今、ここにある」 それは絶対ではあるが、しかし同時に不確かなものであるとしたなら、 私たちが、生きる上で何をもって糧・指針とするかと言えば、 「空=くう」なのかもしれません。 多分、これとて錯覚かぁ、、、 と、思えば実に深みがあり極みが見え、 蒼穹に吸われていく気がして面白い。 深みにはまります。
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