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プラグマティズム の商品レビュー

4.1

14件のお客様レビュー

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2024/05/06

実利的な思考方法としてのプラグマティズム。 合理主義と経験主義という線引きは、当時の米西洋アカデミズムの潮流で生まれたもの?、にしては雑な割り切り方で、今となっては古めかしい。 善的な有用性の内側に真理が含まれるという簡単明瞭ではあるが、至極真っ当な考え方。 世紀末ヨーロッパにお...

実利的な思考方法としてのプラグマティズム。 合理主義と経験主義という線引きは、当時の米西洋アカデミズムの潮流で生まれたもの?、にしては雑な割り切り方で、今となっては古めかしい。 善的な有用性の内側に真理が含まれるという簡単明瞭ではあるが、至極真っ当な考え方。 世紀末ヨーロッパにおけるオカルト主義の影響も少なからずありそう。 ジェームズの文章は粘り強く論理的に説得してくる。真面目な人って感じする。

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2024/04/27

極端に宗教に肩入れすることも、経験論に肩入れすることも否定しつつ、現実的な効用のあるものは、肯定し受け入れるという精神を表明した一冊。アメリカの哲学の源流にあたるウィリアムズ・ジェームズの代表的な一冊。

Posted byブクログ

2024/01/13

ジェイムスのプラグマティズムは超越論であれ経験論であれ、また一元論であれ多元論であれ、あらゆる哲学上の立場と両立し得る。それは哲学の哲学、いわばメタ哲学であるからだ。哲学の使い方を問う哲学、哲学に耽るためではなく、哲学を生きるための哲学と言ってもいい。個々の哲学上の立場に対しては...

ジェイムスのプラグマティズムは超越論であれ経験論であれ、また一元論であれ多元論であれ、あらゆる哲学上の立場と両立し得る。それは哲学の哲学、いわばメタ哲学であるからだ。哲学の使い方を問う哲学、哲学に耽るためではなく、哲学を生きるための哲学と言ってもいい。個々の哲学上の立場に対しては、「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」という可謬主義の立場をとる。全ては仮説(仮象ではない!)と割り切った上で、それが「役に立つ」かどうかを問題にする。何に役立てようというのか。もちろん良く生きることだ。哲学は「知への愛」だが、「知」は良く生きるための「知」であった筈だ。そのことを忘れた哲学は知的遊戯以外の何ものではない。この至極当たり前の考え方がプラグマティズムの出発点だ。 ただ、真理は役に立つかどうかで決まるというジェイムスの言い方は誤解を招き易い。ジェイムズはパースから構造主義(記号論)的な思考法を受け継いでおり、概念(言葉)と実在(世界)の一致ではなく、世界について語る言葉の内的整合性を真理と呼んでいる。言葉が生の形式であるならば、それが整合的であるとは生が整合的であることを意味する。言葉の外にある実在を写しとるのではなく、整合的で首尾一貫した生の表現(表出ではなく、創造であり自覚でもある表現)として言葉を用いること、これが「役に立つ」哲学なのだ。だがその整合性のパターンは一意には定まらず幾通りにも可能である。構造主義的なタームで言えば構造は「置換」可能なのだ。(最終的に言葉が実在に到達できると考えたパースとの違いが後にプラグマティズム内部の論争になり、近年パース再評価の動きもあるようだが、評者はローティとともにジェイムズにより共感する) そして何が良き生き方であるかも人それぞれだ。世界をまるごと認識することに喜びを感じる者もいれば、不完全であったとしても、とりあえずの認識を携えて世界を変える、あるいは完成させることに喜びを見出す者もいる。前者は超越論や一元論、後者は経験論や多元論に馴染み易い。ジェイムス自身は後者に共感を示すが、前者を排除してはいないし、できるとも思ってない。人の生き方が簡単には変えられないのだとしたら、自分の生き方にフィットする哲学を信じる他ない。その哲学を通じてより良く生きたと実感できたなら、それを真理と呼ぼうではないか。ジェイムスはそう言ってるのだ。なんか変だ、おかしいぞと気づいたら変えたらいいのだから。 プラグマティズムは人間を離れた外的基準による真理の基礎づけを放棄する。その意味で相対主義と言ってしまえばそれまでだが、思い込みによる居直りのススメでは決してない。ギリシャ哲学以来二千年この方、万人が承服できる基礎づけを行った者は誰一人ない。いつ果てるとも知れぬ無益な真理ゲームから哲学を解放し、人間の生を豊かにするという根本課題に哲学を差し戻す積極的な相対主義だ。哲学をピカピカに磨いて人間が干からびては意味がない。

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2020/02/08

簡単にいうと、哲学の本というより、哲学の読み方の本である。合理論を批判しているのであるが、それがどんなに変なことを言っているのかというのが分かる。そして、この立場は案外、中国思想にちかいと思う。また、「世界哲学」の基本におかれる考え方かもしれないと思う。

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2018/09/28

ウィリアムジェイムズ。 真理とは、観念との一致である。つまり、真理とは事実ではなく、観念的に真であれば、それが真理である。

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2019/03/03

 哲学として扱われているが、その語源、化学の手法を哲学に持ち込んだものであるという経緯をみれば方法や手法と捉えたほうが分かり易い。哲学は何の役に立つのか?という問の答えを導く手段であるとの主張にしたがい、実際にそれを示すのに多くの紙面を使っている。残念ならが答えが導かれたようには...

