新版 つげ義春とぼく の商品レビュー
つげの愛する、鄙びた…
つげの愛する、鄙びた寂しい温泉街を訪ね歩いた旅行記。ノスタルジックな切ない気持になる。シュールな夢日記も必見。
文庫OFF
つげ義春という漫画家を知ったのはいつの頃だろう。小学生5,6年生の頃だったろうか。 『ガロ』に掲載された『ピーコ』『李さん一家』が最初の出合いだと思う。 作者の独特な癖がある暗い世界を幼い僕が到底理解していたとは思えないが、『ピーコ』では、同棲中の女性がかわいがっていた文鳥のピー...
つげ義春という漫画家を知ったのはいつの頃だろう。小学生5,6年生の頃だったろうか。 『ガロ』に掲載された『ピーコ』『李さん一家』が最初の出合いだと思う。 作者の独特な癖がある暗い世界を幼い僕が到底理解していたとは思えないが、『ピーコ』では、同棲中の女性がかわいがっていた文鳥のピーコを、ピースの箱に入れて宙に投げて抜け出す遊びをしていたときに、うまく箱から抜け出せずに畳の上に落下し、そのまま死んでしまうというストーリーだった。極貧の中での恋人同士の唯一の心の支えである文鳥をなくしてしまったという、この悲しい物語が、後の『神田川』や『赤ちょうちん』の世界とダブってしまって妙に印象に残っている。 最近、つげ義春の作品をいくつか読んだが、今更ながらに哀愁をおびた細いタッチに魅せられてしまっている。『新版・つげ義春とぼく』では、昭和40年代に描かれた場末の温泉街の風景が絶品である。水木しげるの作品の背景を描いてきた人だけあって、光と陰にこだわった精密な線はもの悲しくもあり懐かしくもある。
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おすすめされて読んだけど、つげ義春の魅力がまったくわからない。 先に漫画を読むべきだったかもしれない。
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ひ弱かった四郎が、向き不向きを別に立ち位置を定めつつある。太郎が最も自分を見失っているのか。三郎はあまりもの実直さが危なげだ。そして次郎は新たな境地を開くことができるのだろうか。いよいよ日本が崩れゆく中で、果たして彼らは生き残れるや否や。
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読書録「新版つげ義春とぼく」2 著者 つげ義春 出版 新潮社 P156より引用 “赤面癖がだんだんひどくなり、人に会うのが苦痛でならなかっ た。マンガ家になろうと思ったのはその頃だった。一人で部屋で 空想したり、好きな絵を描いていられる商売は、他に思い当たら なかった。” ...
読書録「新版つげ義春とぼく」2 著者 つげ義春 出版 新潮社 P156より引用 “赤面癖がだんだんひどくなり、人に会うのが苦痛でならなかっ た。マンガ家になろうと思ったのはその頃だった。一人で部屋で 空想したり、好きな絵を描いていられる商売は、他に思い当たら なかった。” マンガ家である著者による、旅行や夢に関する日記とイラスト 集。 カラーイラスト集から祖父の思い出まで、ワビサビを感じさせ る絵柄と文章で綴られています。 上記の引用は、いくつかの仕事を経験した後の著者の考え。 この著者のようにして生きられる人は、とても幸運だと思います。 時代は戦後のようで、大変な貧乏もされたようですが、好きなこ とで生きられるのは幸せだろうと思います。しかしp169に、貧乏 をすればノイローゼになるとも書いてあるので、結局トントンに 落ち着くのかなと思いました。 すごく上手な風景の中で、人物の独特さ加減がなんとも味わい 深い絵が、数多く掲載されています。 ーーーーー
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このレビューを書こうと思ってブクログを開き、この本を検索にかけた段階でようやく気が付きました…「僕、この本すでに読んでるじゃん…」 ヽ(・ω・)/ズコー しかも内容さえろくに覚えていないという始末…前回読んだとき、あんまりこの本、面白いとは思わなかったんでしょうか…。 ま...
