経済学の考え方 の商品レビュー
本書は、アダム・スミ…
本書は、アダム・スミスから現代の経済学に至るまでを通し「経済学の考え方がどのように形成され、発展してきたかという面に焦点を当てた」本であった。ある程度経済学の知識があったほうが読む上で理解が深まると思う。経済学者の生涯にも触れつつ、そこでの体験が、どのように経済学的な考察へ影響を...
本書は、アダム・スミスから現代の経済学に至るまでを通し「経済学の考え方がどのように形成され、発展してきたかという面に焦点を当てた」本であった。ある程度経済学の知識があったほうが読む上で理解が深まると思う。経済学者の生涯にも触れつつ、そこでの体験が、どのように経済学的な考察へ影響をあたえたのかも記してあり、とても興味深かった。
文庫OFF
1989年の1月に書かれた本なので、1989年末からのバブル崩壊、その後の日本経済の惨状については書かれていません。 宇沢先生が日本のバブル崩壊後の様々な経済政策をどう評価するのかと思いました。 宇沢先生はマネタリズムや合理的期待形成仮説について痛烈に批判しています。これらの経済...
1989年の1月に書かれた本なので、1989年末からのバブル崩壊、その後の日本経済の惨状については書かれていません。 宇沢先生が日本のバブル崩壊後の様々な経済政策をどう評価するのかと思いました。 宇沢先生はマネタリズムや合理的期待形成仮説について痛烈に批判しています。これらの経済学が人間を、ただひたすら自分の利益を最大化するための計算機械とみなしているからだと思います。 経済学は、経済現象を(できるだけ)科学的に理解したい、という動機から発生したものだと思いますが、なぜ理解したいかというと、世界の様子(貧困や不平等、格差など)を少しでも良くしたいという思いが根底にあるのだと思います。
Posted by
日本を代表する経済学者宇沢弘文氏による「経済学の考え方」の解説になります。本書で最も大事なのは第1章でしょう。経済学とはどのような性格の学問なのかについて、宇沢氏による明確な定義がなされています。経済学は科学でもありながら芸術(アート)でもある。また理論的でもある一方、きわめて実...
日本を代表する経済学者宇沢弘文氏による「経済学の考え方」の解説になります。本書で最も大事なのは第1章でしょう。経済学とはどのような性格の学問なのかについて、宇沢氏による明確な定義がなされています。経済学は科学でもありながら芸術(アート)でもある。また理論的でもある一方、きわめて実践的でもあり、高度な倫理、正義心が求められる学問分野です。経済学は貧困などの社会問題の解決策を考えられるのと同時に、実はその問題の根源にもなりえてしまうことがあるからです(権力におもねったり自己虚栄心によって反社会的な政策立案をしてしまうことも可能)。 宇沢氏が本書でどの経済学者を取り上げたのかについては、極めて宇沢色が強く、共通しているのは社会への実際的な貢献、正義感、倫理観を持った人を厳選したという印象を受けました。ソースティン・ヴェブレンとジョーン・オースティンに1章ずつ割いているというあたりにそれが現れています。またアダム・スミスを最初に取り上げているのも、「経済学の始祖だから」という単純な理由だけでなく、まさに経済学とは実践的、倫理的な側面を持っていて、アダム・スミスが人々の暮らしをいかによくできるのかを真剣に考えたという点を評価しているわけです。後半に登場する合理的期待形成派やマネタリズムについての文章からは宇沢氏の嫌悪感が十分伝わって来ます。本当は紹介すらしたくないのだが、経済学が反社会的、反倫理的、反実践的(現実社会をまったく反映していない前提)な存在になってしまった暗黒時代があるのだ、という反面教師的な教訓ということで紹介されています。 本書は岩波新書ですから、経済学を全く学んだことのない一般の人々でも読めるように工夫されていますが、同時に、現在および未来の経済学者に対してのメッセージにもなっている気がしました。世界をよくするために経済学を発展させよ、その道筋として不均衡動学と社会的共通資本という2つのキーワードを提示しつつ、それをやるのは君たち未来の経済学者なんだ、というメッセージを残しているのです。
Posted by
宇沢弘文は、数理経済学から社会的共通資本への急な転向により、ある種の奇矯な人として受け止められているところもあるかと思う。この本を読んで、宇沢が1970年代の「反ケインズ経済学」をどのように眺めていたのかよく分かった。解説することもしたくないのだが、避けても通れないのでイヤイヤ解...
