今日われ生きてあり の商品レビュー
これは特攻隊の手記…
これは特攻隊の手記なんです。「僕はもう死ぬから 僕の寿命をおばちゃんにあげます」って言った17歳の少年の言葉が忘れられません。最後まで人にやさしく出来る強さが胸に痛いです
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鹿児島知覧の特攻記念…
鹿児島知覧の特攻記念館に一度行きたくなりましたね。八重桜を振って見送る女学生に笑顔で手を振って出発する特攻隊兵士の写真が印象的でした。
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まずは、中日スポーツのこの記事。 《パリ五輪の卓球女子シングルスで銅メダル、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=が帰国後の記者会見で鹿児島の知覧特攻平和会館を訪ねたい旨を明かしたことについて、X(旧ツイッター)で称賛する声が続いている。 「さすが日の丸を背負った代...
まずは、中日スポーツのこの記事。 《パリ五輪の卓球女子シングルスで銅メダル、団体で銀メダルを獲得した早田ひな(24)=日本生命=が帰国後の記者会見で鹿児島の知覧特攻平和会館を訪ねたい旨を明かしたことについて、X(旧ツイッター)で称賛する声が続いている。 「さすが日の丸を背負った代表選手です」「涙が止まりませんでした」「そういう発言ができる事が素晴らしい」と好意的な投稿が相次ぎ、作家でジャーナリストの門田隆将さんは「命を散らした若者の真実。ぜひ触れてほしい」と支持した。 同施設については女子マラソンで6位入賞を果たした鈴木優花も2月22日に更新した自身のXで来訪したことを明かし、「知覧の記念館へ行きました。この時代に生きているということだけでありがとう、と思った。結構、涙堪えてた。帰りたくても帰れない 会いたくてももう会えない わかっていてそれでも飛んで行った人たちが沢山いる」などとつづっている。 15日は終戦記念日。戦火に散った先人たちの足跡を触れようする行動は大いにリスペクトされている。》 今年は終戦から79年、カミカゼ特攻隊や人間魚雷回天など今となれば狂気としか思えない作戦の犠牲となった若者たち。 彼らの思いは、自らの散華が焼け石に水と知りながら、米軍の本土侵攻を少しでも遅らせることで自分の家族や仲間を守りたい、「天皇陛下万歳」と唱えながらも彼らの真意はそこにありました。 早田ひな選手の発言、いつものように左翼メディアや隣国が言葉尻を捉えて騒ぎ立てていますが、靖国神社の遊就館を含め、日本人なら一度は手を合わせ訪問すべき場所でしょう。 『散るために咲いてくれたか桜花 散るこそものの見事なりけり』 涙なくしては読めない手記がたくさんありました。 女子青年団員松元ヒミ子の言葉。 「日本を救うため、祖国のために、今本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でも学者でもなか。体当たり精神を持ったひたむきな若者や一途な少年たちだけだと、あの頃、私たち特攻係の女子団員はみな心の中でそう思うておりました。(中略)立派でした。あン人たちは…」 そして作者の怒りと嘆きの言葉も。 「歴史の歳月を濾して太平洋戦争を振り返ってみれば、そこには美があり醜があり、勇があり怯があった。祖国の急を救うため死に赴いた至純の若者や少年たちと、その特攻の若者たちを石つぶての如く修羅に投げ込み、戦況不利とみるや戦線を放棄し、遁走した四航群の首脳や六航群の将軍や参謀たちが、戦後ながく亡霊のごとく生きて老醜をさらしている…」 「特攻は戦術ではない。指揮官の無能、堕落を示す“統率の外道”である」 (もちろん、戦勝国という理由で無罪放免となっている米国の2度にわたる2種の原爆投下や民間人を狙った無差別爆撃という外道も戦争犯罪としてきちんと批難されるべきです) 本書で一人でも多くの若者が、当時同じ世代だった彼らが何を思い、何をしたのか、終戦記念の日だからこそ考えてみてほしい。 「書を捨てよ町へ出よう(寺山修司)」、改め、本書を持って知覧へ行こう!
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戦争の愚かしさ、ここに極まれり。遺す人たちを想いながら散華したその心、それを見送った人たちの心、これこそが耐えがたきを耐えたと言い得るに値するのではないでしょうか。一気に読んでしまいましたけど、一話一話が衝撃的で、でも決して目を背けてはいけないと思う。
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終戦前の特攻隊員や隊員を取り巻く家族、お世話をした人びとの、遺書や手紙、日記を物語に仕立てたノンフィクションです。 各章が独立しているので、注目するところから読み進むことができます。 しかし、せつないです。 いまの平和な暮らしの礎には、国のために若くして潔くその身を捧げた人達がい...
