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思い出のアンネ・フランク の商品レビュー

4.9

13件のお客様レビュー

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2023/10/07

 アンネたちの潜伏生活を支えたミープの自伝(本人ではなく、ライターが書いている)。ミープは散らばったアンネの日記を秘密警察の隙をついて拾い集め、保存した人物でもある。アンネの日記にも「ミープ」として登場する。日記を読んでも、たまに出てくる親切な協力者くらいにしか思わなかったが、協...

 アンネたちの潜伏生活を支えたミープの自伝(本人ではなく、ライターが書いている)。ミープは散らばったアンネの日記を秘密警察の隙をついて拾い集め、保存した人物でもある。アンネの日記にも「ミープ」として登場する。日記を読んでも、たまに出てくる親切な協力者くらいにしか思わなかったが、協力には多大な苦労と犠牲、そして信念があったことが本書を読んでよく分かった。  ユダヤ人であるだけで、財産も自由も奪われ、暴力を振るわれた。出頭を命じられ、家畜用の列車に乗せられれば、待つのは死ぬほど過酷な強制労働かガス室だった。当時はナチスが収容所で何をしていたか具体的には知られていなかったようだが、恐ろしいことが起こっているに違いないというのは共通の認識だったことだろう。  嘘や密告の渦巻く、そんな暗黒の時代に、隣人の窮状を見過ごすわけにはいかないと立ち上がった人たちがいた。ユダヤ人を匿えば、逮捕され、収容所に送られるにも関わらず、危険を承知で身を粉にして、正しいと信じることをなした人たちがいた。その事実だけで、どんなに救われる思いだろう。人間に対して絶望しないでいられるのはこんな人たちのおかげである。  アンネが有名になったので、その協力者だったミープも有名になったが、「わたしはヒーローなどではない。たんに、あの暗い、おそろしい時代に、わたしと同じようなことをした、あるいは、もっと多くの――はるかに多くの――ことをした良きオランダ人たちの、長い、長い列の端に連なっているにすぎない」と言っている。それは本当のことなのかもしれないが、自分も空腹をかかえながら、隠れ住むユダヤ人8人分の食料を調達し、共同生活の潤滑油となるよう努め、文字どおり駆けずり回ったのは間違いなくミープなのだ。「わたしは簡単に諦めるたちではない」というセリフに全てが詰まっていると思う。    アンネの日記はアンネが捕まって途絶えるのに対し、本書は「その後」が書かれている。ほかの協力者が逮捕されたこと、どんどん食料がなくなっていったこと、解放の日のこと、戦後も父オットーがずっと娘たちを探していたこと、生還したユダヤ人たちも深く傷を負っていたこと…。  プロローグで語られる「このような時代が、二度とけっしてこないことを、わたしは衷心から希望する。それが二度とこないように心がけること、それこそがわたしたち世界じゅうんお平凡な市民たちの務めなのである」という言葉が重く響く。二度とこのような時代がこないようにしなければいけない。万が一きても、簡単に諦めてはいけない。でないと、この本を読んだ意味がない。

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2018/10/08

第二次世界大戦中、あのアンネ・フランクの家族を含む8人のユダヤ人を2年間かくまい、食料を運び、時には本を運び、助け続けた本人の手記。 著者であるミープ・ヒースをはじめ、彼らを助け続けた人たちの勇気に言葉が出てこない。ユダヤ人を助けていることがばれたら、自分たちの命だって危ういの...

第二次世界大戦中、あのアンネ・フランクの家族を含む8人のユダヤ人を2年間かくまい、食料を運び、時には本を運び、助け続けた本人の手記。 著者であるミープ・ヒースをはじめ、彼らを助け続けた人たちの勇気に言葉が出てこない。ユダヤ人を助けていることがばれたら、自分たちの命だって危ういのに。 「そのときわたしに要求されていること、そして必要と思われることを、すすんでしようとしてきたにすぎない。」と言うけれど、誰でもができることではない。なのに、あの時、2万人以上のオランダ人がユダヤ人を助けた。 翻って日本はどうだったんだろうとも思う。

Posted byブクログ

2015/06/07

アンネ・フランクを始めとする隠れ家に暮らす八人もの人々を支えた、勇気ある友人たちの一人である、ミープ・ヒースさん。 アンネの日記とペアで読むことで、その当時のことがよりよく分かり、アンネの精神的な成長の影には、ミープさんの影響が大いにあったことが伺われる。 そして何より、この本...

