ジャン=ジャック・ルソー論 の商品レビュー
『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』など、ルソーの主要著作を読み解き、彼の思想の全体像をえがき出す試みをおこなっている本です。 本書では、「偏差」ということばが頻繁に用いられています。著者は、「ルソーの政治思想は、直接に現実の中に理想を実現するプログラムを提示するもの...
『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』など、ルソーの主要著作を読み解き、彼の思想の全体像をえがき出す試みをおこなっている本です。 本書では、「偏差」ということばが頻繁に用いられています。著者は、「ルソーの政治思想は、直接に現実の中に理想を実現するプログラムを提示するものではなく、またその直接の担い手を持つものではない」としながらも、「あるがままの人間」と「あるべき姿の法」とのあいだに越えがたい「偏差」が存在することを示します。さらにルソーは、みずからの叙述と読者とあいだに開かれる「場」においても、この「偏差」が現われることをつねに意識しつつ議論を展開しており、それゆえに彼の著書をひもとくことはそれじたいが政治的であるとともに教育的であるような体験をもたらすと著者は主張しています。 著者が「偏差」と呼ぶ、「あるがままの人間」と「あるべき姿の法」との差異は、カントであれば経験的な領域と超越論的な領域として区別されるとともに、後者は前者「とともに」生じるけれども前者「から」生じるのではないというしかたで、両者の関係が明確に規定され、超越論的な領域における考察は「理性の自己吟味」によって透明なまなざしのもとに把握されることになります。これに対してルソーにおける理性批判は、現実の社会のなかで理性的な主体として形成されたルソー自身が、みずからの理性のありかたを批判することで社会関係の「零度」としての「自然状態」を設定し、自己批判を遂行したと著者は論じています。 こうした著者の議論を敷衍すると、経験的な領域と超越論的な領域の「混淆」という、デリダ的なテーマにつながっていくように感じました。ただし本書では、デリダの音声中心主義批判に言及がなされているので、こうした問題にまったく目配りがなされていないというわけではありませんが、あくまでルソーのテクストを解釈することに終始しており、現代的なテーマとの接点をもとに議論の舞台を拡張していくことには慎重です。
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烏兎の庭 第一部 庭師 1991年1月 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/rousseauy.html
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