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津田梅子 の商品レビュー

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6件のお客様レビュー

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2018/05/06

僅か7歳で明治政府の留学生として渡米し、18歳で帰国した津田梅子。米国時代の養父母ともいえるランマン夫妻、特にアデリン・ランマン夫人との間の30年、数百通に亘る手紙のやり取りに、梅子は、日本では吐露出来ない想いを込めた。如何にして日本の女性に教育の機会にを与えられるか、自分はどう...

僅か7歳で明治政府の留学生として渡米し、18歳で帰国した津田梅子。米国時代の養父母ともいえるランマン夫妻、特にアデリン・ランマン夫人との間の30年、数百通に亘る手紙のやり取りに、梅子は、日本では吐露出来ない想いを込めた。如何にして日本の女性に教育の機会にを与えられるか、自分はどう生きるべきか、と。米国教育を受け、言葉も生涯にわたり日本語よりも英語を母語とした梅子が、日本の中に世界を観て女性教育の開拓者となる。壮大な物語である。手紙と著者の解説が交互に展開し、大変に解りやすくリアルである。アデリンはもとより、米国留学仲間の大山捨松や女子教育の先駆者下田歌子、また伊藤博文や森有礼、モリス夫人、アンナ・ハーツホンなど、そして父津田仙など日米両国で梅子を助ける人々も随所に描かれており魅力的である。

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2017/08/03
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

日本で初めてアメリカへ留学し、帰国後に津田塾大学の前身である女子英学塾を開いた津田梅子の話。アメリカのホストマザーに宛てた私信を紹介しつつ、梅子の考えや行動を考察している。 印象に残ったことは色々とあるが、 「目に見える形あるものは消失しても、生きている人間の中に培われているものは消失しない」 という梅子の信念にはズシンと来た。この信念があったから、関東大震災で塾が燃えてしまったと聞いたときも梅子は取り乱さなかったという。梅子の教育の理念でもあったのかもしれない。

Posted byブクログ

2014/01/11

梅子の私信を通じて梅子の留学後から大学創立までを描いている。 その当時男性と比べ、地位の低かった日本女性を教育で高めようと津田塾を創立する。 日本女性の地位に低さを本当に残念に思っている様子が伝わってくる。 また、当時の日本の状況が再現され、その頃の気配や世の様子も伝わってくる。...

梅子の私信を通じて梅子の留学後から大学創立までを描いている。 その当時男性と比べ、地位の低かった日本女性を教育で高めようと津田塾を創立する。 日本女性の地位に低さを本当に残念に思っている様子が伝わってくる。 また、当時の日本の状況が再現され、その頃の気配や世の様子も伝わってくる。 伊藤博文や大山捨松との交流も興味深い。

Posted byブクログ

2012/01/02

私は、縁があって津田梅子の留学先Bryn Mawr 大学の近くに住んで、フィラデルフィアの大学、そして大学院で看護学を学んだ。現在も隣の州、ニュージャージーに住んでいる。本書では、日本女性の社会的レベルの向上を目指し、教育に一生を捧げた梅子の行き方が如実に語られている。さらに、ア...

私は、縁があって津田梅子の留学先Bryn Mawr 大学の近くに住んで、フィラデルフィアの大学、そして大学院で看護学を学んだ。現在も隣の州、ニュージャージーに住んでいる。本書では、日本女性の社会的レベルの向上を目指し、教育に一生を捧げた梅子の行き方が如実に語られている。さらに、アメリカで学び、日本に帰ってきて、学びが生かされないことに苦しむ梅子の気持ちや学校設立までの困難な様子など、彼女の知られていない面も垣間見ることができた。現在の自分の人生と重ねあわせながら、梅子のような偉大なことはできないまでも、私が日本にできること、またはアメリカにできることを思案する一助となったように思う。

Posted byブクログ

2011/12/06

津田塾大学を創設した明治時代の女傑の生涯を描いた著。梅子の後輩の著者が、本人がアメリカ留学時代に世話になったランマン夫妻に当てた私信を元に彼女の自伝として完成したもの。常に欧米と日本の両者の間にニュートラルに視点を置き冷静かつ誠実に物事に当たり、数多の逆風をものともせず、日本の女...

津田塾大学を創設した明治時代の女傑の生涯を描いた著。梅子の後輩の著者が、本人がアメリカ留学時代に世話になったランマン夫妻に当てた私信を元に彼女の自伝として完成したもの。常に欧米と日本の両者の間にニュートラルに視点を置き冷静かつ誠実に物事に当たり、数多の逆風をものともせず、日本の女性の教育に生涯心血を注いできた梅子の生き様に、信念を掲げ、意志を貫くことの大事さを感じました。

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2009/10/04

日本で女性初の留学生として7〜18歳までアメリカに渡った津田梅子の話。あの時代に、しかも幼くして長い間家族と離れ、異国の地で勉強したとはすごいとしか言いようがない。帰国後は女性の教育のために一生を捧げた。同じ女性として尊敬する。本人の手紙から帰国後の葛藤がうかがえる。

Posted byブクログ