アンネ・フランクを始めとする隠れ家に暮らす八人もの人々を支えた、勇気ある友人たちの一人である、ミープ・ヒースさん。 アンネの日記とペアで読むことで、その当時のことがよりよく分かり、アンネの精神的な成長の影には、ミープさんの影響が大いにあったことが伺われる。 そして何より、この本を読んで、その当時、如何に悲惨な狂気の時代であったか、またその状況の中でも、勇気を持って立ち向かっていた人々がいたことに、感動を覚えた。 もし仮にミープさんと同じような状況に直面した場合、同じような行動を取れる人はどれだけいるだろう? 戦争中、仕事を持つ主婦として暮らすかたわら、必死になって隠れ家の人たちを助け、自分の幸せよりもこの世の平和を望み、過ごされてきたミープさん。戦後、40歳になって、念願のお子さんを出産されたことは、神様からのねぎらいのプレゼントではないだろうか。

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2014/02/18

ずっと読めずにいた本。隠れ家に住むアンネ一家を支えたミープ・ヒースさんの回顧録。なんて誠実で勇気のある人だろう。「あたりまえのことをしただけ」と、命の危険を犯してまでそう言える信念の強さ。あの時代に受けた心の傷を、あの時代の人はどうやって癒してきたのだろう。 この本を出すまでにも...

ずっと読めずにいた本。隠れ家に住むアンネ一家を支えたミープ・ヒースさんの回顧録。なんて誠実で勇気のある人だろう。「あたりまえのことをしただけ」と、命の危険を犯してまでそう言える信念の強さ。あの時代に受けた心の傷を、あの時代の人はどうやって癒してきたのだろう。 この本を出すまでにも相当の時間がかかったという。ミープさんは確か何年か前に100歳になって亡くなられたというニュースを見た。 隠れ家を支えた人で生きている人はもういない。回顧録を残しておいてくれて本当にありがたいと思う。

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2013/10/03

素晴らしかった。ミープさんの人柄、行動には胸打たれた。頑固で気丈で細やかな心配りのできる素敵な女性。アンネの名前は世界的になりミープさん夫婦の行動も讃えられるようになったけれど、彼らを失ったという喪失感、守りきれなかったという痛みは、癒されることのない個人的なものとしてあり続ける...

素晴らしかった。ミープさんの人柄、行動には胸打たれた。頑固で気丈で細やかな心配りのできる素敵な女性。アンネの名前は世界的になりミープさん夫婦の行動も讃えられるようになったけれど、彼らを失ったという喪失感、守りきれなかったという痛みは、癒されることのない個人的なものとしてあり続けるんだろうと思った。 ヘイトスピーチなど差別的で暴力的なな言動が日本社会を跋扈する今、ユダヤ人排斥に至る過程は過去の異常な時代のこととはもはや思えずゾッとするものがあった。

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2013/05/04

アンネたちを支えたミープ氏の著作。戦争の悲惨さ、人を思いやる誠実さと優しさ、いつの時代でも忘れてはならないことを静かに訴えてくる本で、個人的なバイブルともなっています。日本ではなかなか窺い知ることのできない戦時中のヨーロッパが見えてくると同時に、友人であるアンネたちの死を乗り越え...

アンネたちを支えたミープ氏の著作。戦争の悲惨さ、人を思いやる誠実さと優しさ、いつの時代でも忘れてはならないことを静かに訴えてくる本で、個人的なバイブルともなっています。日本ではなかなか窺い知ることのできない戦時中のヨーロッパが見えてくると同時に、友人であるアンネたちの死を乗り越えた戦後の生活も少し書かれています。平和な世界での新しい命の誕生、そして変わりゆく人々と街並みなど、あの時代を生きた一人の女性が見た1900年代が屑々と綴られています。

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2011/09/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

隠れ家の人々を支え続けたミープから語られる物語。アンネのことのみならず、当時のオランダのことが詳細に記されている。 特に1944年8月4日の出来事と、マルゴーとアンネが帰ってこないとわかったときのオットーとミープのやりとりは心は引き裂かれるほど辛かった。果たして自分がミープの立場だったら、これほどまでに立派に行動できるだろうか。当時のような狂気の時代にあって正しい判断ができなくなる、と言い訳じみて語ることは簡単だけど、それでもミープやヘンクのような人はたくさんいたことを思うと、いつ如何なるときも自分の基軸をしっかり持った人でありたいと思う。 思えばアンネ以外の家族、フランク家やファン・ダーン一家の写真をここで初めて見ました。オットーさんはなかなかのイケメンさん。

Posted byブクログ

2011/06/26

(2011.06.23読了) ミープ・ヒースは、フランク一家(4名)、ファン・ダーン一家(3名)、歯科医のデュッセルさん、合計8名の食料調達、図書館から借りた図書の差し入れ、外部の情報の提供、その他必要なものの調達、提供に尽力した人です。もちろん夫のヘンクも協力しています。 標題...

