がむしゃら1500キロ の商品レビュー
今から50年前、わず…
今から50年前、わずか15歳の少年が千葉ー大阪間(砂利道)をバイクで往復した自伝。とても考えられぬ発想と自由を求めた少年の旅、その旅から多くのことを学ぶ。その後の浮谷東次郎の生き方には感動します。
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よく、日本をマラソン…
よく、日本をマラソンで縦断する人がいますけど、すごい根性だなあと思います。
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本書は、15歳中学3年の夏休みにオートバイで千葉から大阪までツーリング旅行をした人物の旅行記です。 しかも、1950年代(!)に。 その頃の日本の風景がとてもよく伝わる記録でした。道路はアスファルトも少なく、大きな石が転がっていたり、砂ぼこりの舞うトラック通りも結構多かったようです。舗装が今のようになされていなかったのです。高速道路ももちろんない。とにかく直射日光もすごくて暑そうでした。 旅行が終わって、9月には下書きが終わったという著者の文章は、若さのある表現で思春期真っ只中な感じです。 「車への信頼感がムラムラと湧いてきた。この車をこれほど可愛く思った事は一度もなかった。」 こういった文章もあり、とにかくバイクが好きなんだなということが伝わってきます。 ちなみに、著者のオートバイは、ドイツ製のクライドラー50ccです。 親のお金で全ての物資と資金を得ていることも、著者は重々承知の上で、旅行先で見たスイカ売りの少女を思い出しながら、「生産」について考えを巡らせます。紀行文を書くことが自分にとっての「生産」である、と。 自然を感じて人間の尊さを発見するところもなかなか感動的でした。 イタリア人宣教師のバイク乗りと出会って、彼のいるキリスト教会に一泊させてもらう経験も、著者の経験値になったのだと思います。 初日からトラブルにも結構見舞われてしまいますが、若さと前向きさが溢れていて全然平気な浮谷少年。カッコいいね。 冒険心がかき立てられる本でした。
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筆者、浮谷東次郎は1942年市川に生まれた。カーレーサーとして活躍したが、1965年8月20日、鈴鹿サーキットで練習中に事故、翌日に死亡した。23歳の若さであった。 本書は、浮谷東次郎の日記を書籍化したものであるが、物語の中心は、1957年、東次郎が中学3年生の夏休みのバイク旅行...
筆者、浮谷東次郎は1942年市川に生まれた。カーレーサーとして活躍したが、1965年8月20日、鈴鹿サーキットで練習中に事故、翌日に死亡した。23歳の若さであった。 本書は、浮谷東次郎の日記を書籍化したものであるが、物語の中心は、1957年、東次郎が中学3年生の夏休みのバイク旅行である。8日間かけて、市川と大阪の間を、50CCのドイツ製バイク、クライドラーで往復する。それは、一種の紀行文でもあり、中学生にとっての一種の冒険譚でもある。本当にみずみずしい感性にあふれた文章だ。 時代背景も面白い。 当時は、14歳から原付バイクの免許証が取得できた。だから、15歳の中学3年生が、バイクでの旅行に出かけることが出来たのである。1957年といえば、太平洋戦争が終わってから、まだ10年強。前年、1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と謳ったが、それは、やっと日本経済が戦前の水準に戻っただけの話であり、今と比べると、貧しく、またインフラも整備されていない。当然、東名高速も名神高速もない時代の話。であるばかりか、東京から大阪までの幹線道も、まだ舗装されていないところが多かったことが、本書を読めば分かる。 東次郎は高校入学後アメリカに渡り、また、その後ヨーロッパでカーレーサーとして腕を磨いたそうである。そのようなチャレンジ精神が本書の中に見え隠れする。
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23才の若さで事故死した伝説のレーサー、浮谷東次郎が10代の頃に書いたエッセイ集。 千葉県市川市の裕福な家庭に生まれた東次郎は、14才の誕生日に、父親からドイツはクライドラー社製の50ccバイクをプレゼントされます。僅か50ccとは思えない性能に感激し、毎日のように乗り回す東次郎少年。 そんなある日、常より「何か大きな事をやり遂げてみたい」と熱望していた彼は、市川の自宅から大阪まで、往復1500キロのツーリングをたった1人でやってのけようと思い立ちます。 本著ではその往復1500キロのツーリングの記録を中心に、10代の東次郎が遺した日記や覚え書きのような文章が幾つも掲載されています。若さと情熱に溢れているだけではなく、所々に後年華開く天才レーサーとしての資質も垣間見え、猛スピードで駆け抜けたその短い人生の、尋常ならざる濃度を有り有りと感じることができました。 漫画『栄光なき天才たち』にも登場したスイカ売りの女の子のエピソードが、やはりこの原作でも印象に残りました。 小学生くらいの女の子が1人炎天下でスイカを売る姿を見かけ、それに比べて親に貰ったバイクで呑気に遊んでいる自分は一体何なのか、と恥入るだけの品性を持ち合わせていたところが天才の天才たる所以だと思いました。
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昭和32年の夏休み 一人の少年が、50ccのバイクに乗って、東海道を走破した。 少年の名は浮谷東次郎。当時まだ舗装すらされていない東海道を、一人きりで何のサポートもなく、京都へ。そして、神戸、和歌山へと巡った旅の記録。 本書を執筆した当時16歳だったとは思えないほど、その描写は...
