1,800円以上の注文で送料無料

砂のように眠る 私説昭和史 1 中公文庫
  • 新品
  • 書籍
  • 文庫
  • 1224-36-01

砂のように眠る 私説昭和史 1 中公文庫

関川夏央(著者)

追加する に追加する

砂のように眠る 私説昭和史 1 中公文庫

1,210

獲得ポイント11P

在庫あり

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論新社
発売年月日 2024/11/20
JAN 9784122075825

砂のように眠る

¥1,210

商品レビュー

4.5

2件のお客様レビュー

レビューを投稿

2025/01/07

本書「砂のように眠る」のオリジナルは、1997年に新潮文庫から発行されている。最後に筆者・関川夏央の「自著解説」が付け加わってはいるが、基本的には1997年のものと内容は全く同じである。内容が同じものを、今回は中公文庫として発行した、中央公論社の意図は分からないけれども、私自身、...

本書「砂のように眠る」のオリジナルは、1997年に新潮文庫から発行されている。最後に筆者・関川夏央の「自著解説」が付け加わってはいるが、基本的には1997年のものと内容は全く同じである。内容が同じものを、今回は中公文庫として発行した、中央公論社の意図は分からないけれども、私自身、以前の新潮文庫版も読んでいて、それでも、今回、再度購入し読んでいるので、私のような読者、要するに関川夏央ファンをあて込んで発行したのかもしれない。 再読してみての印象は、やっぱり関川夏央は文章がうまいということ。格好つけているような、一種拗ねているような、そのような独特のタッチの文章であるが、関川夏央の他の作品を読んだ時にも、そして、本書を何十年か前に最初に読んだ時にも、私はこのような文章が好きなのだということを、読みながら感じた。 新潮文庫版は1997年の発行であるが、本書のあとがき的なものの日付は、1993年6月となっている。文庫になる前に単行本でも発行されたのだと思う。今回の中公文庫版の副題は、「私説昭和史1」であるが、1993年は、平成5年であり、昭和が終わってから、ある程度時間が経ってはいるが、昭和時代のことが、まだ肌感覚として残っている間に書かれたものだ。しかし、1993年に、これが書かれてから、既に30年以上が経過している。本書の中で筆者が描写していた日本の社会の姿も、変わっている部分がある。 筆者は、あとがき的な部分で、本書が対象としていた時代を総括して下記のように書いている。少し長くなるが、引用してみる。 【引用】 昭和二十年代後半から昭和三十年代全般にかけて、きのうよりはきょう、きょうよりはあしたがよくなると信じる空気が、その内容についてはつぶさに検討されることなく醸成された。そして、異常な技術の進歩をともなった生活水準の良化という側面では、それはたしかに実証されたのだった。 しかし、技術の進歩が人間の進歩につながるという楽観こそ、実は戦後最大の誤算だったといえる。貧困は大きく後退し消費生活は著しく豊かになったが、人間の内実はかわらず、社会そのものにも本質的な変化は見られなかった。日本社会は、むかしあったような性格とかたちを温存しつつ全体の生活水準のみずりあがり、たとえば、ひとの嫉妬すべき対象がきょうあすの食糧や月ごとの収支から、世襲財産、美貌、血筋など自助努力によっては得がたいものに移っただけということができる。 誰もが食うに困らず、誰もが意見めいたものを持ちながら自らの存在と仕事の社会的意味を問わずに済み、なにごとに対しても自分の快不快と幸不幸の基準に照らして判断すればこと足りる社会、それが経済成長と消費拡大を絶対善とした「戦後」時代の到達した高度大衆社会である。 【引用終わり】 私は筆者よりも10ばかり年下になるので、筆者が経験したことと、自分が経験したことは違うのかもしれないが、それでも、「社会そのものにも本質的な変化は見られなかった」という部分は、「そうかなぁ~?」と思ってしまう。貧困が著しく減少したり、消費生活が豊かになることは、本質的な変化ではないのだろうか?逆に、筆者の言う「本質的な変化」のあった時代ってどういう時のことを言うのだろうか?とは思ってしまう。「技術の進歩が人間の進歩につながるという楽観」が誤算と言っているので、文脈からすれば、「本質的な変化」とは「人間の進歩」のことを言うのだろうが、果たして、「人間の進歩」とは何だろう?どのような時代にそれは起こったことがあるのだろう?と思ってしまう。 また、生活水準があがり、誰もが食うに困らず、他人の月ごとの収支を妬まずに済むようになった、という筆者の言う社会は、実は幸せな社会だったのだろうと、今の、昭和の後の平成も終わり、令和に入った今になって思う人も沢山いるのだろうと思う。昭和が終わって少し経って、バブルが崩壊し、平成の間に日本はほとんど経済発展せず、従って、生活水準は豊かにはならず、最近では、貧困問題・格差問題が露わになりつつある時代になってしまっている。だから、関川夏央は、少したかを括り過ぎていたのだろうとも思う。 ということで、詳しく読むと、内容につっかかってしまいたくなる部分も多いのであるが、それでも、本書の再読は楽しい経験であった。

Posted by ブクログ

2024/12/11

 団塊の世代の著者が一九九三年夏、四十三歳のときに出した、「昭和戦後」を振り返る本。自身をモデルとした「平凡なコドモが、変化のはげしい時代相のなかで、どんな知見態度を身につけながら長じたのか」(p340)を短編小説として書きつつ、その合間に昭和をいろどったベストセラーについてのエ...

 団塊の世代の著者が一九九三年夏、四十三歳のときに出した、「昭和戦後」を振り返る本。自身をモデルとした「平凡なコドモが、変化のはげしい時代相のなかで、どんな知見態度を身につけながら長じたのか」(p340)を短編小説として書きつつ、その合間に昭和をいろどったベストセラーについてのエッセイを挟み込んだ構成になっている。取り上げられた本は無着成恭『山びこ学校』、石坂洋次郎の『青い山脈』その他の著作、安本末子『にあんちゃん』、小田実『何でも見てやろう』、高野悦子『二十歳の原点』、田中角栄『私の履歴書』。上智中退の関川のこの本が新潮文庫に収められた一九九七年時点での文庫解説もこの中公文庫版に収められているのだが、書き手が須賀敦子であるのを確認して、ああソフィア、と思った。一九九〇年代の上智周辺の空気感(須賀敦子も渡部昇一もごちゃ混ぜにしたスノッブな感じ)を真空パックしたまま二〇二四年にいきなり缶切りで蓋開けられたような読後感といったらいいだろうか。鼻持ちならない本なんだけど、でも最後まで読んだ。父親の日記うっかり見つけてしまって、うげえ、と思いつつ読んでしまったような感覚。〈私説昭和史 三部作〉として中公文庫から続いて刊行されるようで、恐ろしくも楽しみでもある。

Posted by ブクログ