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自己喪失の体験 の商品レビュー

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5件のお客様レビュー

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2011/10/12

【もし古本屋で見かけたら帰りの電車賃がなくなったとしても押さえとけ級・  過去のスピ系全出版物の中でも最高峰レベルのNASA認定危険本】 いやはや、実は噂にはたびたび聞く本なんですが私も所有しておらず たまにやる紀伊國屋本店での絶版本セールなんかでもチェック入れてるんですが な...

【もし古本屋で見かけたら帰りの電車賃がなくなったとしても押さえとけ級・  過去のスピ系全出版物の中でも最高峰レベルのNASA認定危険本】 いやはや、実は噂にはたびたび聞く本なんですが私も所有しておらず たまにやる紀伊國屋本店での絶版本セールなんかでもチェック入れてるんですが なかなか見かけない超プラチナ本なんですわ。 (世界的なプラチナ本ですが、当時こんなマニアックな本を  日本で密かに出版した紀伊國屋出版はサスガですな) この著者のバーナデット・ロバーツという方は普通の主婦なんですが その主婦が悟りの“その先”を見てしまった内容が怖いくらいにリアルに記載されている本らしいです。 いちおこのバーナデットさんはキリスト教徒らしいですが、 この体験記がキリスト教の概念を超越しているので異端児扱いされたそうですわ。 アマゾンのレビューとか読むとあまりにもぶっ飛んでいて怖いですが‥ 通常、スピの世界で言われている至高といいましょうか 悟りやニルバーナのさらに先(本当のゼロ地点)てものがあるんでしょうか、いやはや‥

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2011/04/29

キリスト教徒にして悟ったバーナデットロバーツの体験書。神との合一と表現されている無自己にいたるまでの体験が非常に生々しく描かれています。ある日突然無自己に飛躍するのではなく、いくつかの段階があるようです。その道のりは決してバラ色ではなく、死と相対した自己の強烈な反発が、苦しみとし...

キリスト教徒にして悟ったバーナデットロバーツの体験書。神との合一と表現されている無自己にいたるまでの体験が非常に生々しく描かれています。ある日突然無自己に飛躍するのではなく、いくつかの段階があるようです。その道のりは決してバラ色ではなく、死と相対した自己の強烈な反発が、苦しみとして幾度となく襲ってくる様子が読み取れます。こんな世界があるのかと、非常に興味深い1冊です。

Posted byブクログ

2010/11/26

なぜかこの本を読むと安心します。 おそらく、自分が住まう“夢”の底が開いた風景を垣間見せられたような気がするからかもしれません。 今回ご紹介するのはいわゆるスピリチュアル本ではありません。 つまり本屋さんで精神世界本の棚に並べられる本ではないということです。 ではどこに並べられる...

なぜかこの本を読むと安心します。 おそらく、自分が住まう“夢”の底が開いた風景を垣間見せられたような気がするからかもしれません。 今回ご紹介するのはいわゆるスピリチュアル本ではありません。 つまり本屋さんで精神世界本の棚に並べられる本ではないということです。 ではどこに並べられるか? 宗教書のコーナーに並べられるでしょうか? もし本屋の店員さんが内容を知っているなら、あるいは本を開いて目次を見たら、それはありうることです。 キリスト教関係の本棚に並ぶかもしれません。 しかし、訳者の経歴や同書の後ろに掲載されている同社の出版書などから類推するなら、心理学書の棚に並べられるかもしれません。 そういう、ちょっと普通の分類の枠組みをはみ出すような本です。 類書はある意味ではほとんど皆無と言ったところかもしれません。 もちろん全然ないわけではなくて、エックハルトとかアッシジの聖フランシスコといった若干“はずれ”の方に位置するキリスト者の近辺に並べられるべきなのでしょうが。 しかし本書の初版が出たころと違って、現在ではバーナデット・ロバーツという名前は、それ自体で通用する名前になりつつあるようですね。 この本のどこが変わっているか? それはこの著者がキリスト教文化圏での静修(瞑想)の極まりにおいて、そういう文化伝統が一般的には存在しない地域で……“無我”に至った人だということです。 この本は還俗した元修道女の家庭の主婦が、生活の一部となった静修の中で、あまりにも神を信頼しすぎて自己を捨ててしまったがゆえに、虚無の中に落ちてしまった世界が描かれているのです。 続きはこちら→http://ameblo.jp/aurasoma-unity/entry-10718694423.html

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2010/05/03

バーナデット・ロバーツは、キリスト教徒だが、あきらかにここには、「自己」超越の体験が語られている。いっぱんに「自己」超越体験は、覚醒・至高体験の事例集からもわかるように、ほとんどは強烈な喜び、歓喜に満ちているが、 ロバーツの歩みは、歓喜と凍りつくような虚無、静寂、苦しみの体験が交...

