タタール人の砂漠 の商品レビュー
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『いつか訪れるかもしれない夢を待ち続け…』 辺境の砦で、いつ訪れるかわからないタタール人の来襲を待ち続けるドローゴ。様々な選択肢がある中で、砦に留まることを選択する。ドローゴの心の機微をじっくり味わいながら読みたい一冊!!
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待つことーーー唯一私達に示されるのは「待つこと」だけだ。 時代背景も、どこにあるのかもはっきりと分からない砦を舞台にドローゴは待ち続ける。 目前に延々と広がる砂漠の向こうにはタタール人がいる。タタール人の襲来に備えて砦は存在する。 ただそれは何百年も昔の話。本当にタタール人が...
待つことーーー唯一私達に示されるのは「待つこと」だけだ。 時代背景も、どこにあるのかもはっきりと分からない砦を舞台にドローゴは待ち続ける。 目前に延々と広がる砂漠の向こうにはタタール人がいる。タタール人の襲来に備えて砦は存在する。 ただそれは何百年も昔の話。本当にタタール人が存在するのかどうか、誰も知らない。 それでも待っている。 人間は傲慢で、自分に終わりがくるなんて本気で思っていない。自分には明るい未来が待っていて、これからだと信じることで生きられる。 老いや死などまだまだ関係ない、先は長いと。 待つことで結局人生を棒に振ってしまうなんて考えもせずに。 特段のドラマも起こらない、ただただ待っているだけの話なのにすごく胸を打たれた。 ラストは悲痛で、美しい。 具体的な地名など一切ないのに、強い日差しに焼けた黄色っぽい砦がありありと目に浮かぶ。 この名著を読む機会をくれた本から引用を。 「全人類はただ存在することによって、延々と待ちぼうけを食らわせる主人公の役を演じている。」
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歴史的に戦闘があったことのない国境の砦の物語。語り継がれる”タタール人の襲撃”に備えて、無為に過ごす兵隊。空しく年齢を重ねることに恐怖を抱き、”タタール人の襲撃”を夢見るように待ち続ける。しかし国境の砂漠には何も起きない。ただひたすら待つだけのこの不条理劇が、それこそ条理だと説き伏せる力に、舌を巻いた。
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まぐれ/ブラックスワン の著者、経済学者にして読書家ナシーム・ニコラス・タレブからのリファレンス。1940年のイタリア文学 本日本語版は1992年の初版。 辺境の砦に配属されたジョバンニ・ドローゴ中尉という主人公の目を通じて、組織の文化に染まり、いつか個性や独自性を埋没させてい...
まぐれ/ブラックスワン の著者、経済学者にして読書家ナシーム・ニコラス・タレブからのリファレンス。1940年のイタリア文学 本日本語版は1992年の初版。 辺境の砦に配属されたジョバンニ・ドローゴ中尉という主人公の目を通じて、組織の文化に染まり、いつか個性や独自性を埋没させていくという甘美な堕落が非常に上手く描かれている。思わず、音の無い窒息に鳥肌すら立つこともあった。 そういう押し付けがましい訳でもないが、ただただ残酷な運命に翻弄される主人公から、目が離せないのは、誰のなかにも居るドローゴとの葛藤だったのではないかと思います。テーマも内容も凄いマスターピースといえるでしょう。
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無常にも連連と粛粛と過ぎて行く時間。 希望と失望の狭間で人生を送る青年将校の生涯を描いた幻想作品。 主人公ジョヴァンニ・ドローゴは士官学校を出た後に ある砦への赴任を命ぜられる。 期待と希望とを胸に秘めて出向いたものの、 そこは、両側を谷間で挟まれ、前方には荒涼とした砂漠のみ...
無常にも連連と粛粛と過ぎて行く時間。 希望と失望の狭間で人生を送る青年将校の生涯を描いた幻想作品。 主人公ジョヴァンニ・ドローゴは士官学校を出た後に ある砦への赴任を命ぜられる。 期待と希望とを胸に秘めて出向いたものの、 そこは、両側を谷間で挟まれ、前方には荒涼とした砂漠のみが展開し、 町からは程遠く、戦では無用な、ある国境の要塞だった。 失望から転任を企てるが空しくも報われず、 その後、淡く微かな戦へのときめきと昇進への期待を抱きながら 砦での生活を淡々と行っていく。 そしてこれは我々の人生を描いた物語です。 人生の主人公である自分は、 何かしらの良い役回りを授かれることを、 僅かばかりの名声や名誉に与れることを、 未来が今日より進歩してることを、 豊かな人生が待っていることを期待し、 しかし、その期待と現実とのギャップに失望し、苦悩し、 そして意欲と妥協との狭間を行きつ戻りつして生きている。 その間に明日はあっという間に後ろに過ぎ去っていく。 本著は、劇的な話ではありません。 しかし、このような静穏な物語だからこそ、 人生の儚さや侘しさを表現し得たのだと思います。 とても良い物語です。
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味気ない士官学校の日々を終え、将校に任官したドローゴは、最初の任地、バスティアーニ砦に赴くことになった。 誇らしい気分を胸に抱いて、颯爽と馬に跨り、若いドローゴは故郷をあとにする。 バスティアーニ砦とは、その向こうに広がる北の砂漠からタタール人が責めて来ないかという監視と責め...
