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司馬遼太郎が語る 第七集 キリスト教文化と日本
2,200円
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2005/11/18 |
JAN | 9784108301740 |
規格品番 | * |
組数 | 1枚組 |
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司馬遼太郎が語る 第七集 キリスト教文化と日本
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商品レビュー
5
2件のお客様レビュー
「絶対」の有無。その点に思考の原点を置くとなると、東洋・西洋の溝は思った以上に深い気がしてくる。が、西洋文明に犯された現代日本人が「空」や「無」や「ゼロ」といった思想を保持しているとも思えず、非常に中途半端というか、説明し難い状況になっているような気もする。
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同志社大学を興した新島襄の「てき儻不羈」の精神が素晴らしい。 てき儻:明晰であること、自分の考えをしっかり持つこと、 ひとがああ言うからといってそこへ行かないこと、自分の考えを明晰に持つこと 不羈:手綱が付かない人、放れ駒のような人、人に御せらえない人、明快ないつも明晰な考えを持っている人 そして、キリスト教は絶対者のいる宗教で、てき儻不羈な少年少女を許せる。なぜならそれらは絶対者からあずっかたものだからだという。 ヨーロッパの言語、文学は、実は存在しない唯一絶対を説明しようと何冊も本を書かなければならないほどの言葉を用いたために、より精密になた。それによって、文学だけでなく、思想哲学も発達した。 「ものの確信の中にフィクションがある。この一部はどうしてつくられた、どうしてこういう風に変化し、発展しているのか。真ん中にドーンとフィクションを置くと一遍でわかるわけで。これが絶対というもんでしょ。…」 日本の大正時代から昭和初年の小説は私小説。天神様やそこらの藪の神様の世界。そういった八万の神のようにして友だちの所に碁を打ちに言った話をモチーフに私小説は書かれた。 相対的な世界。Trueでなくて、目で見てわかる、自分が経験したもの。 「そして自分が小さな神々の一人であるために…特に私小説の人は…自分の欲望を…凝視して透明化していかなければ私小説は書けませんが、…西洋との違いはそこにあるんだ。」 今の日本はデフレから脱却できなかろうが、貧困や格差が広がろうが、増税が本当は無駄であろうが、放射能の嘘が見え見えだろうが、誤った価値観に絶対の服従を求められ、真に自立しすることをよしとしない。 キリスト教を信じるか否かにかかわらず、どうしたら、てき儻不羈の精神で生きられるだろう、と聴きながら思った。 絶対と相対の双方の視点を持てるようでありたい。
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