 哲学として扱われているが、その語源、化学の手法を哲学に持ち込んだものであるという経緯をみれば方法や手法と捉えたほうが分かり易い。哲学は何の役に立つのか?という問の答えを導く手段であるとの主張にしたがい、実際にそれを示すのに多くの紙面を使っている。残念ならが答えが導かれたようには思えないが、掴みどころのないものを実体のあるものとして扱うという点においては一定の成功を収めているようには思える。そして、”それは現実にどのような影響をもたらすのか?”というプラグマティズムが発する問いかけは哲学のみならず普遍的なものであり、多くの人に影響を与えたのも納得できる。

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2017/08/18

W.ジェイムズ。桝田啓三郎訳、岩波文庫、1957年。 中野にて購入。卒論の先行研究調査として。 カール・バルトの聖書解釈にプラグマティックな側面があることに気づいて、そのあたりの言及がないか検索。 パースよりもより道具的?この解釈で合っているのかは要確認。道具主義的だとしたら私...

W.ジェイムズ。桝田啓三郎訳、岩波文庫、1957年。 中野にて購入。卒論の先行研究調査として。 カール・バルトの聖書解釈にプラグマティックな側面があることに気づいて、そのあたりの言及がないか検索。 パースよりもより道具的?この解釈で合っているのかは要確認。道具主義的だとしたら私の目的にはよりかなっている。 宗教についての記述も多めで助かった。 私は原始教会がプラグマティックであるということを言いたかったのだなとはじめて自覚した。なので、プラグマティックに聖書講読をする方向性に切り替えることができそう。有用。 世間一般的に了解可能性が低い内在論理であると思われる。プラグマティックであるからこそ聖書解釈も煩雑になるのだと思う。どうやって証明するのか? 以下引用 もし神学上の諸観念が具体的生命にとって価値を有することが事実において明らかであるならば、それらの観念は、そのかぎりにおいて善である。そしてかかる意味で、プラグマティズムにとって真であるであろう。なぜなら、その観念がそれ以上にどれだけ真であるかということは、ひとしく承認されねばならない他のもろもろの真理との関係にもっぱら依存するであろうから。 (p59)

Posted byブクログ

2016/03/15

解説の影響をすごく受けた適当な感想だけど、抽象的なものを形作っていく哲学のスタイルがプラグマティズムだとすれば、そこには何か引っかかる感覚があって、ハマりそう雰囲気を感じるなぁ・・・。そして岩波のハードカバー触り心地良い!

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2014/09/29

ダマシオ「無意識の脳 自己意識の脳」 ウィトゲンシュタイン「ウィトゲンシュタイン全集 哲学探究」 ウィリアム・ジェームズ「純粋経験の哲学」 クワイン「ことばと対象」 ジョージ・バークリー「人知原理論」「ハイラスとフィロナスの三つの対話」「視覚心論」「哲学の改造」 ジョン・ロック「...

ダマシオ「無意識の脳 自己意識の脳」 ウィトゲンシュタイン「ウィトゲンシュタイン全集 哲学探究」 ウィリアム・ジェームズ「純粋経験の哲学」 クワイン「ことばと対象」 ジョージ・バークリー「人知原理論」「ハイラスとフィロナスの三つの対話」「視覚心論」「哲学の改造」 ジョン・ロック「人間知性論」 スティーヴン・シェイビン「「科学革命」とは何だったのか」 丹治信春「クワイン ホーリズムの哲学」 富田恭彦「科学哲学者」 ニコラス・ハンフリー「赤を見る」 ブルーノ・ラトゥール「科学が作られているとき」 ガザニガ「脳のなかの倫理」 リチャード・ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」「リベラル・ユートピアという希望」 オースティン「知覚の言語」 ミル「自由論」 セラーズ「経験論と心の哲学」 カール・ポパー

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2014/02/22

ヨーロッパの思想史を貫く合理論と経験論の両立を目指すプラグマティズムは全くもってアメリカ的だ。原理原則ではなく事実や結果を重要視する姿勢は真理すらも到達点ではなく仮定のものであるとし、同時に有効であり善であるものを真理だとする考えが日本人には不可解に見える科学的態度と信仰心の両立...

ヨーロッパの思想史を貫く合理論と経験論の両立を目指すプラグマティズムは全くもってアメリカ的だ。原理原則ではなく事実や結果を重要視する姿勢は真理すらも到達点ではなく仮定のものであるとし、同時に有効であり善であるものを真理だとする考えが日本人には不可解に見える科学的態度と信仰心の両立を可能としている。一見いいとこ取りに見えるプラグマティズムだが、価値の判断基準を常識に置くその姿勢には、近代経済学が「完全に自由で合理的な個人」を前提とする様な嘘臭さを感じてしまうのだ。「常識」とは時に、簡単に「世間」に堕胎する。

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