人はいかに学ぶか の商品レビュー
人は教えられずとも言葉をしゃべるようになる. 自分の英語もそうなってほしいものだけれど,まあそんなわけない. 言葉に限らず,人はどのようにしてこの世の物事を学び,理解していくのだろうか.そこに仕組みなどあるようには,言い表せるようには思えないのだけれど,確かにちょっとしたメカニ...
人は教えられずとも言葉をしゃべるようになる. 自分の英語もそうなってほしいものだけれど,まあそんなわけない. 言葉に限らず,人はどのようにしてこの世の物事を学び,理解していくのだろうか.そこに仕組みなどあるようには,言い表せるようには思えないのだけれど,確かにちょっとしたメカニズムがあるようだ. 人は生涯にわたって学び続けることができる.それがヒトという種の特徴なのだ.
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認知心理学の古典的な本である。以前から所持し、読みかけてはいたのだが、何となく敷居が高そうに思えて、そのままにしていた。しかし、しばらく勉強して、周辺知識をそれなりに持ったせいだろうか、今回はどんどん読み進めることができたし、その内容の先進性に驚いた。これは文句なく「名著」である...
認知心理学の古典的な本である。以前から所持し、読みかけてはいたのだが、何となく敷居が高そうに思えて、そのままにしていた。しかし、しばらく勉強して、周辺知識をそれなりに持ったせいだろうか、今回はどんどん読み進めることができたし、その内容の先進性に驚いた。これは文句なく「名著」である。 伝統的学習観は、子どもは無知であり、やらさなければ学ばない、というものである。これは、現代の高校教育現場においてもまだまだ蔓延している生徒観であろう。しかし、この本は「もうひとつの」学習観を提示する。すなわち、子どもは有能であり、自ら学ぼうとする能力を持っている、というものである。それを、生得的能力の観点、文化的背景の観点、周辺的正当参加の観点、構造的知識の観点から論証し、子どもの有能さと自ら学ぶ能力を明らかにする。これは、私が相互交流の授業をさせる時にまざまざと目にすることのできるものだ。 さらにこの本は、そうした「もうひとつの」学習観に基づいた教師の登場を願い、そのために教師の創意工夫の重要性を説く。教師もまた自ら学ぼうとする存在であり、子どもが自身の能力を発揮できるような授業を創造しようとするものである。そうした教師のあり方を強く促すものとなっている。 この本の初版は1989年である。私が目にしてきたさまざまな論文に、参考文献として掲載されている。発行されてから25年が経つ。果たして教育現場は、特に高校では、この本が提唱しているような姿がどれだけ実現できただろうか。その迂遠さに気が遠くなるとともに、これまでに多くの高校教師がこうした学習観に基づく授業実践をしてきたのだろうと思う。それらが何故もっと広まらないのか、何故一般化されないのか。そんなことも不思議に思う。 ともあれ、第一級の本である。
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(1989.02.05読了)(1989.02.01購入) 日常的認知の世界 (「BOOK」データベースより)amazon 遊びや職業活動に必要な知識・技能を身につけていくとき、人が必要を超えて上達を望み、理解を深めようとするのはなぜか。日常生活での能動性と有能さを支えるものはなに...
(1989.02.05読了)(1989.02.01購入) 日常的認知の世界 (「BOOK」データベースより)amazon 遊びや職業活動に必要な知識・技能を身につけていくとき、人が必要を超えて上達を望み、理解を深めようとするのはなぜか。日常生活での能動性と有能さを支えるものはなにか。本書は伝統的学習観による「人間怠け者」説をくつがえし、「みずから学ぶ存在」としての人を実証的に描き出して、学び手の心的装置と文化の役割を探求すると同時に、「学習」のもつ暗いイメージを再考し、新しい学習観にもとづく教育のあり方を提言する。 ☆関連図書(既読) 「知的好奇心」波多野誼余夫・稲垣佳世子著、中公新書、1973.03.25 「知力をさぐる」波多野誼余夫著、日本放送出版協会、1988.10.01
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過去の教育観は「教えられて初めて学ぶ」というものであった.これはもともと人は怠け者であり,自らは学習しないというものである.著者はこれを否定し,もともと人は知的欲求に関して能動的に動くものであることを示す. 教育者には是非知っておくべき内容.
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従来の教育制度は、教師が教え生徒が教わる受身型が主体だが、それでは学習意欲がわいてこない。ヒトは、積極的に自分から学ぶことができる才能を兼ね備えている。とくに日常生活で必要に迫られたことに関しては積極的に学ぶ姿勢を持てる。必要に迫られていない場合でも、自分の夢をかなえたい時には自...