味気ない士官学校の日々を終え、将校に任官したドローゴは、最初の任地、バスティアーニ砦に赴くことになった。 誇らしい気分を胸に抱いて、颯爽と馬に跨り、若いドローゴは故郷をあとにする。 バスティアーニ砦とは、その向こうに広がる北の砂漠からタタール人が責めて来ないかという監視と責めてきた場合の最初の攻防戦を交える場所である。 しかし、タタール人が襲撃してくることなどなく、漠々とした景色を砦から眺める警備軍務のみをこなす平和な毎日がただ過ぎてゆく。 ドローゴは、休暇に故郷に幾度か戻るが、町は変わり、母も亡くなり、友も新しい家族を増やし変わっていく。 着任早々、任地転務を申し出たドローゴだったが、短期間の軍務で砦を去っていく軍人たちを多数見送り、いつしかこの辺境の砦を我が棲家のように思うようになるのだった。 いつか、そう、いつか、タタール人が北から攻めてきた時には、ドローゴは軍旗をはためかせ、一番に敵陣に斬りこむ覚悟はできている。 タタール人の襲来は幻想なのか。 ドローゴは、三十余年にわたる砦勤務を続けていた。 何度も何度も目を凝らした砂漠の彼方にタタール人が見えたような気がしたが、それは間違いで、自分の大切な人生の時、ただ、待つ という時間が虚しく過ぎていく。 しかし、ついに、そのときがきた。タタール軍勢が、北から攻め入ってきたのだ。 だが、今や年老いたドローゴは、肝臓の病に冒され、待ちに待った戦闘の時に、無用の将軍として砦を去り、旅籠で死を迎える。 本書は、ディーノ・ブッツァーティの代表作とされている作品。 いつかくるかもしれない襲来を一生をかけて、待ち続けるドローゴの期待と焦燥が、作品から湧き出すように溢れ、結末に極まる崇高な孤独感に読者はなすすべを失う。 軍人として、男として、戦で華々しく命を散らす。それが軍務に就いた人間の本望なのかもしれないが、 ドローゴのような軍人が砂漠のど真ん中の辺境の砦で、生きた人生をわたしたちは考えたことがあったのだろうか。 本書の自国イタリアでの初版は1940年。イタリアは戦火に突入したこともあり、あまり脚光を浴びることはなかったようだ。 しかし、フランスやドイツなどでブッツァーティ作品は、高い評価を得て、今では本国イタリアでも20世紀を代表する作家と見なされている。 『タタール人の砂漠』は、映画化もされているらしいが、私は見る機会に恵まれていない。 ブッツァーティの描く不条理は、ひとりの人間が貫く哲学とそれに覆い被さる孤独と虚しさを、迎合させることなのかもしれません。
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[ 内容 ] 「勇気ある作家」ブッツァーティの代表作。 「人生」という名の主人公が30年にわたる辺境でのドローゴの生活にいなにひとつ事件らしいものを起こさない……。 20世紀幻想文学の古典。 [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度...
[ 内容 ] 「勇気ある作家」ブッツァーティの代表作。 「人生」という名の主人公が30年にわたる辺境でのドローゴの生活にいなにひとつ事件らしいものを起こさない……。 20世紀幻想文学の古典。 [ 目次 ] [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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読み始めてすぐに、ああ、これは人生そのものについて描かれた物語なのだ、と思う。 これまで生きてきた年数より、これから生きる年数の方が確実に短いことがわかっている身にとっては、胸をえぐられるように感じられる作品である。 きっと、読者の誰もが主人公ドローゴの人生に自分の人生を重ね合...