宇沢弘文は、数理経済学から社会的共通資本への急な転向により、ある種の奇矯な人として受け止められているところもあるかと思う。この本を読んで、宇沢が1970年代の「反ケインズ経済学」をどのように眺めていたのかよく分かった。解説することもしたくないのだが、避けても通れないのでイヤイヤ解説すると言明するくらい。学問としての理論がどうこうではなく、歴史的・社会的背景を無視した前提の置き方、そしてそこから演繹される理論を格差などの問題に対する免罪符として用いる姿勢が我慢ならなかったのだろう。もちろん宇沢自身も1960年代のベトナム反戦運動などの文化的影響から自由ではない(多分、日本からアメリカに来た人間には特に眩しく見えることもあったのでは)が、2021年時点の感覚で言うならば、宇沢の問題提起には当時よりもうなずく人が増えているのではないかと思う。 必ずしも紹介される学説の論理をきっちり追わなくても読める本ではあるが、宇沢先生は読者のレベルを想定するにあたり現代の感覚で言えば手加減がない。ワルラスの一般均衡理論を数式とグラフで解説してくれるのだが、「これまでの議論からただちにわかるように、この供給関数は賃金Wと財の価格Pjとにかんして零次同次である」なんて急に言ってくる。ただちにはわかりませんってば。だいたい零次同次の意味を知らなかった。
Posted by
【引用】歴史的過程のもとにおける人間の社会的行動に関わるものであって、繰り返しを許さない歴史的な現象である。実験を行うことはできない、許されないし、天文学のように数多くを観察することのできない。したがって、経済学の研究に際しては、とくに深い洞察力と論理力が必要となってくる。 経...
【引用】歴史的過程のもとにおける人間の社会的行動に関わるものであって、繰り返しを許さない歴史的な現象である。実験を行うことはできない、許されないし、天文学のように数多くを観察することのできない。したがって、経済学の研究に際しては、とくに深い洞察力と論理力が必要となってくる。 経済学は科学の中で最も芸術的なもので、芸術のなかでもっとも科学的なものである。また、すぐれて実践的な面をもつ。
Posted by
70~80年代の反ケインズ経済学にはぴしゃりと厳しい宇沢先生。たしかに合理性だけで根拠に人間の複雑な行動の総体を一般化するのは無理があるし、そのことに寄りすぎると結局は世の中投機合戦になってしまって、どこが「経世済民」やねんと。 ソースティン・ヴェブレン、ジョーン・ロビンソンに...
70~80年代の反ケインズ経済学にはぴしゃりと厳しい宇沢先生。たしかに合理性だけで根拠に人間の複雑な行動の総体を一般化するのは無理があるし、そのことに寄りすぎると結局は世の中投機合戦になってしまって、どこが「経世済民」やねんと。 ソースティン・ヴェブレン、ジョーン・ロビンソンについて調べたくなった。アカロフとスティグリッツのことも、ちゃんと若かりし頃から目をつけていたんだなぁ。 近代経済学の導入として、ちゃんと勉強になる新書です。
Posted by
2014年に86歳で亡くなられましたが、戦後長らく日本の経済学をリードしてきた著者による経済学の入門の書です。1988年刊行。 アダム・スミスからその後の経済学の変遷を平易に解説しながら、”経済学はどのような学問か”を自らの研究体験をまじえて説いています。 全編通じて大変示唆...
2014年に86歳で亡くなられましたが、戦後長らく日本の経済学をリードしてきた著者による経済学の入門の書です。1988年刊行。 アダム・スミスからその後の経済学の変遷を平易に解説しながら、”経済学はどのような学問か”を自らの研究体験をまじえて説いています。 全編通じて大変示唆に富む内容ですが、とりわけジョーン・ロビンソンが1971年にアメリカ経済学会で行った講演『経済学の第二の危機』を紹介するくだりは著者の経済学にかける思いが強く伝わってきます。 (N)
Posted by
宇沢弘文氏がケインズ経済学を中心に経済学の成り立ちと考え方について丁寧に論じている。 いろいろと目からウロコで感動的でさえあった。 高校生の頃、読んでいたらきっと経済学を専攻していただろう。 (きっとケインジアンになっていた) が、高校生の頃、読んでいたら何が書かれているかわか...