このレビューを書こうと思ってブクログを開き、この本を検索にかけた段階でようやく気が付きました…「僕、この本すでに読んでるじゃん…」 ヽ(・ω・)/ズコー しかも内容さえろくに覚えていないという始末…前回読んだとき、あんまりこの本、面白いとは思わなかったんでしょうか…。 まあ、そんなことはありましたけれども実際に読み返してみて…うーん、どうでしょうね。他人の夢の話とかにはあんまり興味がないのですけれども、つげ氏の夢はなんというか…まとまりがない感じでして、いや、夢というのはそもそもまとまりのないものなんでしょうけれども…つげ氏が夢のレビュー(!)をするとこうして読み物にまでなってしまうのですね…という感動はありました。 ヽ(・ω・)/ズコー 旅日記は今回もまた楽しかったですね! しかし、この本も刊行されてから結構経ちますから、今現在は当時の場所もひょっとしたら無くなっている可能性ありです。てか、その可能性が激烈に高いでしょう…多分…。 ヽ(・ω・)/ズコー つげ氏の過去というか、出自みたいなものも紹介されてて良かったですよ! 早くにお父さんを亡くしたりしていて、そういった家族関係がつげ氏の人格に少なからず影響しているのかも? とか詮索されるのをつげ氏ならきっと嫌うでしょう…さようなら。 ヽ(・ω・)/ズコー
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つげ義春が鄙びた温泉街を巡る。相変わらずのショボくれ感と、イラストの場末感がたまらなく胸にグッと迫る。 無性に流離いたくなる。。
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なぜか夢の中でまで購入したつげ氏のエッセイ。回顧と夢日記が主であるが、影に特徴のある風景イラストも素敵。PC-98「ねじ式」中の札所の婆さんの原画や、後ほどマンガになったヨシボーの元ネタ、「するめ固め」の元元ネタなど掲載されていて興味深い。断片的な文も程よく読みやすく、つげファン...
なぜか夢の中でまで購入したつげ氏のエッセイ。回顧と夢日記が主であるが、影に特徴のある風景イラストも素敵。PC-98「ねじ式」中の札所の婆さんの原画や、後ほどマンガになったヨシボーの元ネタ、「するめ固め」の元元ネタなど掲載されていて興味深い。断片的な文も程よく読みやすく、つげファンなら必携の1冊。
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日記のようなものだったり,見た夢のメモだったり,とにかく不思議な文章。 ところどころに絵がついていて,これがまた薄気味悪い。 え?ええッ?というような訳わからなさがえんえん続く。 もう面白いのかどうかもわからない。
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70年代的エロスとタナトスが交錯する、つげ義春の夢世界 [1] 2010年6月6日 — 9:49 PM つげ義春とぼく 「夢」というのは通常、夜間睡眠時に限定された無意識の世界にて羽根を拡げて、朝の目覚めとともに消失していく類いのものだが、つげ義春さんの描く夢の世界は、昼...