終戦前の特攻隊員や隊員を取り巻く家族、お世話をした人びとの、遺書や手紙、日記を物語に仕立てたノンフィクションです。 各章が独立しているので、注目するところから読み進むことができます。 しかし、せつないです。 いまの平和な暮らしの礎には、国のために若くして潔くその身を捧げた人達がいることを、けして忘れてはいけないと感じます。
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この本は、涙無しに読めません。また、自分の祖父の時代の出来事でもあり、インドネシアで亡くなったと聞いた。自分が祖父の時代に生きていたら、強く生き切ることが出来るのだろうか?と考える。
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沖縄という犠牲があり、特攻隊という犠牲があって、本土は守られた。やがて敗戦の精神的空白にマルクス主義が浸透する。その勢いはいよいよ盛んになり、1960年代から70年代に渡る安保闘争で頂点に至る。当時、自衛隊は日陰者として扱われた。戦力放棄を謳った戦後憲法の下(もと)で自衛隊員は公...
沖縄という犠牲があり、特攻隊という犠牲があって、本土は守られた。やがて敗戦の精神的空白にマルクス主義が浸透する。その勢いはいよいよ盛んになり、1960年代から70年代に渡る安保闘争で頂点に至る。当時、自衛隊は日陰者として扱われた。戦力放棄を謳った戦後憲法の下(もと)で自衛隊員は公務員と位置づけられた。決起を呼びかけた三島由紀夫に対して、自衛隊員が野次と怒号で応じた時、特攻の精神は死に絶えたのだろう。 http://sessendo.blogspot.jp/2016/02/blog-post_95.html
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太平洋戦争末期に天号作戦で散った特攻隊員について、彼らの日記、遺書、関係者の談話をまとめた19話が収められている。1983~85年に月刊仏教誌「東方界」に連載され、1985年に単行本で発刊、1993年に文庫化された。 巻頭に載せられた数枚の写真~「特攻出撃直前 整備兵たちと別れの...
太平洋戦争末期に天号作戦で散った特攻隊員について、彼らの日記、遺書、関係者の談話をまとめた19話が収められている。1983~85年に月刊仏教誌「東方界」に連載され、1985年に単行本で発刊、1993年に文庫化された。 巻頭に載せられた数枚の写真~「特攻出撃直前 整備兵たちと別れの盃をかわす飛行兵たち」、「特攻天号作戦出撃の第二十振武隊穴沢少尉機を見送る知覧高女三年生たち」、「戦友の遺骨を胸に整備兵の心づくしの鯉のぼりと共に出撃」。。。これらの写真を見るだけでも胸に迫るものがあるが、この飛行兵たちが、どのような想いで知覧を飛び立っていったのか。。。 「俺たちの苦しみと死が、俺たちの父や母や弟妹たち、愛する人たちの幸福のために、たとへわづかでも役立つものなら・・・」(長谷川信少尉の日記) 「おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころは、沖なはの海に散つてゐます。思ひがけない父、母の死で、幼い静ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが・・・時計と軍刀も送ります。・・・売つてお金にかへなさい。兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです」(大石清伍長の妹への遺書)等 あまりにも純粋で、ひたむきで、一途で、美しい若者たちの想いが、胸を締め付ける。 永遠に読み継がれていくべき類の作品と言える。 (2010年8月了)
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本書は、特攻隊の生き残りである著者が、敗戦後三十七年を経て書いた、時代に対する悲痛な叫びである。 若くして散った特攻の方々に対し、戦後の日本はあまりにも敬意が足りなかった。 十代、二十代の若者たちは、国家に洗脳された狂信者でもなければ、国家に利用されるような純粋無垢であったわ...
本書は、特攻隊の生き残りである著者が、敗戦後三十七年を経て書いた、時代に対する悲痛な叫びである。 若くして散った特攻の方々に対し、戦後の日本はあまりにも敬意が足りなかった。 十代、二十代の若者たちは、国家に洗脳された狂信者でもなければ、国家に利用されるような純粋無垢であったわけでもない。 ひとりひとりが悩み、何度も生と死を考え、堂々巡りを繰り返しながら、知覧から飛び立っていった。 本書では、特攻のひとりひとりの手紙や日記、関係者の証言などで構成しながら、あの時代を精一杯生きたひとりのひとりの軌跡を綴っている。 特攻出立の日に、トランプで母親の幸福が占えたことを喜び、最後の手紙に記した新田祐夫。 ひとり薄暗い竹やぶで「お母さんお母さん」と叫びながら白刃を振り回して断ち切れぬ家族への想いと格闘した十九歳の少年特攻隊員。 「日本を救うため、いま本気で戦っているのは大臣でも政治家でも将軍でも学者でもなか。体当たり精神を持ったひたむきな若者や一途な少年だけだ」 と、当時特攻隊員を何人も見送ってきた知覧の人々誰もが心の中でそう思っていたということからも、どういう時代だったかということが想像できると思う。 また、特攻隊の方々以外にも、戦争で亡くなった方々のことも戦争で生き残った方の証言に基づいて綴られている。 特に胸打たれたのは、大阪一のうどん職人を夢見ていた十四歳の少年の話。 あらゆる人々の可能性や努力、そしてかけがえのない人間の交流をも、一瞬にして奪うのが戦争であるということを、あらためて我々に教えてくれる話であった。
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太平洋戦争での特攻隊員やその周辺の人々の日記や語り。 過去にこのような事実があった、このような過酷な現実があった、ということ絶対に忘れてはいけない、と感じた。 読み終えて、ふと空を見上げた時、地上はこんなに変わってしまったけれど、空は変わらずそこにある、そんなことを改めて感じた。
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