キリスト教の精髄 の商品レビュー
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キリスト教の根本部分の理解が深まる一冊。 【キリスト教の信仰の土台】 ・世界は、神によって創造された(0→1、無→有)。 ・神の存在は、永遠に知らされないか、何らかの形で顕示されているかどちらか(→神は、その存在を、我々に顕示している)。 ・神の存在の手がかり ① 自然・自然法則:神の作風 ② 人間性の法則 :神の意図、命令 神は、「正しい行為」に強い関心を持つ ・神は、完全なる「善」・「義」 ・神は、人間にも、完全なる「善」を求める ・人間は、「善」にも「悪」にもなりうる(真の「善」には、自由意志が必要であり、それは同時に「悪」への扉を開くから) ★そこで、神の救いの手 ・完全なる「善」である神が、不完全な人間になって、完全な悔い改めをする。 → 神が我々の負債を払った → このキリストの生命を、クリスチャンは内に取り込む by 洗礼・ミサ・聖餐式 ・クリスチャンの中には、キリストの生命があり、そのために、何度過ちを犯しても、悔い改め、立ち直ることができる。神の愛によって、善人になれる。
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難解であった。正直、例えが分かりにくい ・人は善良になるにしたがって、まだ自分のうちに残っている悪を、いっそう知るようになる。善も悪も複利で増殖する。強情をはって間違いを認めようとしないのは、進歩的でもなんでもない ・問題は、神が我々を造った時どのようなものにしようと意図されたか。神は素材によってではなく、それをいかに用いたかによって、人を裁断する。キリストなしで「自己自身」になろうとしても無駄であり、ますます遺伝や育ち・環境・生来の欲望に支配される ・人はキリストと結びつくことによって神の子とされる。なすべき第一歩は自分のことを忘れること。個々の人間はすべて永遠に生きる。クリスチャンたちの現世における働きが非力になってきたのは、彼らが来世のことをあまり考えなくなって以来であろう ・キリスト教は肉体を徹底的に是認しており、神は静的なものではなく生き生きとした活動である。
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タイトルは「キリスト教の精髄」(なんでこのタイトルで登録されてないんだろう?)。久々に頭をかなり回転させて読んでいます。「画家は絵の一部ではない」「悪とは善を間違った仕方で追求する」うーんなるほど!まだ3分の1くらいまでしか読んでないけど、歯ごたえありまくりです。
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キリスト教についての理解を深めたいと思ったが、80ページくらいまで読んで、屁理屈をこねくりまわしているとしか思えなった。
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【後編・緒論】 便宜上、復帰摂理上のキリスト教ということで「緒論」に振り分けたが、実際は前編全てと後編のいくつかに深く関わる。いわゆるキリスト教とは?という護教的な書であるが、著者のキリスト教に対する虚飾のない愛と信仰がにじみ出ており、この手の書では一番すっきりと読める。ライト...
【後編・緒論】 便宜上、復帰摂理上のキリスト教ということで「緒論」に振り分けたが、実際は前編全てと後編のいくつかに深く関わる。いわゆるキリスト教とは?という護教的な書であるが、著者のキリスト教に対する虚飾のない愛と信仰がにじみ出ており、この手の書では一番すっきりと読める。ライト過ぎず、しかしゴテゴテしすぎず、いい意味での中庸を保ち、それでいて十全にその内容を伝えることに成功していると思う。 著者は「ナルニア国物語」で有名な、C.S.ルイス。作家だけあって、比喩なども非常に表現に富み、時に辛辣に時に豊潤に、言葉では伝え難い宗教的なものを伝えてくれる。 目次はこんな感じ。 1.宇宙の意味を解明する鍵としての正と不正 2.クリスチャンが信じていること 3.クリスチャンのあり方 4.人格を超えたもの―三位一体論序説 1.においてはクリスチャンが信仰の前提として信じていることを論じている。要するに道徳ということであるが、自然法としての道徳を心に認めるか、という問いかけがクリスチャンにはあるということである。 2.では、聖書において語られる、創造・堕落・イエスによる復活を説明している。細かな教義や神学的な考察は省かれている。クリスチャンであれば誰でも心にとどめていることを説明し、その妥当性も付け加えている。 3.では、クリスチャンとは何者か、要するにどのように生きている人間たちか、ということを論じている。ここではキリスト教における「徳」が語られる。根源的徳の7つと神学的徳の3つを一つ一つ紹介してくれる。ここは我々の心の持ち方も見つめさせられ、学ばされることも多いと思い。 4.は、最終的に神とはどのような存在か、ということを語る。私たちは人格神という表現を使うが、ルイスによって語られる神は人格を超えているという。超えるということはどういうことか分からないが、人間的な人格ではとらえることの出来ない、超越的に高貴な神の実存について論じている。 このような感じだろうか。キリスト教と私たちの関係を正しく見つめていくうえでも有意義な書である。
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ナルニア国物語の著者、c・s・ルイスのキリスト教論。これは良かった。非キリスト教徒の、「キリスト教ってどんなところ?」という問いに、よく答えている一冊。今までもキリスト教を紹介するような本は何冊も読んできたが、歴史とかイエスの生涯とか、教義の解説などが主流で、なんというか外殻をなでるような感覚しかなかった。しかしこの本は、キリスト教徒の信仰の中身を良く伝えてくれる。小説家だけあって、たとえ話もその表現が豊潤で、時に首をかしげたくなるような、笑いたくなるようなたとえもあるが、それが良かった。 全編を通じ、理論的に書かれている。ルイス自身の回心が理性的に行われたということも大きいのではないかと思う。理論的ではあるが、いわゆる神学というようながちっとした組み立てではなく、人間のキリスト教信仰に対する素朴な疑問に対して答えてくれるような形で、時に皮肉を込めながら進む。論理展開の特徴は、既成の哲学や神学を借りる形で進むのではなく、あくまでも一般人の理性で理解できる進行をする点である。 最終的にはアウグスティヌスを髣髴するような、神とキリストへの絶対的な帰依が語られる。しかしそれは強制ではなく、選択である。人間には自由意思が与えられているから。神はそれを待たれるし、小さなきっかけを持って全面的に侵食しようと見つめておられるそう。 分かりやすさ、ルイスの正直さが伝わる一冊でもある。ルイス自伝と続けて読んだのが、また良かった。 13/9/13
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