真田太平記(五) の商品レビュー
秀頼が誕生し、秀吉が没する。 朝鮮出兵を端に発した加藤清正等武断派と石田三成等文治派の対立が深まるり、三成は家康に助けを求めた結果佐和山で蟄居することになった。 晩年の秀吉が哀れ。 どのように権勢を得ていても老いるという事は哀しく酷い。
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天下人秀吉が死に、徳川家康がしたたかに己が野望へと踏み出す。この巻を読んでいていちばん感じたのは、時に、物語の進行を止めてでも叙述する、社会や政治、人間存在への透徹した洞察のすごさ。真の作家のなんと博識で慧眼なことか! 震える。
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中央政権では秀頼誕生から秀吉・利家の死まで、真田家としては右近の帰還・佐助の成長など、てんこ盛りの回。 秀吉の死はアッサリ描かれていて少し拍子抜けだったが。 いよいよ真田家は時代の大きなうねりに飲み込まれて行くのか、次回も気になるところ。
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人が1人死ぬだけで、状況が一変してしまうような過酷な時代を生きる戦国大名たちの生き様に、とても心撃たれました。
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豊臣秀吉亡き後、真田家が取る道とは。 豊臣秀頼か。 徳川家康か。 ここで、真田家の運命が決まってしまうのか。 巻を追うごとに、面白さが増していく。 次巻も期待大。
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秀頼誕生から関ヶ原前夜までというところ。 話が急展開している感があるが、実際、秀吉の死から2年後に関ヶ原が起きていることから、それを反映しているともいえるだろう。 豊臣政権に大きな影響を与えたであろう秀次事件も出てくるが、当事者視点ではなく真田の忍び同士の会話に語らせている。...
秀頼誕生から関ヶ原前夜までというところ。 話が急展開している感があるが、実際、秀吉の死から2年後に関ヶ原が起きていることから、それを反映しているともいえるだろう。 豊臣政権に大きな影響を与えたであろう秀次事件も出てくるが、当事者視点ではなく真田の忍び同士の会話に語らせている。真田がこの事件の当事者でないことは事実なので、それを強調するために、大事件であるにも関わらず忍びの会話を通じて語らせた池波の描写は見事だと思う。 秀吉が加藤清正へ謹慎を命じた一連のくだりは、情報を鵜呑みにしてはいけないという著者のメッセージでもあろう。情報過多の現在では一層顕著である。 有力政治家の死が政局に大きく影響するのはいつの世も同じであるということも本巻から思った。
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秀頼が生まれ秀吉が亡くなり家康が動き始める。 佐助が色々な意味で大人になる。 第一巻が佐平治だったことを考えると、 ちょうど折り返し地点ということか。
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- ネタバレ
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秀頼誕生、お江回復して信濃へ、秀次切腹、慶長大地震、慶長の役、鈴木右近帰参、秀吉没、樋口角兵衛信幸の家臣に、向井佐助忍び仕事を開始、家康と前田利家会見、家康向島へ、前田利家没、石田三成失脚家康伏見城へ 角兵衛って信幸より幸村を好きになったんじゃなかったっけ?
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5巻秀頼誕生 豊臣家に生まれる命と、失われる命。 昌幸は秀吉がお気に入りです。 秀吉の息子の鶴丸君が生まれますが、幼くして亡くなります。 昌幸は「惚れた男の天下は短い」と嘆き、豊臣の天下を諦め、今後は徳川に着くと真田家の意思が一致します。 秀吉の朝鮮出兵は泥沼化。 その数年後に...
