行人 の商品レビュー
考える事は大切だが、…
考える事は大切だが、ある方向の事柄を突き詰めて考えている兄さんは、地獄の苦しみを背負っている。この話は、哲学や宗教にも通じるものがあるのではないか、というくらい重い話でした。
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妻の不貞を疑う兄の疑…
妻の不貞を疑う兄の疑心暗鬼を、濃密な文章で描く。
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「恐れない女と恐れる男」「恐れない詩人と恐れる哲人」という三角関係の構図は、「彼岸過迄」を引き継いでいる 岩波文庫 夏目漱石 行人 一人称小説なのに、終盤に別の人に視点が入れ替わる驚きの構成だが、入れ替わることで一気に、エゴイズムが 自己を追い詰めて、狂気の世界に変わ...
「恐れない女と恐れる男」「恐れない詩人と恐れる哲人」という三角関係の構図は、「彼岸過迄」を引き継いでいる 岩波文庫 夏目漱石 行人 一人称小説なのに、終盤に別の人に視点が入れ替わる驚きの構成だが、入れ替わることで一気に、エゴイズムが 自己を追い詰めて、狂気の世界に変わる 描写は 見事 追い詰められて狂気に逃げたというより、あえて救いのない狂気を選んだという感じ
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寝る前の文学シリーズ。夏目漱石は比較的読みやすいけど、高尚な一郎ワールドはなかなか理解に苦しむ。他人からみた家族を手紙の中で描くという構成が面白い。
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後期三部作『彼岸過迄』と『こころ』の間を埋めるニ作目。 『行人(こうじん)』は、道を行く人=旅人という意味。読み終わってみると、物語の終盤を暗示しているタイトルかな。 前作『彼岸過迄』同様に、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労(じんろう)」の四篇から構成されていますが、「帰っ...
後期三部作『彼岸過迄』と『こころ』の間を埋めるニ作目。 『行人(こうじん)』は、道を行く人=旅人という意味。読み終わってみると、物語の終盤を暗示しているタイトルかな。 前作『彼岸過迄』同様に、「友達」「兄」「帰ってから」「塵労(じんろう)」の四篇から構成されていますが、「帰ってから」と最後の「塵労」との間が半年近く空いています。これは、胃潰瘍の再発のせいですが、中断する前後で話しの構成が変化しています。語り手が変わるところなどは、後の『こころ』に繋がるプロットが、この『行人』で試みられたのかなと思いました。 内容は、語り手である次男が、兄から「はたして妻はじぶんを愛しているのだろうか」という疑問を投げかけられたことから、本筋が動き出します。 そんな事には頓着しない嫂のクールなところが、激しやすい兄と真逆ゆえに、話しがもつれながら進んでいきます。 終盤には、禅問答の『無門関』第二十三則が後半に出てくるなど、頭が良すぎる兄の苦悩が描かれて、はっきりとした結末が示されないまま、静かに幕を閉じます。ただ、どうにもならない結末ともいえ、これで良かったのかもと思いました。 余談ですが、読書家の坂本龍一さんが、亡くなる数年前に読んでいた本に『行人』が入っていたとのこと。『無門関』も読まれていたようです(『婦人画報』2023年11月号の巻頭特集記事)。
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後期三部作の2作目。 後期三部作は話としてつながるように意図された作品ではなく、各作品で方向性は違うのですが共通のテーマを持った作品となっています。 彼岸過迄では、須永がその気もない女性であるはずの千代子に縁談が上がるや否や嫉妬の炎に身を燃やすというエゴイズムと、そんな己の感情に...
