ばるぼら(文庫版)(下) の商品レビュー
前半とは変わって、ばるぼらを求めに求め、一気に狂っていく美倉。地下道をさまよったり、食べ物を探し回ったり、凄みのある描写。大団円はない方がよかったな。説明的。
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物語前半と後半でかなり印象の異なる、黒手塚の問題作。 上巻はまだブラックジャックとピノコの駆け引きを眺めているような、ほっこりした感慨があったが、これが下巻になると明らかな悪魔主義、オカルティズムの傾倒へと崩壊を見せ始め、おぞましい儀式や呪い人形が登場したり、魔女という概念がすんなりと受け入れられていることなど、ただただ読者を困惑に陥れるアバンギャルドな作風へと変貌する。 上巻冒頭でいきなりばるぼらがヴェルレーヌの詩を口ずさんだり、主人公美倉洋介自身も異常性欲持ちの耽美主義作家で、作中にも様々な文化人の名前や言葉が登場してくるあたり、そして結局はこの『ばるぼら』が美倉洋介の遺作であることから考えても、『ばるぼら』は衒学的でいっそ幻想的とも形容できる(事実、手塚は『ホフマン物語』からインスピレーションを得たと語る)。ばるぼらとは何者か、彼女は実在したのだろうか……。謎は沢山残るものであって、それがいい。 だからこそ、『ばるぼら』を世に出せば付きまとうであろう世間の評価を手塚治虫は既に予想しており、作品各中に見られる「芸術とは何か。狂気と芸術の差異とは」などの問題提起も忘れていない。私はこの問いかけを手塚治虫がしてくることに衝撃を受けたが納得したし、いわゆる漫画界の神様とまで言わしめた手塚の才能と苦悩をも、『ばるぼら』では微細でありながら大胆に感じ取ることができる。 いい意味で裏切られた作品だった。『奇子』と並んで評価される所以である。
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【あらすじ】 美倉洋介がかつて都会の排泄物とさえ形容した、あのさえないフーテン娘バルボラが仮面を脱いで正体をあらわした。それは、あまりにもみごとな”女”への変身であった。バルボラは現代に生きる魔女なのか?美倉はバルボラと結婚を決意したが、式の当日思わぬ邪魔が入ってしまった…。バル...
【あらすじ】 美倉洋介がかつて都会の排泄物とさえ形容した、あのさえないフーテン娘バルボラが仮面を脱いで正体をあらわした。それは、あまりにもみごとな”女”への変身であった。バルボラは現代に生きる魔女なのか?美倉はバルボラと結婚を決意したが、式の当日思わぬ邪魔が入ってしまった…。バルボラの消えた美倉の部屋は空虚だった。そして彼の名声も急速に失墜していく。(169文字) 【感想】 上巻よりも、さらにおもしろかった。 『ブラック・ジャック』のようなエピソード形式だった上巻にくらべ、下巻ではすべての章がひとつの物語となる構成になっている。バルボラの設定やオチの付け方など、なんだかんだで手塚治虫の話は理に落ちる。不穏さや謎に満ちたまま、不条理や崩壊に進んでいってもおもしろかったと思うが、この作品は理に落ちてくて嬉しかった。 バルボラが”女”を見せるシーン、とてもよかった。一瞬で顔や姿が変わってしまうバルボラ。女を見せるときに「正体をあらわした」と表現するのがおもしろい。普段女性は自分の中の”女”を隠しているんだろうか。どうだろうか。手塚治虫が男だからこう表現するのだろうか。他の作品でも同じような表現をみたような気がする。 第12章「回帰」冒頭の冷めた夫婦生活が異常にリアル。なにかしら手作業をしながでしか会話をしないのがリアル。決して夫婦二人は顔を合わせて会話しない。 この作品は手塚治虫のキャリアが低迷していた時の作品だ。その時代に、見向きされない芸術、作者が死んでもなお生き続ける芸術、そして最後には作品がヒットする作者を描いていたと考えるととてもツラくなった。(493文字) 【メモ】 ・手塚治虫のなかで暴力と言えば、平手打ちなんだるか?やたらと出てくる。 ・結局、バルボラとばるぼらの使い分けはわからなかったなぁ… ・上巻でもあったが、歪んだビルやタイルなどは表現主義の影響なのかな?(100文字)
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手塚治虫の作品。 その中でもこれは狂気や禍々しさや怖さがある。 でもそれに惹きつけられる。 2012.4.3読了
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黒魔術などが出てきてうさんくさいオカルトがからみ、最終的には物語冒頭に戻る。 前半の方が好きだけど、これは連載期間とか決まっていたのか?しばりがあってそこに合わせて描いている感じもするが、うまく展開させていると思う。
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手塚治虫の作品には、たまに背筋が凍るような(もしくは悪意が隠されているような)怖い描写や構成から成るものがあるのですが(個人的には、『ビッグコミック』に連載された1970年代前半の作品に突出して多い気がする)、「ばるぼら」もそんな作品のひとつです。悪趣味な魅力とでも言うのでしょう...
手塚治虫の作品には、たまに背筋が凍るような(もしくは悪意が隠されているような)怖い描写や構成から成るものがあるのですが(個人的には、『ビッグコミック』に連載された1970年代前半の作品に突出して多い気がする)、「ばるぼら」もそんな作品のひとつです。悪趣味な魅力とでも言うのでしょうか、登場人物の思想的な偏りかた(?)も相まって、怪談の様相を見せています。
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ばるぼらは芸術家にとって失ってはならない“何か”のメタファーとして描かれていると思った。成功するまでの純粋で素朴な情熱。成功後の努力と良心。それらを失うことはすなわちばるぼらを失うこと。。
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実験的にテクニックだけでこいういうカンジ(私小説のような文学作品スタイル)で、どうよ?なんて作ったにしては重すぎるし、遊べていない。手塚先生としては、山に埋めたり。海に投げ捨てたいくらいかもしれん。そういう作品ほど、なぜだか妙なエネルギーがある。 手塚版 「ベティブルー」。3点。...
実験的にテクニックだけでこいういうカンジ(私小説のような文学作品スタイル)で、どうよ?なんて作ったにしては重すぎるし、遊べていない。手塚先生としては、山に埋めたり。海に投げ捨てたいくらいかもしれん。そういう作品ほど、なぜだか妙なエネルギーがある。 手塚版 「ベティブルー」。3点。 天才のXXXXは紙一重なんていいますが振り切った部分にメロメロなわけです。 手塚治虫ブランドを逆手に取り効果的に奇妙な作品に仕上げているとしたら・・・ 手塚治虫おそるべし お手上げです。
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芸術の神の娘「ばるぼら」に運命を翻弄されてゆく幻想作家。芸術とはどんな存在なのか?膨大な作品群を生み出した手塚治虫が問う。「芸術はその時の流行によって価値が決められてしまう」というセリフのあるラストの話がひどく印象深いです。
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