5巻秀頼誕生 豊臣家に生まれる命と、失われる命。 昌幸は秀吉がお気に入りです。 秀吉の息子の鶴丸君が生まれますが、幼くして亡くなります。 昌幸は「惚れた男の天下は短い」と嘆き、豊臣の天下を諦め、今後は徳川に着くと真田家の意思が一致します。 秀吉の朝鮮出兵は泥沼化。 その数年後にまたしても男児、のちの秀頼が生まれます。 昌幸の秀吉贔屓心がまた首をもたげます。 しかし豊臣家を支えてきた秀吉の弟秀長、秀吉の母なか、秀吉の甥秀勝、秀保が亡くなります。 そして秀吉の跡継ぎとされていた関白秀次の自害。 秀吉はただただ秀頼の行く末に心を痛めますが…豊臣家は内部から崩れかけています。 そして秀吉も衰えて生涯を終えます。 「五人の大老たちよ 秀頼のことを、くれぐれも、たのみまいらせる。たのむ、たのむ。 自分は間もなく死ぬるが、まことに、名残おしいことじゃ。 秀頼が大きくなり、立派に豊臣家のあるじとなるよう、たのみまいらせる。 このほかには、おもい残すことはない。 八月五日 秀吉 いへやす(※家康) ちくぜん(※前田利家) てるもと(※毛利輝元) かげかつ(※上杉景勝) ひでいへ(※宇喜多秀家) まいる」 この遺言は亡くなる直前に残したもので、 有名な辞世の句の 「つゆと落ちつゆと消えにしわが身かな なにはの事もゆめの又ゆめ」 は死の数か月前の醍醐の花見のあとに詠んだものとしています。 天下人に登りつめた秀吉が辿り着いた達観の境地としてこの辞世の句は秀吉の評価を高めていると思うのですが、 私にはどうも秀吉の最晩年の未練と怯えの様子とこの達観さが一致せず…。 事前に作っておいたとしてもやはり最晩年の様相と、この辞世の句がイマイチ一致しない。。 ある作家の考察で「祐筆の代筆だろう。秀吉はこのような句を詠める心境ではなかった」と書いていたけれどそっちの方がわかる。 さて。 この時昌幸53歳、信幸34歳、幸村33歳、向井佐平次36歳。 壺谷又五郎は50歳くらいでお江さんは41歳くらいかな。徳川からの嫁を迎えた信幸と、秀吉贔屓の昌幸の関係はそっけなくなっています。 信幸の家臣として重要な人物として鈴木右近がいます。秀吉による小田原攻めの発端となった名胡桃城城主鈴木主水の息子です。名胡桃城が真田に戻ってからは城主に推挙されますが、右近は信幸の部下となることを望みます。 鈴木右近と信幸はこの先長い長い長い主従関係を築いていきます。 そして昌幸父子のアドバイザー的存在、昌幸の叔父の矢沢頼綱が亡くなります。 年と共にさらに頑強に皮肉になって行く頼綱は病床で 「これよりは重苦しゅう思案なさるまい。真田の家ひとつ、天下にあってもなくとも、どうでもよいと、いまこそ、それがしは分かり申した」と嘯きます。 秀吉が自分の息子による天下体制をただただ憂いてこの世に無念を残した無残な心情とは対照的となります。 しかし読者としては、たしかに「あってもなくても歴史は大きく変わらない」人物が動かした歴史というのはかなり面白いのですけれどね。
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2017.2.21 秀頼が生まれ、権力闘争が落ち着くかに見えたが、秀吉が死に、各武士の思惑が動き出す。 家康の動きは面白い。前田利家が牽制役になるが、利家も死ぬ。 朝鮮出兵からのしこりが、反三成派作る一方、三成は反家康の旗幟を鮮明にする。 そんな二人だが、利家が死んだ後の、三成...
2017.2.21 秀頼が生まれ、権力闘争が落ち着くかに見えたが、秀吉が死に、各武士の思惑が動き出す。 家康の動きは面白い。前田利家が牽制役になるが、利家も死ぬ。 朝鮮出兵からのしこりが、反三成派作る一方、三成は反家康の旗幟を鮮明にする。 そんな二人だが、利家が死んだ後の、三成の前田邸からの脱出劇は面白い。肝が座っている。虎穴に入らずんば虎子を得ずか。
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