読み始めてすぐに、ああ、これは人生そのものについて描かれた物語なのだ、と思う。 これまで生きてきた年数より、これから生きる年数の方が確実に短いことがわかっている身にとっては、胸をえぐられるように感じられる作品である。 きっと、読者の誰もが主人公ドローゴの人生に自分の人生を重ね合わせずにはいられなくなるのではなかろうか。 変化を待ち望みながらも、変化を恐れ・・・・ やがて来るべき栄光の時を待って、待って、待ち続ける。 打ち捨てられたかのような城砦が時折見せる神秘的な佇まいに、未来を約束されたかのように幻惑され、待つ自分を肯定する。 ここまで待ったのだからと、さらに待つ。 そうこうするうちに、他の生き方をするには手遅れとなり・・・・・ 待つことに費やされ、何事をも成し得なかった人生には何の意味もないのだろうか。 いや、まだ最期の闘いが残っている。 進軍ラッパも、援軍も、約束された栄光も、結果を見届ける人もいない闘いが。 ここにこそ、持てる勇気のすべてをと、ドローゴは高揚する。 それもまた、幻影かもしれない、とブッツァーティは囁くのだけれど。 最後のシーンでのドローゴのほほえみに救われる思いがする。 Il Deserto dei Tartari by Dino Buzzati
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「確信は次第に薄れていった。人間はひとりっきりで、誰とも話さずにいる時には、あるひとつのことを信じつづけるのはむつかしいものだ。その時、ドローゴは、人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだということに気づいた。」 ♪たららーたららーらら、たーら...
「確信は次第に薄れていった。人間はひとりっきりで、誰とも話さずにいる時には、あるひとつのことを信じつづけるのはむつかしいものだ。その時、ドローゴは、人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだということに気づいた。」 ♪たららーたららーらら、たーらららー どこかしら中央アジアを旅するような、厳しさと長閑さの入り混じった音楽を思い出しつつも(韃靼人の踊り)、ここに描かれる旅は底知れぬ恐怖を呼び起こす。 旅の目的地に確信を持てぬまま旅をする主人公を描くことで始まるブッツァーティの「タタール人の砂漠」は、どこかしら彼の「石の幻影」を思い起こさせる。しかし、旅の終着点に謎の根源がある事を知りつつ旅をする「石の幻影」の主人公は、そこに秘せられた目的があることを知っているし、物語としても、その謎を解くという目的が読者の中で自然に芽生え、ある意味で安心できる。一方「タタール人の砂漠」の主人公にとって旅は終着点に辿り着くまでの過程に過ぎず、そしてまた終着点に何があるかは問題ではない。そこは自分の人生にとっての終着点ではなく、一つの通過点であると信じている。しかし読者はその旅の終わりに、タタール人の砂漠、と呼ばれる場所があることを知ってしまい、それがこの本のタイトルであることから、大いに不安になる。 主人公は目的地に着く。そこで発見するのは当初の意味を失った建物である。にも係わらず大勢の人間が捉われ、目的が無い筈などない、という逆説的な狂信に取り付かれているのを発見する。そして、そこが通過点ではなく、出口のない場所になり得ることに徐々に気付いていくが、気付いたときには遅すぎる。その絡め取られていく過程が実に恐ろしい。 例えば、こんな風に物語りは進む。一つの出来事があり、憶測と妄信が錯綜する。しかし依然として何も狂信を裏付けることは起こらない。そして一足飛びに時が流れる。また繰り返される憶測。だか実は着実に状況は変化しつづけている。それが余りに小さな変化の積み重ねであるがゆえに、人々はその変化がもたらすであろう結果に思いを致すことができない。いや気付きつつもそれを否定するのだ。 あるいはここに今の環境問題に対して人類が取り続けている態度を重ねてみて恐ろしい気持ちになったりもするのだが、実のところ自分が感じる恐怖はエピソードとエピソードの間で瞬間に流れ去る時の大きさに対してなのである。それは40代の後半を迎えている自分自身が日頃実感する恐怖と奇妙に呼応する時間の重さであるからだ。自分自身もまたどこかへ進んでいるようでいて、同じ場所をぐるぐると回っているだけなんじゃないのか、という思いがふとよぎる。ここが終着点ではなく、通過点であると、一体誰が言い切れるのか。蟻地獄に絡め取られるような不安の渦が押し寄せる。 そんな自分の不安な心を救ってくれるのは傍に居るものの存在であると思うのだが、そんな心を見透かしたようにブッツァーティは孤独というものの本質に迫る。 結局のところ、人生は目的も目的地もない長い長い旅なのか? ひたひたとブッツァーティの語る言葉の恐ろしさに犯されていく、そんな読書。読み終えたとき、何故か、鬼束ちひろの「私とワルツを」の詩の意味を深く考え直したくなる、そんな小説である。
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