成熟と喪失 の商品レビュー
成熟と喪失という、対…
成熟と喪失という、対比法を用いている。日本の「母」というキーワードは、近代以降を読み解く上で重要な意味を持つ。キリスト教では父なる神で、西欧圏では父の力がよく使われる。
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「母」を失うことなし…
「母」を失うことなしには日本社会の成熟がありえないと文学と絡め論じた評論。
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母子密着の日本型文化(概念と素朴実在論)から近代化への思想と実相のずれを戦後日本の小説を通し、分析したもの。 ・実在と幻覚と不審者(他者)の存在。みずからの存在の歴史的確認。 ・母の崩壊なしに成熟はありえない。「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに湧いてくるこの「悪」をひきうけること。決定的な喪失、そして自由と解放。フロンティアへ。問答を繰り返すこと。人はイメージによって生きる 現実によって生きはしない。 ・個人であり、お互いは他者。stranger との倫理的な関係、それは近代であり歴代の家庭のイメージを粉砕されるもの。断片的な「静物」それより複雑かつ有機的なものへ。心理的象徴が自然を多様なものへ。 一読ではなかなか読みにくく難解なものだったが、戦後日本の小説をとおし、日本の近代化へおける母と子の分析から成熟と喪失を謳った本であり興味深かった。
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「海辺の光景」と「抱擁家族」について自分がよみきれなかったところをこの本が肉付けしてくれた。 「星と月は天の穴」についてをいちばん興味深く読んだとおもう。この小説が小説家界隈のための小説だというのは興味深かった。「濹東綺譚」を対比として出しているのが自分にとってわかりやすかった。 なにより「夕べの雲」については、今まで先生の読み方で読んでいたため、「静物」と同様に家庭内の不安を描くという観点で読み解かれている文章に触れることができてとても学んだ。
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江藤淳氏が、第3の新人について、「母」と「息子」という観点から論じている。 普段あまり読むことのないジャンルだったこともあり、非常に難解に感じた。母や父を、文字通りに捉えるのではなく、自然や近代化などの事象の比喩として捉えないといけない。
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安岡章太郎、小島信夫、吉行淳之介、遠藤周作そして庄野潤三といった、いわゆる「第三の新人」と呼ばれる作家たちの小説を、近代、特に戦後の日本における「母の崩壊」という切り口から論じた長編評論です。もともと著者の中には「文学にあらわれた日本の『近代』の問題を、『父』と『子』の問題としてとらえようとする発想」があったと、この本の「あとがき」で言っています。しかし、それを、その後2年間のアメリカ滞在を挟んで、今度は『母』と『子』の問題、「母性の崩壊」の問題として論じたのが本書です。単行本は1967年に出ました。今となっては、日本の社会や日本人の問題を「父」とか「母」という視点で論じることに疑問を感じないこともありませんが、吉行淳之介の『星と月は天の穴』を永井荷風の小説と対比して論じたところなどはなかなか読ませます。 なお、四日市大学の情報センターには今のところこの文庫本はありませんが、小学館の『昭和文学全集 第27巻 昭和文学全集 福田恆存・花田清輝・江藤淳・吉本隆明・竹内好・林達夫』に収録されていて、こちらは所蔵していますのでそちらで読むことが出来ます。
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再読。人生で読んだことのある本の中で10本の指に入る私にとってとても切実な本だった。指摘のあまりの鋭さに涙が止まらなかった。
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[ 内容 ] 「海辺の光景」「抱擁家族」「沈黙」「星と月は天の穴」「夕べの雲」など戦後日本の小説をとおし、母と子のかかわりを分析。 母子密着の日本型文化の中では“母”の崩壊なしに「成熟」はありえないと論じ、真の近代思想と日本社会の近代化の実相のずれを指摘した先駆的評論。 [ 目次 ] [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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「成熟」するとは、喪失感の空洞の中に湧いてくる「悪」をひきうけることである(本文より) "母の崩壊"と"父の不在"というイメージはかつては文学上の虚構に過ぎなかったが、現代ではもはや完全に現実のものとなった。観念的に”母”を捨て、他人にな...
「成熟」するとは、喪失感の空洞の中に湧いてくる「悪」をひきうけることである(本文より) "母の崩壊"と"父の不在"というイメージはかつては文学上の虚構に過ぎなかったが、現代ではもはや完全に現実のものとなった。観念的に”母”を捨て、他人になること。その悪の意識を抱えたまま前進することこそが、成熟した人間として生きるという事である。
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1967年に発表された、戦後評論における屈指の名著と言っても差し支えのない一冊。エリクソン『幼年期と社会』で語られている米国の母子関係というものを日本のそれと対峙させ、日本の戦後文学で家族というものがどの様に描かれているかを分析することで、その社会構造が持つ問題点を炙り出す。 ...
1967年に発表された、戦後評論における屈指の名著と言っても差し支えのない一冊。エリクソン『幼年期と社会』で語られている米国の母子関係というものを日本のそれと対峙させ、日本の戦後文学で家族というものがどの様に描かれているかを分析することで、その社会構造が持つ問題点を炙り出す。 本書では、日本の家族というものが農耕的・定住的な土壌による母子関係にあるものだと捉え、キリスト教のような絶対神というものが不在な故に父というものの象徴は欠けてきたのだと説く。そして、敗戦という経験が完全なる西欧化=母性の世界の崩壊をもたらしたにも関わらず、父というものは「恥ずかしいもの」として象徴されたままであり、人工的な環境だけが日に日に拡大していった結果、家族というものから様々な問題が生じてきていると喝破する。 僕らは戦後日本の歴史というものについてほとんど知らない。それは幾つもの断絶を抱えたまま、放棄されている。そんな中で、戦後という枠組で一つ言える事があるとすれば、それは絶えず「家族」というものが問題を抱え続けたままでいるという事だろう。そう、一人の人が同時に父であること、夫であること、男である事というのは等号が成り立つけれども、母である事、妻であること、女であることというものには決して等号は成り立たない。そして、この不均衡な構造こそが、今も多くの問題を生み出している。そう、決して等号が成り立たないものを相手に求めようとするのは、やっぱり無理なんだよ。 著者は本書で述べる。成熟するというのはなにかを獲得するのではなく、喪失を確認することであり、その空洞のなかに沸いてくる「悪」を引き受ける事であると。僕らはこのような問題を乗り越えて、成熟に辿り着くべきだろうか。それとも、その成熟が西欧的価値観である事を考え、成熟するのではなく別の道を考えるべきだろうか。いずれにせよ、戦後論から現代の家族論、果てはオタク論にまで射程を捉えた、読まれるべき一冊。
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