エコエティカ の商品レビュー
技術の発達していなかった古代、倫理・哲学の世界は人間の内面世界に限られていた(?)が、技術の発達してきた昨今、精神の内面の倫理に限らず、その技術自体を扱う倫理観まで問われるようになってくる。 「かわいそうだ、かわいそうだ」と思って目に涙が曇って、注射の目盛りを間違えるというような...
技術の発達していなかった古代、倫理・哲学の世界は人間の内面世界に限られていた(?)が、技術の発達してきた昨今、精神の内面の倫理に限らず、その技術自体を扱う倫理観まで問われるようになってくる。 「かわいそうだ、かわいそうだ」と思って目に涙が曇って、注射の目盛りを間違えるというようなことがあれば、かえって致命的だということになります。極端な言い方をしますと、「親切な無能よりは、有能な不親切のほうがいい」ということです。第4章 道徳と倫理より 等々
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加藤常昭氏の説教セミナーで初めて今道友信氏の名を知り(加藤氏は今道氏を日本最高の知識人として絶賛していた)、それ以来いろいろなところで今道氏の名が目につくようになった。 購入してからかなり長い間積読になっていたが、ようやく読み終わる。 今道氏の唱えるエコエティカとは、技術社会である現代における新たな倫理学であり、環境問題もその重要なテーマのひとつである。環境問題は確かに技術と倫理両方の問題である。
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[ 内容 ] 今日、生命倫理や医の倫理、環境倫理や技術倫理など、すべての分野で倫理が問い直されている。 エコエティカとは、これら一切を含む「人類の生息圏の規模で考える倫理」のことで、高度技術社会の中での人間の生き方を考え直そうとする新しい哲学である。 人間のエコロジカルな変化に対応する徳目とは何か。 よく生きるとはどういうことか。 今こそエコエティカの確立が急務であると説く、注目の書下し。 [ 目次 ] 第1章 エコエティカとは何か―序論的考察 第2章 倫理の復権 第3章 新しい徳目論 第4章 道徳と論理 第5章 人間と自然 [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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著者が提唱する「エコエティカ」(eco-ethica、生圏倫理学)を紹介した本。現代の人間の生活圏は、自然環境や科学技術・医療技術などのさまざまな位相を持っている。それらいっさいを含む「人類の生息圏」を幅広く見渡し、現代の倫理のあり方をさぐることを、エコエティカはめざしている。た...
著者が提唱する「エコエティカ」(eco-ethica、生圏倫理学)を紹介した本。現代の人間の生活圏は、自然環境や科学技術・医療技術などのさまざまな位相を持っている。それらいっさいを含む「人類の生息圏」を幅広く見渡し、現代の倫理のあり方をさぐることを、エコエティカはめざしている。ただし本書の議論は、エコエティカの原理を考察することには向かわず、私たちを包む生活圏のさまざまな局面で生じている倫理的問題を並べており、雑多な内容が一冊の本に同居しているという印象を受ける。 とはいえ、アリストテレスの実践的三段論法の逆転という現象が、科学技術の支配する現代における人類の生息圏に生じているという指摘は、技術連関という局面に限定されたものではあるが、比較的原理的な考察に踏み込んでいるといえるように思う。 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、人間の行為の論理的構造を考察している。それによると私たちの行為は、目的を大前提、手段を小前提とする推論によって導かれることになる。だが著者は、現代では私たちの行為の目的は自明ではなく、逆に技術の進歩によってさまざまな手段が提供されており、その手段に基づいて実現が可能と思われる目的の中からもっとも便利なもの、もっとも効果的なものを選ぶという仕方で決定がおこなわれていると主張する。 著者はさらに、こうした現代的な行為のもつ問題を指摘している。古典的な行為の論理的構造においては、決断をおこなうのは目的を設定した個人であり、責任はその個人に帰属する。だが現代の行為の論理構造においては、手段となる技術を提供する社会が私たちの行為を規定しているにもかかわらず、問題があったときにその責任を問うことは難しい。エコエティカの使命は、こうした現代になって生じてきた倫理的問題を考察することだと著者は主張している。
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