従来の教育制度は、教師が教え生徒が教わる受身型が主体だが、それでは学習意欲がわいてこない。ヒトは、積極的に自分から学ぶことができる才能を兼ね備えている。とくに日常生活で必要に迫られたことに関しては積極的に学ぶ姿勢を持てる。必要に迫られていない場合でも、自分の夢をかなえたい時には自ら積極的に学ぶことができる。そして社会や家庭で要求される能力(例えば、記憶力がスゴイ人を偉いと認める国や家庭では記憶力、創造力のある人が偉いと認める国や家庭では創造力)が自然と伸びてゆく。脳は知識の断片をつなぎ合わせることができるので知識が多いことや他人を手本することも学習力を早める要素である。しかし日常生活だけでは、身につけることができない知識もあるので学校教育も必要不可欠なものだ。
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受け身で無能な学習者観に疑義を挟み、新しい学習者観に立った教育を示唆する本。これまでの学習心理学を批判的に検討し、人間の学習の本来のあり方をエビデンスを持って示す。しかし、新しい学習者観に立ったカリキュラムやシステムのデザインにまでは踏み込めていない。20年以上前の本だから仕方な...
受け身で無能な学習者観に疑義を挟み、新しい学習者観に立った教育を示唆する本。これまでの学習心理学を批判的に検討し、人間の学習の本来のあり方をエビデンスを持って示す。しかし、新しい学習者観に立ったカリキュラムやシステムのデザインにまでは踏み込めていない。20年以上前の本だから仕方ないが。 ・角砂糖が水に溶けたときのこと。観察すると結果への理解は討論群もそうでない群も同じだが、理由を問うと有意差が見られた。 ・学習環境における他者の強み。1.アシスタント機能。2.視点の多様化機能。3.知的努力動機付け機能。4.ピアジェ:教えようとする中で知識が明確化、体制化する。 ・機械と違って、他者は役割を交換できる。 ・説明を考え出した方は、考え出したところですべての精神的労力を使い切ってしまい、産み出した説明が全ての制約条件を満たしたかどうかチェックする余力がなくなってしまう。 ・他者は感心を共有するが視点の異なる人がよく、必ずしも知識の寄り豊富な人であるには及ばない事が、とくに注目される。 ・知識があるほど、学びやすい。 ・そろばんにみる、手際の良さのみに基づく有能さ ・ことばに書き表す事によって、自分の思考が明確になる。具体的な文脈から離れて、必要なことをことばだけで、きゆう知己を共有しない人に伝えようと試みるから。 ・ヘッド・スタートの結果、親への教育が最も効果的だった。
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※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] 遊びや職業活動に必要な知識・技能を身につけていくとき、人が必要を超えて上達を望み、理解を深めようとするのはなぜか。 日常生活での能動性と有能さを支えるものはなにか。 本書は伝統的学習観による「人間怠け者」説をくつがえし、「みずから学ぶ存在」としての人を実証的に描き出して、学び手の心的装置と文化の役割を探求すると同時に、「学習」のもつ暗いイメージを再考し、新しい学習観にもとづく教育のあり方を提言する。 [ 目次 ] 第1章 伝統的な学習観 第2章 現実的必要から学ぶ 第3章 知的好奇心により学ぶ 第4章 ことばや数を学ぶ種としてのヒト 第5章 文化が支える有能さ 第6章 文化のなかの隠れた教育 第7章 参加しつつ学ぶ 第8章 知識があるほど学びやすい 第9章 日常生活のなかで学ぶ知識の限界 第10章 新しい学習観にもとづく教育 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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ざっと読んでみて、悪くはないがすごくよくもないかな、という印象。たぶん僕はもう他の本で得た知識が大半だったから、というのもあったかと。再認識、漠然としていた事柄の整理の意味はあった。勉強して覚える、という行為自体の意味・スタンスと有効性について、または日常生活の中の学習のメカニズ...
ざっと読んでみて、悪くはないがすごくよくもないかな、という印象。たぶん僕はもう他の本で得た知識が大半だったから、というのもあったかと。再認識、漠然としていた事柄の整理の意味はあった。勉強して覚える、という行為自体の意味・スタンスと有効性について、または日常生活の中の学習のメカニズムについてが主体。小さな子供をもつ親、システム開発者として、1度は考えたことのあるものばかりだった。特にシステム開発をして案件をまとめる立場だと、裏側の内容の把握、必要性の把握、いい意味での抽象的な全体像の把握って大事なことを体感する。実践で失敗を繰り返すことで、の業務に必要なこと、または意味そのものが見えてくる経験を何度もしているし。できるだけその辺を理解してもらうことが、開発側にとってもユーザーにとっても、さまざまな面で有益なことになる。…僕が仕事で体感している事を、さまざまな事例で整理してまとめてくれた一冊。プログラマ、小さな子供の親、人に教える立場の先生やリーダー、そんな人にお勧め。
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小学校時代の記憶を思い出します。 幼稚園生が文字を習っていないのに字を読めるのは環境の中で自然に学んでいるからだ、というのは、日常的認知の世界を表す最もわかりやすい例だと思う。また、理科の実験で結果の予想をするとき知識の多い人ほど、ああでもないこうでもないと仮説をたくさん立てられ...
小学校時代の記憶を思い出します。 幼稚園生が文字を習っていないのに字を読めるのは環境の中で自然に学んでいるからだ、というのは、日常的認知の世界を表す最もわかりやすい例だと思う。また、理科の実験で結果の予想をするとき知識の多い人ほど、ああでもないこうでもないと仮説をたくさん立てられるのは、日常的に認知していることが多いということにもつながるということがわかった。
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