宇沢弘文氏がケインズ経済学を中心に経済学の成り立ちと考え方について丁寧に論じている。 いろいろと目からウロコで感動的でさえあった。 高校生の頃、読んでいたらきっと経済学を専攻していただろう。 (きっとケインジアンになっていた) が、高校生の頃、読んでいたら何が書かれているかわからなかったに違いない。 社会に出てからの日々の生活や仕事通じた蓄積によって理解できたのだろう。 この本は30年前に書かれたものだが、現在の課題を予言している。 いや、現在はその予言すらも越えてしまっている。 宇野氏が論の中でこきおろしている新古典主義の系譜につながるマネタリズムを中心とした反ケインズ主義は その大前提として、雇用の流動性、必要な情報がいつでも必要なだけ入手できる環境、生産物AとBが時間を考慮することなくすぐに交換でき、またそのときに最大価値をもたらすものだけを生産できる仕組みだと述べられている。 これらについて当時は実現不可能と思われてきたが現代では技術革新によりある程度の実現性がでてきている。 ・非正規雇用といわれる雇用制度の発達 ・コンピュータの発達によるビッグデータの取扱い ・インターネットをはじめとする情報ネットワークの 高速化によるクラウドビジネスの発達 そういう意味ではその状況を踏まえた新しい「経済学の考え方」というものもあるのかも知れない。 しかし、 本来、経済学は経済現象を通じて人の幸せを追究する学問と考えるなら、それこそが経済学の本質だと考えるなら、 上記の現在の経済はその「経済学の考え方を使って」、人がいかにホモ・エコノミクスであるべきかを追究するものになってしまっている。 数値化・定式化できないもの(幸福感や生きがいといったような人の感情やいわゆる文化に関する活動)は除外される。逆にそういったものさえ数値化・定式化しようとしている。 それは、かつても今も科学技術がその非人間性の部分を増大したことで 公害をはじめとする環境破壊を引き起こしたのと同じように、経済学が科学技術化することで非人間的な社会を作り出そうとしているように思われる。 宇沢氏はそういった経済学の課題への対応として「社会的共通資本」を提言しているが、3.11の地震と福島原発事故を経験した今、それすらも、もう間に合わなくなってしまっているのかも知れない。 しかし、それでも現代の課題を解決していくのはこれら過去の思考の積み重ねの上ににしかないのだと考える。 この本を読み終えた上で中途で積読状態となっている「人類が永遠に続くのではないとしたら」加藤典洋著を読みなおしたいと考えている。
Posted by
経済学の後退を論じた部分が興味深い。政治との結びつきを求めた結果か。 経済学の流れがよく分かった。万能で無いことも。 全体的に行間を埋める思索が必要だった。前提知識があれば良かったのかもしれないが、新書の読了にそのような知識求められるのも現代では酷だろう。数式や概念的な理解が...
経済学の後退を論じた部分が興味深い。政治との結びつきを求めた結果か。 経済学の流れがよく分かった。万能で無いことも。 全体的に行間を埋める思索が必要だった。前提知識があれば良かったのかもしれないが、新書の読了にそのような知識求められるのも現代では酷だろう。数式や概念的な理解がハードルだったか。 ただ、古典の力は存分に感じた。歴史を画する書物は土台になる。そこから縦横に発展ができる。 ・ハチスンの人間のための神 ・資本主義から社会主義に変わっても人間性の向上はない。 ・社会主義官僚に自由はほぼない。 ・産業と営利の緊張関係。ヴェブレン ・財政支出の増加、所得税の減税。貨幣供給量を減らして、市場利子率を低下させる。ケインズ。 ・所得再分配のパラドクス
Posted by
ゼミの勉強会に参加させてもらうので読みました。 例えるなら 経済学は物理学のようで、 社会学は生物学か地学のよう と言うのは今日の先生の言葉。 私にとっては人間味のある社会学のほうが性にあっているけれど、宇沢弘文さんの経済学の捉え方?は社会学的な要素もあり、貧困の滅亡を目標...
ゼミの勉強会に参加させてもらうので読みました。 例えるなら 経済学は物理学のようで、 社会学は生物学か地学のよう と言うのは今日の先生の言葉。 私にとっては人間味のある社会学のほうが性にあっているけれど、宇沢弘文さんの経済学の捉え方?は社会学的な要素もあり、貧困の滅亡を目標にあげてるだけあって左寄りの意見。 アダムスミス問題でもでてきたけれど、経済学は倫理観がある人間が活用しないと、環境やジェンダーを無視した学問になってしまう。 ウェブレンについての本も出しているようなので、今度はそれを読んでみたいな。 Apr, 2013
Posted by
- 1
- 2