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明菴栄西・一休宗純 の商品レビュー

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2011/08/05

中世の臨済宗を代表する、禅僧4人の作品を収める。 一休について書かれた、市川白弦さんの分だけ読んだ。 部分によっては芯を捕えた考察がなされていて、かなり興味深かった。珍しくメモしているので、以下抜粋。 「維摩の自由と普化の風狂には(注・維摩も普化も、一休が敬愛していた禅僧の名...

中世の臨済宗を代表する、禅僧4人の作品を収める。 一休について書かれた、市川白弦さんの分だけ読んだ。 部分によっては芯を捕えた考察がなされていて、かなり興味深かった。珍しくメモしているので、以下抜粋。 「維摩の自由と普化の風狂には(注・維摩も普化も、一休が敬愛していた禅僧の名前です)、もちろん、近代的自我の自侍と怒りと良心の痛みがない。時世の支配的体勢にたいする正義感が見られず、したがってその挫折もない。これが両者の徹底性である。ここにあるのは、肉体なき非時空的な霊性の空狂であり空病である。だがしかし、維摩や普化よりも、一休がわれわれにみぢかで親しい、維摩や普化よりも一休がわれわれを甘えさせてくれる、というのはむなしい話である」 「一休の後輩南江宋沅は、禅僧でありながら禅林に絶望し、ついに還俗してしまったが、この方が生き方としては徹底している、という見方もあり得よう。しかしながら、南江における還俗の徹底ぶりと、禅林を捨てなかった一休の風狂と、どちらが現実的、批判的であったのか。問題は単純ではない。=略=ここに維摩の空病でなく、一休の実病の半醒半酔があったのではなかろうか」 うーん、一休さんの現実感を伴った悩み具合を、彼の煩悶(?)から捕えようとしているところが面白い。 うんうん、一休さんは悩んでいる姿が人間臭いところがいいんだ。一休が敬愛する禅の先達たちも面白い人たちだけど、彼らはどこか突き抜けてしまっていて近寄りがたいのである。 そういう意味で、「一休がわれわれを甘えさせてくれる」、という市川氏の言葉は、言いえて妙である。 しかし市川さん、この論文の最後のほうで、 「格のなかに破格の内容を盛った『狂雲集』の一休は、いわゆる思想の人ではなかった。一休は想像力の人であった」 と断言してしまっている。 禅宗において、思想家という立場からも一休を考えてみる必要があるな、と思っていた私にこの言葉は不意打ちで、「そ、そうか!?」と一気にそれまで市川氏に抱いていた共感が吹き飛んでしまった。 いやー、私は一休は思想の人でもあったと思うのだが・・・。彼の禅に対する理想と信念は半端なものではないと思うもの。そう「思想の人ではなかった」と断言してしまうのはどうかなぁ。

Posted byブクログ