後期三部作の2作目。 後期三部作は話としてつながるように意図された作品ではなく、各作品で方向性は違うのですが共通のテーマを持った作品となっています。 彼岸過迄では、須永がその気もない女性であるはずの千代子に縁談が上がるや否や嫉妬の炎に身を燃やすというエゴイズムと、そんな己の感情に苦しめられる様が描かれていましたが、本作においても自分と外界のギャップを許容できず苦しむ男が描かれています。 彼岸過迄では須永がコントロールできない感情からエゴにまみれた嫉妬をしてしまう話でしたが、本作は彼岸過迄よりテーマとしてはもう少し昇華していると感じました。 主人公の兄・長野一郎は学者で、何事も深く考える性質があり、聡明さ故に不器用で、頭ではわかっているが受け入れることができない、現代においても持ちうる悩みを持っています。 考えさせられると同時にまた、自分は他者とは異なるという当然の事実を再認識させられるような作品でした。 内容は4つの短編に別れています。 彼岸過迄とは違い、各短編によって主人公が異なるということはなく、主人公は同一です。 ただ、実際的には長野一郎に関する物語であり、主人公である長野二郎は狂言回し的なポジションとなっています。 一章では、「長野二郎」が友人の三沢と落ち合う約束をし、大阪を訪れる。親戚の岡田の元に身を寄せて三沢を待つのですが、なかなか連絡が来ない、そんなある日、三沢が大阪の病院に入院しているという手紙を受け取るという話。 一章は導入としてのようなストーリーで、二章より長野一郎が登場します。 二章は長野二郎とその兄「長野一郎」、二人の母、そして嫂の「直」が大阪に訪れる。自分に対する態度とは違い、二郎に親しげな直を信用できない一郎は、二郎に直と二人で一泊して貞操を試してほしいと頼むという話。 以降は一郎がメインキャラとして描かれており、一郎の性質、苦悩にスポットされた展開となっています。 感情の起伏が比較的激しい一郎と異なり、嫂の直はクールなキャラクターとして描かれていて、二郎もまた感情を読みにくい彼女に翻弄されるのですが、個人的にはそこが楽しかったです。 直はクールですが傲慢さはなく、神秘性の高い女性として描かれており、私的には、恐らく夏目先生も予期しなかった艶っぽさのようなものを感じました。 一郎は端的にいうと面倒な性格で、人が感じていながらもうまくやっていく部分を許容できずに狂ってしまうのですが、本作中にはそのアンサーのようなものはなく、物語は静かに終幕します。 結局のところその問に答えはなく、深く考えることをどこかで放棄するしかないのですが、その終わらない問を投げかけてくるような作品でした。
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後期三部作の2冊目。修禅寺の大患を挟んで書かれたもの。構成上の問題もあるが、とても難解な印象。とくに嫂の心情が明確に描かれていないことが難解さに拍車をかける。とはいえ止まらない面白さは相変わらず。
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「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」 漱石の作品にはありがちだが、これも前半はなかなか話が先に進まず、引っ張って引っ張って後半に続いていくタイプの小説。「結論を先延ばしにして読者の興味を引き付ける手法」とも評されるが、せっかちな...
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」 漱石の作品にはありがちだが、これも前半はなかなか話が先に進まず、引っ張って引っ張って後半に続いていくタイプの小説。「結論を先延ばしにして読者の興味を引き付ける手法」とも評されるが、せっかちな人は途中で嫌になるかも知れない。けれど、話の全体像がぼんやり見え始めてからはどんどん引き込まれるはず。 自分が初めてこの作品を読んだのは高校の時だった。今もそうだけれど、当時は本当に主人公の一郎(兄)に共感したものだ。 自分の日頃考えているようなことを的確に代弁してくれていたから。 こんなことを言うと、「中二病」とか「思春期」なんていう言葉であっさり片付けられてしまいそうだが、その頃は冒頭にかかげた一郎のセリフのような考えを本気でもっていた。だから、同じ意味での孤独に苦しむ一郎には、生まれて初めて自分と同じ生き物を見つけたような親しさを感じられた。その親しさはとりもなおさず作者・漱石に対する親近感でもある。一郎の苦しみは作者自身の苦しみだったのだから。 最近この作品についていくつかの評論を読んでみたが、そのどれもが作品の主題を「妻を信じられない夫・一郎の苦しみ」としていることに驚いた。自分自身、上記のような共感もあって「知の苦しみ」こそが主題に他ならないと思っていた。『行人』は、途中でいったん執筆を中止して、最終章「塵労」を後から付け加えた作品。だから、途中で主題が変わってしまっている失敗作と言われることもある。けれど、本当にそうなのだろうか。最終章で一気に語られる一郎の「知の苦しみ」が根幹にあって、作品の最初から最後までを一貫してつらぬいているのではないか。妻を信じられないという問題はそこから派生する枝葉にすぎないのでは。 同じ作者の『彼岸過迄』のようにいくつかの短編をまとめて一つの作品にしている、とも言われるが、それも疑問だ。むしろ各章の話が一直線に「塵労」での一郎の告白へと流れ込んでいるように思われる。 一番不思議に思うのは、たくさんある批評文の中で最終章「塵労」について詳しく語っているものがあまり見られないこと。この「塵労」こそ漱石の思想が最も現れている部分で、重視しなければいけない部分ではないだろうか。むしろこの部分は、作者の思いを入れすぎてしまったと言える位かもしれない。『行人』という作品を読みとくに、この章を無視しては全く軽いものになってしまうだろう。この章があってこそ、『行人』は、何年たっても頭の中にこびりついてことあるごとに思い出される作品となりうるのだから。 いろいろと議論の多い作品だけれども、対象としては大学生が読むと思う所の多い作品だと思う。あるいは彼氏・夫が自分にかまってくれないという女性が読んでもいいかもしれない。
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※このレビューにはネタバレを含みます
「こころ」と同様、最後は不自然なくらい厚い手紙を主人公が受け取り、 その中身を長々と綴って物語は終わる。 「行人」は「こころ」の前作であるから、同じ手法を連続で用いて 幕引きを行ったことになる。漱石にマンネリがあったとは考えにくい。 一体、そこにはどのような理由があったのだろうか。 また、登場人物が精神異常になる展開は漱石にとって珍しい。 ある意味、自殺よりも衝撃的な顛末である。
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