バーナデット・ロバーツは、キリスト教徒だが、あきらかにここには、「自己」超越の体験が語られている。いっぱんに「自己」超越体験は、覚醒・至高体験の事例集からもわかるように、ほとんどは強烈な喜び、歓喜に満ちているが、 ロバーツの歩みは、歓喜と凍りつくような虚無、静寂、苦しみの体験が交差する。 自己を超えて覚醒へと至る道は、こんなにも大変なことなのか。 彼女は、自己を失ったあと「それ」に至るには虚無の通路を通らなければならなかったが、それは絶望も狂気も超えた通路だという。狂ったり絶望したりする自己はすでにないからである。 そんな虚無の通路を通って至りつくのは、 「自己がなくなれば事物を差別相において見る相対的な心も無くなって、『それ』だけが残るのです。それは時に非常に強烈にもなりますが、何か異常なものではなく、自然で平明なので、どこを見てもあるという意味でむしろ通常なのものなのです。」   これは、何かしら禅者の心境に似ている。平常心!   彼女の体験は、確かにこれまで読んできた覚醒体験の記録とは、かなり異質だ。が、その歩みの誠実な記録を読むと、体験のおどろくべき徹底性を感じる。根源的なところにたどり着いた人。   ときに凍りつくような虚無を感じさせる歩みににもかかわらず、彼女の言葉には禅の根本に通底するもの、西田幾多郎や久松真一の言葉かと思うような表現が見られる。たとえば、 「旅が終わった後では、現在の瞬間に生きることしかできません。心はその瞬間に集中していて、過去や未来を顧慮することがないのです。そのために心はいつも一点の曇りなく晴れていて、既製の観念が何一つ入る余地もなく、観念が一瞬間から別の瞬間に持ち運ばれることも、他の観念と照合されることもないのです。要するに、考えるべきことはいつも目の前にあり、何を考えるか何を為すかに迷って停滞することがないのです。」   これは、禅でいう即今即所、あるいは仏教思想の刹那滅そのものだ。

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2010/04/26

この本ははじめ図書館で借りて読んだ。 自己を喪失するなんてありえないと思ったのが最初に読んだときの感想だった。自分で勝手にそう思い込んでいるだけだろうと。だって本当に自己を喪失したら本なんか書けるわけがない。 でもこの著者の淡々とした記述がなぜか心に残った。 自己を失い、客体とし...

この本ははじめ図書館で借りて読んだ。 自己を喪失するなんてありえないと思ったのが最初に読んだときの感想だった。自分で勝手にそう思い込んでいるだけだろうと。だって本当に自己を喪失したら本なんか書けるわけがない。 でもこの著者の淡々とした記述がなぜか心に残った。 自己を失い、客体としての神を喪失して、凍てつくような絶対の虚無と対峙した彼女は、既に自己意識を失っていたために狂うことさえもできず、ひたすら虚無を見つめ続けるしかなかった。そして遂に虚無から逃れることが叶わないと悟った彼女は虚無と正面から対決しようと決意する。その対決の頂点で彼女は意識を失う。 目覚めると自分が生きているのかすら分からなかった。ふと振り向くと1本の花が見えた。そのとき、全宇宙からの祝福のようにその花が微笑んだ。微笑むものと微笑まれるものと微笑みが全く同一であることを悟った瞬間。それは神が自らを見つめる眼であり、自分自身が神であることを悟る瞬間でもあった。純粋主体性が成立したのだった。。。 はっきり言ってまったく理解できません。でもなんか感動してしまうのだ。ときどき本棚から引っ張り出して読んでいます。そして癒される。なぜか。

Posted byブクログ