(2011.06.23読了) ミープ・ヒースは、フランク一家(4名)、ファン・ダーン一家(3名)、歯科医のデュッセルさん、合計8名の食料調達、図書館から借りた図書の差し入れ、外部の情報の提供、その他必要なものの調達、提供に尽力した人です。もちろん夫のヘンクも協力しています。 標題は、「思い出のアンネ・フランク」となっていますが、アンネ・フランクのことに限って書いてあるわけではなく、フランク一家との交遊と自分たちの生活を述べることによって、第二次大戦下のオランダの様子がわかるようになっています。食糧調達のためには、配給切符が必要でしたので、彼女だけの力ではどうにもなりません。切符を手に入れて渡してくれる人、行きつけの店の人のそれとなしの協力が必要でした。 アンネ・フランクが隠れ家にいた時、外はどうだったのかがわかりますので、「アンネの日記」とセットで読まれるべきものでしょう。「アンネの日記」を読んでまだこの本を読んでいない方は、是非読むことをお勧めします。 筆を執ったのは、アスリン・レスリー・ゴールドというアメリカのジャーナリストですので、実に読みやすく、感動的にまとめられています。ミープ・ヒースに何度もインタビューをして、まとめあげたとのことです。出版されたのは、1987年です。 章立ては以下の通りです。 第一部、難民 (自分の生い立ち、フランク一家との出会い、隠れるまで) 第二部、隠れ家 (隠れ家生活の支援活動) 第三部、暗黒の日々 (隠れ家が見つかり、オランダ開放、日記の出版) ミープ・ヒースは、1909年にオーストリアのウィーンに生まれた。 1920年12月、飢えているオーストリアの子供たちを救うための救援計画に従って、オランダに送られた。11歳だった。5人の子持ちの家でオランダ語を学びながら、栄養をつけてもらった。1925年、一度ウィーンに連れて行ってもらったが、養父母の下でオランダで暮らすことになった。 1933年、トラファース商会のオットー・フランクに雇われた。(アンネの父親) オットー・フランクは、フランクフルトから移住してきたばかりということで、まだオランダ語が得意でなかったので、ドイツ語で話した。(ミープは、11歳までドイツ語を話していたので、ドイツ語とオランダ語がわかる。) (書きかけ)

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2011/01/30

著者は、アンネ・フランクの隠れ家生活を支援した女性ミープ・ヒース。約2年間、食料を運び、外のニュースを伝え、アンネたち隠れ家の8人を励まし続けました。隠れ家が発覚し、アンネたちが連れ去られた後、残された日記を大事に守っていたのも、このミープさんでした。2010年、100歳で亡くな...

著者は、アンネ・フランクの隠れ家生活を支援した女性ミープ・ヒース。約2年間、食料を運び、外のニュースを伝え、アンネたち隠れ家の8人を励まし続けました。隠れ家が発覚し、アンネたちが連れ去られた後、残された日記を大事に守っていたのも、このミープさんでした。2010年、100歳で亡くなりました。

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2010/04/23

隠れ家のアンネ・フランク一家を支援した女性ミープ・ヒースによる回想録。 「アンネの日記」 があってこその本書だが、個人的にはこちらのほうが読みやすく、おもしろく感じた。 語り手であるミープはもちろんだが、 「隠れ家」 の内外の 「大人たち」、とりわけアンネの父オットーの思慮深さ、...

隠れ家のアンネ・フランク一家を支援した女性ミープ・ヒースによる回想録。 「アンネの日記」 があってこその本書だが、個人的にはこちらのほうが読みやすく、おもしろく感じた。 語り手であるミープはもちろんだが、 「隠れ家」 の内外の 「大人たち」、とりわけアンネの父オットーの思慮深さ、人間的な魅力にひきつけられた。それはおそらく、私がアンネではなく当時のミープの年齢に近いせいだろう。 アンネをはじめとするフランク一家、当時の情勢がより立体的に見えてくる本。 「アンネの日記」 を読み終えたら次にぜひ読みたい一冊。

Posted byブクログ