昭和32年の夏休み 一人の少年が、50ccのバイクに乗って、東海道を走破した。 少年の名は浮谷東次郎。当時まだ舗装すらされていない東海道を、一人きりで何のサポートもなく、京都へ。そして、神戸、和歌山へと巡った旅の記録。 本書を執筆した当時16歳だったとは思えないほど、その描写は活き活きとし、具体的で、そして皮肉に覚めている。 少年の名は浮谷東次郎。レーシング・ドライバー 別名 ダイナミック東次郎。 享年23歳 才能は、早熟で早世する。
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カラスを飼う、14歳でドライブできる、まずその時代を感じられるところ興味深い。 "やはり「若者にはスピードを」である。「ジジイにも若い者にもスローで」の日本国道路取りしまり法の二十五キロの制限スピードを、そっくりそのままバカ正直に守っていたのでは、「ジジイ」になってしま...
カラスを飼う、14歳でドライブできる、まずその時代を感じられるところ興味深い。 "やはり「若者にはスピードを」である。「ジジイにも若い者にもスローで」の日本国道路取りしまり法の二十五キロの制限スピードを、そっくりそのままバカ正直に守っていたのでは、「ジジイ」になってしまいそうである。"
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23歳で事故死した天才レーサー『鈴鹿のカラス』こと浮谷東次郎が、15歳の時に千葉から大阪までクライドラーの50CCバイクで走り抜いた旅行記である。 私は高校生の時に東次郎のことを知り、激しい衝撃を受け、惚れ込んだ経験がある。先日、NHKドキュメンタリーで初めて彼の動画を見た。そし...
23歳で事故死した天才レーサー『鈴鹿のカラス』こと浮谷東次郎が、15歳の時に千葉から大阪までクライドラーの50CCバイクで走り抜いた旅行記である。 私は高校生の時に東次郎のことを知り、激しい衝撃を受け、惚れ込んだ経験がある。先日、NHKドキュメンタリーで初めて彼の動画を見た。そして、思い出したのだ。迷い、悩み、自分自身を求めていたあの青春の日々に、彼の言葉がどんなに胸をうったかということを。 アメリカ時代を書いた「俺様の宝石さ」と合わせておすすめしたい。
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23歳で事故死したレーサー浮谷氏の中学生の時の記録。日記や旅行記など。 旅を通じて少年が青年になるのか、一日一日で何かを考え、大人に近づいて行く。しかし死後に日記を公開されるってのはなかなか辛いもんかもな。
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ちくま文庫の巻末案内を見て面白そうだと図書館で借りてみました。昭和初期にこんな人が居たんだ、と言う驚きはありましたが…と言う感じでした。 大人は子供に何を求めているのかな?と時々思います。この本を薦める人は自分の子どもが学校を中退して単身アメリカに行きたいと言ったら認めるのかな。...
ちくま文庫の巻末案内を見て面白そうだと図書館で借りてみました。昭和初期にこんな人が居たんだ、と言う驚きはありましたが…と言う感じでした。 大人は子供に何を求めているのかな?と時々思います。この本を薦める人は自分の子どもが学校を中退して単身アメリカに行きたいと言ったら認めるのかな。自分の主張を曲げない子どもを目を細めてそれで良いのだよ、独立独歩の精神大いに歓迎ともろ手を挙げて賛成するのか。別にこの方の人生を否定するつもりはありませんがあまり感心はしなかったです。 この間テレビを見ていた時、歌舞伎役者が型をきちんと見に着けてこその「型破り」なのだ、とインタビューに答えていたことを思い出しました。「型」が身に着いて居ない人間が行うと「型破り」でなく「形無し」になってしまう、とも。なるほど言い得て妙だなあと素直に頷きました。 日本語の素養がなく、英語を詰め込んだ所で自分の思うことを母国語で語れないのであればその人の母国語は一体なんだろう?と思います。自分も体験があるからわかるのですが外国に居ると自分と言う存在意義をきちんと持っていないと流されてしまう感じが強くあります。とりあえず自由の国に来ても実際自由になるものはあまりなく、あるのは不自由な自分自身のみ、と気づかされたりするのですから。外国に行くのが目的なのではなく、何をしに行くのかが大命題なのではないか。そんなことを思ったりしました。 ただこのまま自分の青春を費やして良いのかと言う強い焦りと何か大きなことをやり遂げたいと言うありあまる熱情のようなものは強く感じました。早すぎる死を悼みます。この方が生きていらしたらどんな社会人になったのだろうと思うと勿体ないなあと思うのです。
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