70年代的エロスとタナトスが交錯する、つげ義春の夢世界 [1] 2010年6月6日 — 9:49 PM つげ義春とぼく 「夢」というのは通常、夜間睡眠時に限定された無意識の世界にて羽根を拡げて、朝の目覚めとともに消失していく類いのものだが、つげ義春さんの描く夢の世界は、昼間の覚醒の世界にまで侵入して人々の記憶に強烈な痕跡を焼き付けていく。 1968年に発表されたつげ義春さんの代表作「ねじ式」は、漫画界のみならず日本の極一部の愛好家に熱狂的に受け入れられたという傑作である。70年代に入ってからこの作品に接したおいらのそのときの衝撃は、今なお忘れ得ない漫画体験となって刻まれたのである。それは、「鉄腕アトム」から「巨人の星」等々と繋がる漫画読書体験とは質的に異なる、全く新しい体験であった。 最近になって、ある古書フェアーの会場で「つげ義春とぼく」というユニークなタイトルの古書に触れ、彼の描いた深遠な夢の世界の想い出が、また甦ってきたのだった。著者はつげ義春さん本人である。書名タイトルに関する考察は本日はスルーする。彼は日本全国、鄙びた温泉地を中心に多くの旅を経験してきたが「つげ義春とぼく」は、そんな旅の想い出などのあれこれを絵と文章にてまとめた1冊である。思えばかつて、いくつかの雑誌でつげさんの旅行記を目にして必死に立ち読みなどをしていた少年時代を懐かしく回顧するのだ。 誰が記述したものかは知らないが、Wikipediaの「つげ義春」のページには、ほぼこの本に書かれている内容が転記されていた。 つげ義春さんが夢見た秘湯の風景はある種の桃源郷とも呼ぶべき異郷の姿を示しているが、彼が旅して訪れた現実の温泉地はさらにまた、理想的桃源郷的佇まいを示してくれている。おいらも訪れたことのある東北の温泉地は、夢と現とがない交ぜになった異郷の姿でもある。そんな中から特に二つをご紹介。 ■夏油温泉 夏の油と書いて「げとう」と読ませる。その名の所以についてWikipediaでは、「『夏油』とはアイヌ語の『グットオ(崖のあるところ)』が語源とされる。」と記されているが定かなものでは無い。ただ北上の町からは遠く離れた崖の中に存在する温泉であるというのは事実である。つげさんの本では夏油温泉について、次のような書き出しから紹介されている。 「夏油温泉は、これまでの旅行案内書には、北上駅からバスで一時間、さらに徒歩三時間と紹介されているので秘湯めくが、現在は、林道を利用して湯治場まで車ではいれる。(…)」 車で行けるから秘湯で無いというのは些か暴論である。林道と云っても車同士がすれ違うことさえ困難な狭い砂利道であり、車輪をすべられたら最後、渓谷に転落しかねない危険な山道である。今でも地元の案内書などでは、運転に自信の無いドライバーは決して自家用車を運転して来ないようにと、注意を喚起しているくらいである。今なお秘湯の風情を湛えた数少ない温泉地なのである。 質素な自炊棟が並ぶ湯治場なのだが、なんとつげさんが訪れたときには「六百人のおばあさんが泊っていた」と記されているのだから驚きである。一体こんな狭い温泉宿に六百人もの高齢者が集えるのだろうかという素朴な疑問も生じてしまう。おいらも何度かこの鄙びた温泉宿にて湯治を経験しているのだが、夏のピーク時でも300人も入れば一杯に溢れてしまうだろうと考えられる。ごろ寝が常識であった昔は、狭い部屋にぎゅうぎゅうに床を並べて湯治を行なっていたということなのだろうか? この温泉地には大小8つ程度のかけ流し温泉が存在し、そのほとんどが露天風呂である。老若男女が裸で露天風呂のはしごをするという光景が、なんとも自然に感じるのだ。都会に生活していることを不自然に感じさせるくらいの、当温泉地ならではの独特な地場のエネルギーを発しているのである。 ■黒湯温泉 秋田の乳頭温泉郷の奥にある。鶴の湯温泉が人気だが、鄙びた秘湯の佇まいは黒湯温泉が上手である。つげ義春さんの画に文を寄せた詩人の正津勉は、黒湯温泉を訪ねるにあたり、柳田國男の「雪国の春」という文庫本を携えてのぞんだという。 「おもうに、その錯覚も柳翁のこの小冊への偏愛が一瞬間かいまみせた蜃気楼とでもあるいは説明もつくが、そこへどうしてすーとわたしが誘われていったものか。可笑しい。」」(正津勉) 男同士2人で何を語り、そして何を感じ取ったのか。蜃気楼と見えていた夢の世界が、秋田の雪国に現存していたことを喜んだのはなかろうか?
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