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狂気はここに始まる(下) の商品レビュー

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2024/08/31

1995年に発行された古本だが、今読んでも興味深い。 「儒教なくして日本なし」で、大阪大学教授の加地伸行が、夫婦別姓について言及している。 儒教は初めから夫婦別姓で、武士の間でも別姓、平民も姓を隠し持っていて、別姓だった。 それが明治29年に制定され...

1995年に発行された古本だが、今読んでも興味深い。 「儒教なくして日本なし」で、大阪大学教授の加地伸行が、夫婦別姓について言及している。 儒教は初めから夫婦別姓で、武士の間でも別姓、平民も姓を隠し持っていて、別姓だった。 それが明治29年に制定された民法で「其家ノ氏」を称することになったとある。 当時、欧米に追いつけ追い越せで必死だった明治政府は、民法を作る際の模範にしたのはフランス民法などだった。 ファミリーネームをまねたことによって、逆に日本は長い伝統や習慣を踏みにじって夫婦同性にせざるを得なくなったと指摘している。 これは初めて知ったので驚いた。 夫婦別姓になると家庭が崩壊するとよく聞くが、「日本の伝統」から見ると、明治時代以降の方が異端になるのかな。 「いかがわしさを失った日本人」では京都精華大学助教授の橋爪紳也が、「都市」について考察している。 「都」は、政治的機能を持った町、一方の「市」は、マーケットプレイスと説明している。 そう考えると、日本の都市は、ほとんどが「都」ではなく、実態はひたすら巨大化した「市」であるケース多いことに気づくと述べている。 江戸時代に様々な見世物があったが、明治時代以降、「博覧会」「博物館」「動物園」などの制度や施設の中に取り込まれるようになったと述べている。 いかがわしさは失ったかもしれないが、うさん臭さは十分ある。 最近、北京に遊びに行ったご老人とそのご一行がいる。あの人たちの言動にはうさん臭さが100%漂っている。

Posted byブクログ

2014/08/04

「栗本慎一郎自由大学講義録」第4弾下巻。 加地伸行の「儒教なくして日本なし」では、現代の日本文化の中に生き続ける、儒教的な死生観や家族観を探っています。 笠井潔の「「輸入」された天皇制・国民国家」では、明治以降近代的な君主国家として歩み始めた日本の歴史に、ヘーゲル的な国家像を...

「栗本慎一郎自由大学講義録」第4弾下巻。 加地伸行の「儒教なくして日本なし」では、現代の日本文化の中に生き続ける、儒教的な死生観や家族観を探っています。 笠井潔の「「輸入」された天皇制・国民国家」では、明治以降近代的な君主国家として歩み始めた日本の歴史に、ヘーゲル的な国家像を超え出るような非農耕民的なエネルギーが生き続けていたことが論じられます。 小松和彦の「日本近代は何を隠してきたのか」も、やはり日本の「近代」の中に「近代以前」が作用していたにも関わらず、「近代化」という神話によってそのことが見えなくされてきたのではないかと論じられています。 鎌田東二の「「神」はいかにつくられたか」では、伝統的な日本の宗教がシンクレティズムだったことが論じられ、一方平田国学の中に含まれていた幽冥的なものが近代の宗教政策の中でしだいに見えにくくなってきたことが指摘されています。その上で、こうした日本の宗教の中にあるもっとも土俗的な部分は、いまだに十分解明されていないのではないかという指摘がなされています。 橋爪紳也の「いかがわしさを失った日本人」では、荻生徂徠以降、日本の都市政策の中に、政治的な機能を表わす「都」の要素と、マーケット・プレイスとしての「市」の要素があったことが指摘され、とくに「市」のいかがわしく乱雑なエネルギーが都市を活性化してきたことが論じられます。 平岡正明の「「日本」は死ななきゃ治らない」では、広沢虎造という浪曲師と『次郎長伝』にまつわるさまざまな話題が紹介され、制度外の民の持つエネルギーへの関心が率直に語られています。

Posted byブクログ